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続けることって

何かを『続ける』ことの難しさを、年齢を重ねるごとに実感する。
もう若くはない、ということだろうか。

今日は午後、富良野塾同期の芝居を観に下北沢へ。
彼女(たむらもとこ)は女優で、劇団も主宰し、卒塾後も活動を続けている数少ない同期のひとりである。役者という道を歩き続けるのは、並大抵のことではない。

今回の芝居は年に一度、3人の女優がそれぞれ同じ役柄を演じ続けるというもので、わたしは初回から欠かさず観ている。今年で6年目だという。

歌あり涙ありのオリジナルで、キャラクターも役者と同じように年を取っていくので、「成長物語」的な要素もある。だから観終わったあとには「来年この3人はどうなってるのかな」と思う客も多いだろう。
10年計画で、あと4年は続けるらしい。

ファンクラブもあり固定客も多いので、劇場は小さいながらもいつも満席だ。
観客動員に関してはこの先も心配ないと思う。けれど、周囲の期待が大きいほど「続けなければ」と、続けることに価値を見出してしまわないかと、わたしは心配になる。だから「来年もがんばって」とは言わないようにしている。

芝居の内容がどうこう、ということではない。
毎回ほんとうに楽しませてくれる内容である。
3人それぞれのキャラクターも立っていて、彼女たちの歌声も心地よく響く。
今回はこれまでのなかで一番いい出来だったんじゃないかと思ったほどだ。

続けることって、いいことばかりじゃない。
重荷や足枷になることだってある。

いつだってやめてもいい、くらいのスタンスでいたほうがラクだ。
そう思うと、かえって続けられたりすることもある。

継続は力なり、というけれど、
継続の自由こそ、力なり、だと思う。

終演後。地元の秋田から妹の芝居を観に来たお姉さんを紅茶の店にお連れして、久しぶりにゆっくり話した。「いつもDVDでは観てたんですけど。やっぱり目の前で観るのは違いますね」と、とても感動していた。
「もとこには80歳になっても女優でいてほしいな、と思うんです」
紅茶にミルクを入れながら呟くと、お姉さんはわたしの目を見て強く頷いた。「ほんとうに」

わたしは自由であってほしいと願う。
なにものにも縛られず、マイペースで。
自由な女優であってほしい。

矛盾しているだろうか?





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