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それは不思議な感覚だった。

その日は午前中に隣区のお宅へ伺う用事があった。『ご巡行』という昔ながらの風習である。周辺の数軒を「お宿」とし、寺の本尊が各家を転々と出開帳する。ほとけさまは小さなお厨子に入り、そのお厨子は風呂敷で丁寧に梱包。本堂にお祀りされていたほとけさまを、慎重に「送り込み」させていただく。目付け役として、母も随行する。

終わって午後、住職(父)が会議のため外出。駅まで送る。
その足で少し先の駅まで妻を迎えに行く。妻を乗せ、娘を幼稚園にお迎え。

ハッと気づけば、1日ずっと運び屋だった。

ご本尊を乗せ、母を乗せ、父を乗せ、妻を乗せ、子を乗せる。皆が私の車から自然と乗り降りしていく。不安視されていない。任せられている。私はただ、それぞれの目的地への輸送を務めている。

それは不思議な感覚だった。

昔からの風習を運び、今を生きる人物を運び、未来を生きる子供を運ぶ。
さまざまな時空が、車内という一点で交わり、そして私の握るハンドルに委ねられていた。

縦糸と横糸が織り合わさって、ふんわりと柔らかな布に包まれているような感覚の顕然。こんな日はそうそう有るモンじゃない。

それは5月のある日のことだ。梅雨入り宣言こそ出されていないものの、連日ぐずついた天気の中、雨が降ったり止んだりした、ある1日の出来事。


<了>



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