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キリッと!

夕方テレビをつけたら「一週間に一度は褒められた方がいい」という話をしていた。思わず「そうだそうだ!」と頷く。

その後しばらくして、別の番組で今度は小さな子供は(発達障害がある子供にはとくに)「とにかく褒める」ことが大切だという。
またしても「そうだそうだ!」を膝を打った。

人は「褒められてこそ」。
わたしは褒められたおかげで今があると実感する。
以前にもこのnoteに書いたが、わたしは書くことはじつは好きではない。
しかし小学生の頃から「作文」や「読書感想文」など、「書いたもの」をよく褒めて頂いた。褒められると俄然やる気になり、頑張る=どんどん書く=得意になっていく。そこから相乗効果が生まれ、テレビや映画が好きだったのもあり、高校生になる頃には脚本家を志すようになった。

すべては小学校のときに「褒めてくれた」恩師がいたからだと思っている。
さらに有難いことに、恩師はあれから何十年も経った今でも、わたしの書いたドラマやテレビ番組をできるだけ観て下さり、褒めて下さる。
つい3日前も、番組を観たよ、と恩師からショートメールが来て、ほんとうに感激した。

たったひとりでいい。「褒めてくれる」人がいるだけで、人間は日常に起きる様々な試練を乗り越え、活力を得ることができるのではないだろうか。

どんなにダメダメでも、褒めるところはきっと何かあるはずだ。

才能があるかないかなんて、誰にもわからない。
わたし自身、書く才能が本当にあるのか未だにわからない。自己嫌悪に陥ることもたくさんある。それでもそれなりに書いていられるのは、「褒めてくれる」人がいるからだと痛切に思う。信憑性なんて必要ない。大切なのは、「褒めてくれた」その事実である。

今日は『仕事始め』。
お勤めではないわたしも、朝から今日しめきりの原稿に集中した。
褒められると俄然やる気になるのは、昔も今も変わらない。
キリっと、仕事モード全開だ。

追伸。↑友人が年末に送ってくれたお菓子。
キリッとしたこの顔がすごくいい。七転び八起きする達磨も、褒めてくれる誰かがいたんじゃないかな。

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