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恋しい葱湯

わたしの暮らしは、葱とともにある。

台所に切らしたことはないし、一日の食事で一度は口にする。無くてはならない存在だ。

幼い頃から風邪をひくと、かならず『葱湯』を飲まされた。刻み葱をたっぷり入れた湯呑みに、熱々の白湯を注いで塩を入れる。そんな、ごくごくシンプルな『葱湯』。

湯気から漂う葱の香りを嗅ぐだけで、鼻づまりも喉の痛みも軽くなる気がした。
そういえば冬の寒い時期は、白湯が夕食の鍋の残り汁に代わることもあった。我が家は鍋といえば、ポン酢と大根おろしで食べる水炊きだったから、残り汁といっても余計な味はなく、鶏肉と野菜の出汁のみ。だから、そこに山盛りの刻み葱を加えれば、『葱スープ』の完成である。鍋の〆に食べる雑炊が美味しいように、それは格別に美味しかった。風邪でなくとも、鍋の夜は「飲みたいから作って」と母にせがんだほどだ。

『葱湯』も『葱スープ』も、もう久しく飲んでいない。
風邪をひくとたまに飲みたくなるけれど、自分で作ったことは一度もない。
葱はいつも家にある。けれど、なぜだろう、作ろうと思ったことすらない。
母の作ったそれらが飲みたいのだろうか。

母の味、というほど、凝ったものでもないし、葱があれば誰にでもできる。誰が作っても、味に大差はないのに。

わたしは、たぶん「あの頃の」母に作ってほしいのだ。
いまのわたしよりずっと若くて、わたしはまだ小学生で、扁桃腺が弱くてよく風邪をひいていたあの頃。寝る前はアタマにカーラーを巻いていた母に。
口うるさかったけれど、風邪のときは我儘をきいて、好きな本やプリンを買ってくれた、母に。

なんだかしんみりしてしまった。
今日はちょっと風邪気味で、あの葱湯が恋しくなったから。

ほんとうに、ちょっとだけ。


追伸。近所の店で、見出しの写真の「ネギ串」を食べたとき、懐かしい『葱湯』の味がよみがえったのです。唐突に。


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