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川名の療養日記3

こんばんは、こんな時間の投稿になってしまいました。19時を過ぎても更新されない川名のnoteを楽しみに待ってくださったそこのあなた、ありがとう、川名はどこにも逃げやしませんよ。少なくとも後5日はホテルに缶詰です。

まあ、あたくしはそう遠くない将来禿げるだろうなというお話です。

今日は一日パソコンと睨めっこしていたわけですが、このホテルのデスク、目の前にでっけえ鏡があるので嫌でも自分の顔面に目がいきます。

ということで自分の顔面事情、特に生え際に関して、客観的に自己分析していきたいと思います。少し意識が高すぎるかなとは思いますが、就職活動の第一歩とさせていただきます。

今朝のニュース番組、『スッキリ』をご覧になりましたか?賢いお禿げ代表、ロバートキャンベル氏が「春は換毛期 ネコの抜け毛を使ったアート」のテロップの下、コメントを強いられる映像を穏やかな心で観る事ができた方は果たしてどれほどいた事でしょうか。

いささか、グロテスクとも取れるこの映像に、少なくとも僕は拳を硬く握り締め、極めて親密な気持ちで「頑張れ、頑張れ」と心の中で声援を送ることしか出来ませんでした。

誤解の無きよう、ここでは純粋に男性の加齢による額後退についてのみ取り上げます。そして僕はこの文章でこの事実をできるだけ明るい方に捉えてゆきたいのです。

換毛期は僕の知る限り、人間にはありません。嘘です、ググったらどうやらあるそうです。が、猫とか犬とかよりは人間様はお気楽じゃあありません。男の生え際は一度後退してしまうと植毛やヅラなどの手段を講じない限り、二度とは戻ってこないのです。

僕の髪の毛は生来茶ぱみがかっています。(若干茶髪であるということ)僕はわりにこの色を気に入っており、今後髪を染める予定はありません。

少し前まで、僕の額両サイドにはそれよりさらに茶ぱみがかった髪の毛が生えておりました。産毛のような柔らかい髪の毛でしたが、それもまた我ながら洒落ているなと気に入っていたわけです。しかし、高校一年生の頃、その洒落毛が一本残らず抜けていました。それまで全く気がつかなかったため、取れていた、という方が適切かもしれません。

以来僕の額は俗に、M字型でやらせてもらっています。若すぎる僕はちょっと悲観的になったり、仲の良い友人には愛を持っていじられたりしたものですが、今はちっとも気にしちゃあいません。へっちゃらです。

なぜ僕がこんなにもへっちゃらで毎日気丈にやっているかというと、これはもう考え方ひとつで随分変わるもんだからです。同じ悩みを抱える同志諸君にそれをお伝えできたら幸いです。

中学数学の図形の問題、高校数学のベクトルの問題然り、視点を変えてみると案外ころっと解けてしまった経験はありますか?僕は無いですが兎に角、視点を変えて物事を捉えることはとても重要なのです。

先程から僕は「額が後退」という表現を用いてきましたが、そもそもこれは後退なのか?ベクトルの転換です。

例えば、正面からやって来た友達に「おい、川名、今日もいい天気だな。お前の額は後退しているな。」と言われたとします。

少なくともこの場合、目の前にいるそいつにとって僕の額はそいつの前方向に向かって進んでいるはずです。

するってえと僕の額は、輝く明日に向かって「前進」していることになります。

前進と言われると不思議にプラスな気持ちになります。

また、こうとも取れます。「お前は俺の生え際のスピードについてこられなくて吠えているだけなんだぜ。」

背後を取られないようにさえすれば、こういった敵を葬り去るのはいかにも容易い仕事です。


お花見は好きですか?僕は非常に好きです。桜を愛でる日本文化は本当に素晴らしい。満開の桜なんかはもう、めっちゃをかしです。しかし、大人になって、本当の美を模索し始める頃には、花びらが散り始めた葉桜の方がいいななんて思ってきます。花も葉も散ってしまった冬の桜木も重厚感があって僕は好きです。

人間の頭の事情もお花見と似ているように思います。お天道様にしてみれば、我々の頭を経過観察することは、お花見と同義なことに違いありません。つまり、こう、額が前進してしまっている我々はまさに葉桜シーズンに一足はやく突入しているわけです。これは文字通り、advantageと言えるでしょう。

こうやって考えてみると、我々M族はそんなに悲観的になることはないんだなということがわかります。

いかがでしょうか、本日も長々と失礼いたしました。僕がホテルから出たらどなたか他己分析のご協力をお願いいたします。では、また明日😀







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