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『くまもと復興映画祭』へ。ハードルを越えた週末

先週の週末(10月2日から4日まで)開催された、『くまもと復興映画祭 』。
素敵な映画祭だった。
観客の一人として参加したわたしは、たくさんの人々の温もりを感じた。
通常なら1700人収容できるという熊本城ホールは、感染対策で間引かれ、おそらく客席にはその半分もいなかったけれど、それでも、温かさで満ちていた。毎回終演後に登壇する行定監督や、各映画の監督や俳優、運営スタッフたちの「熱」が、会場に伝わっていたのだと思う。

この映画祭は、熊本の地方都市である菊池(きくち)で「菊池映画祭」として始まった。菊池は夫の故郷、山鹿(やまが)の隣町ということもあり、いつか行ってみたいと思っていた。しかし「いつか」はなかなか訪れないまま、熊本地震が起き、翌年、菊池映画祭は名前を変えた。2017年からは『復興』の願いを乗せ、「くまもと復興映画祭」として、被災した熊本県民に寄り添っている。

今年はコロナ禍で4月の予定が延期となり、開催が危ぶまれていたが、半年後の10月になんとか漕ぎつけたらしい。様々な、多くの人々の「熱」が実現化へ向けて後押ししたのだろう。東京から初めてやってきた新参者のわたしにも、その熱量は十分に感じられた。そして改めて、パソコンやスマホ画面ではなく、スクリーンで観る映画の「映画らしさ」に触れ、それぞれの作品に見入った。

映画祭では、1日4回、新作旧作を交えた様々な映画が上映される。
チケットは1日の通し券で、出入りは自由。
わたしは、二日間に渡って、4本の映画を楽しませてもらった。

『タイトル、拒絶』
『真夜中の五分前』
『8日で死んだ怪獣の12日の物語』
『ソワレ』

なかでも最後に観た「ソワレ」に、胸が震えた。
映画館で泣くなんて、いつぶりだろうと自分でも驚くほど、熱いものがこみあげた。映画に入り込んで、感情移入できるのは、脚本も映像も音楽も、そして演じる役者たちも、「すべて」がひとつになって観客(わたし)にぶつかってきたからだ。
(※以下、映画の内容と結末に触れるので、知りたくない方は読まないでください)

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脚本を書く者として、個人的に思うのは、説明過多でないところがいい。
セリフも、少々わかりづらい程度がいい。観る者にひっかかる言葉は、得てして、耳慣れたわかりやすい言葉ではないものだ。だからこそ、逃げ惑う二人が最後に交わした言葉を、もう一度聞きたい。あのシーンで不覚にも涙がこぼれて集中できなかった(苦笑)。なにを彼女が彼に告げたのか、その真意を辿りたい。観客はこうして、好きな映画を観るために、二度三度と足を運ぶ。いい映画は、そういうものだとわたしは思う。
ラストシーンには、新鮮な驚きがあった。単なる同級生だったのか、それとも、彼女は彼を意識していたのか・・・おそらく高校生のときには人気者だった彼を、彼女はどう思っていたのか。逃避行の道中で彼女がその関係性を「告白」したり、彼が「気づいた」りしないところがいい。もちろん、観客も気づかないままがいい。加えてもうひとこと添えるならば、あのラストでの彼の、「ありふれた日常」の描き方も素晴らしかった。
映画は個人の好みで好き嫌いが分かれるが、『ソワレ』は完全に、私の好みである。奇しくも山鹿出身という、芋生悠さんに今後も注目したい。彼女はきっといい女優になる。

好み、といった観点でいえば、『タイトル、拒絶』は予告編から炸裂していて、「きっと好みの映画だ」と楽しみだったが、観終わると、ちょっと違っていた。もとは芝居だったという。なるほど、芝居なら、カノウちゃんのカメラ目線の一人語りもナレーションも、効果的だろう。映画でももちろん手法として間違ってはいないが、ならばもっとカノウちゃんの物語を観たかった。この作品は鶯谷のデリヘル店の、一幕か二幕の群像劇、という感が否めない。映画の主人公は、マヒルだった。妹役のモトーラさんが凄まじく良い芝居をしていた、というのもあるけれども、そんな「第三者」の存在が、カノウちゃんにはいない。彼女の背景は本人の言葉でしかわからない。芝居ではそこが逆に大切で、脚本の腕のみせどころだと思うけれども、映画としてのこの作品では少し物足りなく感じた。カノウちゃんの話だと信じ、伊藤沙莉さんを観に来た観客は、そんな印象を持ったと思う。
『タイトル、拒絶』というタイトルもエッジが効いていてカッコいいのだが、カノウちゃんを始めとしてあの店にいた女の子たちの、その拒絶ぶりを描ききれていなかったのではないだろうか。
ティーチインで、監督は「コミュニケーション不全」の人物たちを描く難しさを語っていた。屋上のシーンも抜け感を抑え、車のなかなど、閉鎖的な空間を意識して撮っていた、と。画の撮り方は申し分ない。問題はきっと脚本で、もっと映画の構成と脚本に慣れていけば、もっといいものが撮れるはずだ。次の作品に期待したい。

自由すぎる個人の感想はこのくらいにして(苦笑)。
各映画終演後のティーチインもとても面白かった。語られた作品の意図や、撮影の裏話なども興味深く、ほんとうに「楽しい」映画祭だった。
いつか行きたいと思いながらも、開催時期に合わせて熊本へ帰省するのはなかなかハードルが高く、今回は様々な偶然が重なったこともあるが、そのハードルを越えるほど、「飛べて」よかったと心から思う。

何事も、行動しないと始まらない。
その意味を再確認した、週末だった。

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