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今あらためて思うこと、今だから思うこと

いつの間にか桜の花が散り、見上げればハナミズキ、遠くに目をやるとツツジの鮮やかな色が目に飛び込んでくる。

ウイルスが私達の日常を大きく変えてしまっているというのに、
俯瞰の目で地上を見下ろすといつもと変わらず時は流れ、いつの間にか季節が移り変わっているのが判る。


子供の頃、よくお人形遊びをした。人形を持って動かしていると、ふと自分も人形で、この世界の上の方でもっと大きな人が私達を操っているんじゃないか?と思ったりしたものだった。

見えない大きな手が私をこっちへ向かわせたりあっちへ置いたり。

長じてからも、あの人と出逢ったりこの子と仲良くなったりしたのはそんな誰かの思い通りに動かされた結果では? と、幾度となく思った。私達人間は自由意志で動いているようでいて、その自由意志ですら誰かの意図の産物なんじゃないか、と。

自分の周りだけではない、世界で同時に起きているあらゆること、事件や紛争、国や主義主張の違いから起きる戦争までもが、実は大きな誰かの頭の中の創作、思い通りに誘導されてるんじゃないか、と。そう、昔自分が人形で遊んだように。

もしほんとにそんな風に私たちを動かしている存在がいるとして、いったい今何を考えてこんなストーリーを創っているんだろう。このシナリオの意図は? 
いや、もしかしたら彼等もさらに大きな人に(既にもう「人」ではなかろうが)もっと高いところから操られている存在にすぎないのかもしれない。終わりがどこだかわからない、気の遠くなるような入れ子の構造。
果てしなく広がっていく世界の中で私は本当に無力で、この劇に参加していながら、今ここで起こっていることをただただ観察することしかできない。

・・・こんな取りとめのないことをのらりくらりと考えることが出来るのも週末に時間ができたからで、それがこのシナリオの恩恵なのか弊害なのか・・・それさえもまた、私の理解の外だ。

でもひとつだけ確かなことがある。
たとえこの章にどんな結末が用意されていようと私には、朝起きてごはんを作り仕事に行って、週末は息子とのサッカーに明け暮れ、やれ忙しいだの疲れただのと勝手なことを言いながら笑ったり泣いたりして過ごす、少し前まで当たり前だったささやかな日常が愛おしい。
なんてことはない、まぁパッとしない日々だけれど。
上から見たらほんとにちっぽけな人生かもしれないけれど。
当たり前ではなくなったからこそ、それがいかに平和で愛おしいものだったか、今あらためて感じている。

ほんの3ヶ月前には思いもしなかった日々。
幸いなことに私はまだ仕事を奪われてはいないが、仕事を奪われたり営業できなくなってしまった方々の心中を察するに余りある。
ささかやな人生を、大切な人を自分は守ることができるだろうか?と思い悩むことほど、辛くて心身を消耗することは無い。


たぶん、世界はこれを機会に様相を変える。筋書きはわからないが、何かが急速に衰退し、何かが急激に進んでいくんだろう。

私達が分断され動くことさえできないうちに、まるでラジカセの早送りボタンが押されたように強制的に「前へ前へ」と進められているような気がしてならない。外へ出たら違う世界になってました、という、まるでSFの世界だ。

世界は変わるかもしれないし、それはもう決まっていることかもしれない。
けれどその中でも、きっといくつかの選択肢は用意されていると思いたい。私達の「自由意志」で選べる選択肢が。
上☝にいる大きな人、どこに連れていきたいかは知らないが私は自分で選びますよ。予めあなたがテーブルに並べた中からしか選べないとしてもね。

息子の寝息が聞こえる。
スースーと安らかな寝息を聞くと、ああ今日も無事に終わったね、と安堵する。
この子の1日はどんな1日だったかな? 幸せだったらいいなと思う。

みんなが大切な人を守れますように。

そして、どうかご無事で。
来たるべき時のために。

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