上京して1ヶ月経ったけど、自己紹介してなかったからやる。

正直、実家に帰りたい。

だって雨の日はパパが駅まで送ってくれて

ママが駅まで迎えにきてくれるから濡れなくて済むもん。

帰ったら何かしら食べるものがあって

美味しくてあったかいご飯を食べれる。

服は脱いだらおばあちゃんが洗濯してくれるし

お金に困ったらおじいちゃんがお小遣いくれるし

肩まで浸かれるお風呂で大好きな音楽かけて熱唱もできるし

そして、大好きなかえるのぬいぐるみに囲まれて寝れる。


去年、ドラマ「過保護のカホコ」をみて違和感感じなくて、

ドラマをみて気づく位に甘えてたし、甘えさせられてた。


その生活してたほうがきっと普通に幸せなんやと思う。


普通に大学卒業して、普通に社会人になって

普通に結婚して、普通に子育てして生きていくんやろなって

自分含め周りの誰もが思ってた。


そこで、急やけど・・・

自己紹介を兼ねて、そんな甘ったれた私の人生を振り返りたいと思う。



小学生のとき

お散歩が大好きだったひいおばあちゃんがいた。

でも、年老いて行って腰が曲がって最後は歩けなくなってしまった。

そして、2年生の時、

病院に私がお見舞いに行って

「またね」

って約束したその日の夜に息を引き取った。

あの時のひいおばあちゃんの笑顔はまだ覚えてる。苦しい。


お葬式が終わった後、ひいおばあちゃんのお友達をじっと見てた。

みんな腰が曲がってきて杖ついて歩いてた。

車椅子で参列していた人もいた。

幼い頃は不思議だった。大人になったらなんとかしたいって思ってた。


中高のおはなし


中学生の時、学校の授業で職業について調べる時間があった。

親や友達、先生に話を聞いてたら

理学療法士という職業に出会った。

自分にぴったりだと思ったし、これしかないって思った。


高校生になって、ひょんなことからサッカー部のマネージャーになった。

ここで、サッカーという最強に面白いスポーツに出会った。

ただ、超弱小サッカー部だった。

1年のうち、何回勝ったんだってくらい圧倒的に負けることが多かった。

ここでもなんとかしたいって思うことが多くなった。

マジでお節介マネージャーだったと思う。

こうしたらいい、ああしたらいいって超お節介してた。

けど空振りしかしなかったんやと思う。

それでも「勝ちたい」って思ってめげずに毎日グランドに立った。


高校3年生の4月14日サッカー部のマネージャーとして最後の日

引退試合も0−8で大敗

私の青春は泣いて終わった。


でも、そのあと、

たまたま知り合いになった記者さんと話したら、記事になった。笑

(当時高校生だったこともあり、仮名奈々ちゃんだけど菜絵の話!)



この芋臭さねぇ…(黙



今思えば、お節介して、いろんな人を傷つけたかもしれない。

でも、1番人間らしくマネージャーできてたんじゃないかなって思う。

この時、トレーナーやサッカーライターも興味があった。カメラマンもしたかった。

何より、頑張ってる人を支えたいっていう気持ちが強くなった。


そこからさらに、理学療法士になりたい!ってなって

一直線に大学受験はもちろん理学療法学科受けて

ココ行きたい!って思ってた大学(偏差値55)にしか合格できなかった。

(滑り止めの偏差値35、45の大学は不合格でした。謎)


大学生になって、いきなり【価値観の違い】という壁が立ちはだかった。

理学療法士になったらこうしたい!

って思うことは当たり前だと思ってた。

だからココにいるんだって思ってた。


同級生の「だってPTって医療職だし安定するから」って言葉を聞くまでは

ずっと何かのためにみんなはココにいるって思ってた。

今思えば、そんな人もいるんだって頑張れば、きっと今は理学療法士になってたのかもしれないな。


靴に出会ったのはバイト先

急やけど、ここで靴が登場する。


たまたま大学に行くときに乗り換える駅の近くにあったスポーツ店で

たまたまバイトをして、たまたまシューズコーナーに担当になった。


「この靴ください!」

「はい!サイズは…?」


そんな他愛もない会話をする毎日だった。

けど、ある日思った。


靴の正しい履き方ってなに?

すぐに調べた。じゃあたくさんの情報が溢れてた。

でも、習ったことないし、記憶にもない。

周りに聞いても、お客さんに聞いても同じだった。


大学での患者さんを見てもそうだった。

靴ってみんな履くのにみんな適当だって思った。


さらに調べると、医療知識からみた靴

整形靴に出会った。

こ!れ!だ!と思って理学療法士になるのは別に自分じゃなくてもいいやって思って大学やめた(笑)


靴学生になった

靴を勉強するから靴学生

いいやんってなった。笑

学校では足や靴についてめちゃ勉強した。楽しかった。


でも、またここでも価値観の違いで苦しんだ。

もう無理

そう思って精神科に逃げ込んだ

学校まで片道2時間、ずっと満員電車。

学校に行ったら、できない自分にストレス抱えて周りと比べて苦しくなった。

毎朝、起きるのもしんどい。

でも、過保護なので(笑)家族には心配かけたくなくて

朝は笑顔で家をでた。

でも電車乗った瞬間から吐き気やめまいが止まらなかった。

次第に学校にいかなくなった。


1ヶ月ずる休みした。

毎日梅田のカフェで本読んだり勉強してたり、

彼氏(今はいないよ。)と遊んでた。

要するにクズやった。笑


ある日、クラスメイトから励ましのLINEが届いて、

学校に行って見たらなんかみんな優しかった。

作業遅れててもわからないとこは教えてくれた。

少しずつ学校に復帰できるようになった。

あのとき関わってくれた人には

ほんまに感謝してます。ありがとうございました。



先生たちに救われ、奇跡的に進級できた。

後輩ができた。だから頑張った。笑


学校の実習で某アパレル女性靴会社(後に辞めた)のFC店に行った。

接客は得意だったけど、女性靴は自分のですらも選ぶの苦手だったから興味があって、勉強したくて実習させてもらった。

百貨店で働くって、変な固定概念があったけど、意外とそんなガチガチな空気でもなく、お局さんもめっちゃ優しくて色々教えてくれた。

お客様から、

「あなたに選んでもらえて嬉しい」って言葉までいただいた。接客がめっちゃ楽しくて、初めの1ヶ月で教育担当の先輩の売り上げ超えた(笑)百貨店のフロアマネージャーにも気に入ってもらえていろんな仕組みを教えてもらった。ここで働きたい!!!!!って思ったから就活はそのお世話になったブランドの本社にした。


実習が終わっても、ご好意で、FC店でのバイトをさせてもらってた。

そして学校生活はもう、凄まじく成績は悪かった。(概要だけ掴んで納得するタイプ)


もっと女性靴について知りたい!

まぁ、就活はすぐに内定もらった。

FC店から内定アルバイトするために直営店に異動した。

そこそこ結果は残してた。じゃあ嫌われた。笑

内定バイト先と配属先はみんな変わるって聞いてたので我慢してた。

FC店の店長が販売員として人として本当に尊敬できる人売り上げもすごくて人望があって、ああなりたいって思って移動しても週1その店長の接客を盗みに行ったり話聞いたりした。相談もたくさん乗ってくれた。


地獄の専門学校卒業試験、そして春

卒業試験全項目不合格

写真は再試験のお知らせ。おわた

まぁ、でも学生の間で一番頑張って勉強した。

けど筆記(病理学とか)がなかなか受からなくて

再再再再試験で受かった(黒歴史)

ディズニーに行きたくて頑張った。


無事、卒業式も終わっていざ!社会人!!!!!!!!

ってなる前に3月末事件が起きた。笑

配属先がなんと内定バイト先と一緒

え、?って何回も人事の人に聞いた。

まじやる気なくなった。(ごめんなさい)

嫌われまくってるところにいなきゃいけないなんて

結果(売り上げとか)は出せる自信はあったけど、いやだって思ってたらいきなり緊急面談に連れられた。

「社会はそんなに甘くない」

髪の毛の色、カラコンの色、化粧、態度、その他諸々…注意された。

比較的信頼してくれて自由にさせてくれたFC店と比べてしまう自分がいた。仕方ないと思う。同じブランドのお店なのに、全然違った。

その日、FC店の店長を尊敬してるのはわかってるけど、まず身近な先輩社員のいいところを盗んで!尊敬して!ってお願いされた。意味わかんなかった。


人それぞれ、販売員はキャラがあって、そのキャラにお客様がくる。だから、自分のやり方を見つけなさい。

販売員をするにあたって、1番大事なことだと思ってる。

どんな場面でも個を大事にすること。それを教えてくれたのはFC店の店長だった。それを無視することはできなかった。だから尊敬してって言われても困った。(あーなんか伝わりにくくてごめんなさい、先輩もいい人多くてめっちゃ好きやったよ。)


その緊急面談を終えたあと、

箕輪編集室の家入さんの定例会があった。

大阪でも初のライブビューイングがあるとのことだったので、参加した。

正直メンタルはめっちゃ崩れてた。

笑顔で自己紹介した。

でもメンタルが本当にきつくて自己紹介で、その日あった緊急面談のことを話したら、箕輪編集室のみなさんがすごく背中を押してくれて、応援したいって言ってくれた。めっちゃ嬉しかった。元気出た。

外とのコミュニティってめっちゃ大事だと感じた。本当にありがとうございました。

この#コミュニティについて考える ことはまた別の日に書こうと思う。


そんなこんなで、春が来た

新入社員研修合宿に参加した。

ここでさらに現実をみた。


入社式で社長と「初めまして」した。

彼は経営者であって、靴に関しては数字しかみてなかった。

シンプルに悲しかった。


女性靴に関しては、フィッティングについてめっちゃ知りたくて

会社に入ったってのが自分の中では1番強いんやけど、なんとフィッティングの講座の時に先輩社員に言われた一言。

「置田さんはできるから教えてあげて!」

この一言でやめる決断をしたって言っても過言ではない。

教えてあげる立場ならここでのフィッティングをしる需要がなかった。

4月4日、合宿が終わり、色々考えた。

自分で考えた。苦しかった。気づいたら肌荒れすごかった。


出したのは退職するという決断だった






4月5日朝。

(生々しいねぇ。。。)

このメールを送った時は

足も震えて、手も震えて、怖かった。

めっちゃ怖かった。

孤独も感じた。苦しかった。


パッと浮かんだのはFC店の店長。

正直な気持ちを送った。

泣いた。

頑張ろうって思えた。


人事との最後の電話で

非常識

最後にはそう言われた。仕方ない。

社会からの褒め言葉だと思ってこれからはやっていこうとまで思った。


親にもやめたことは言えなかった。

仕方ない。

でもその時点で家には居づらくなるから上京することは決めてた。

家出、そして上京。


家出する日は4月8日に決めた。

準備はすぐ終わった。そして大荷物を持って玄関へ。


そこで親登場。


「どこ行くん?」

「東京。」

「会社は?」

「辞めた。ごめんなさい。行ってきます」

最高に幸せな瞬間だった。

世界で一番愛されてるし、世界で一番いい家族持ったと思う。


だからこそ、家には居れんかった。


ずっと甘えてた。

この1ヶ月、正直パパママ、家族居ないとできなかったことを

自分一人でやらざるを得なくなった。

めっちゃ大変。しかも家賃もかかるなんて人生初めて。


このブログの冒頭は、今までどんなけ甘えてきたか

上京しなかったらずっとわからなかったこと。

だからこそ、これからは家族の心配が少しでも薄れるように行動していきたい。


菜絵の人生はまだ始まったばかり。

世の中わからないことだらけだから超楽しい。

もちろんしんどいこともあるけど、乗り越えたいって思う。


靴のオンラインサロン計画

本当にごめんなさい。

上京して焦ってしまってオンラインサロンを開く!って大きな声をあげてたのに、私、オンラインサロン開くまでの人間じゃなかった。

でも、決めた。



靴業界の民主化

どの業界の職人さんも、すごく内向的だと感じる。

だからこそ、発信して盛り上げていかなきゃいけない。

月一、靴業界の面白い人をゲストに、イベントを開く。

なので、オンラインサロンではなく、リアルな靴サロンを提供します。



とにかく今は仲間と応援が欲しい。

ヨロシクお願いします!







ps…

私は大阪でビーチサッカーの社会人チームの【AVANTE OSAKA】というチームでマネージャーもしてます。(カメラマン、広報も担当)

まだまだマイナースポーツなのですが、全国大会出場してるような強豪チームで、日本一を目指して選手は頑張ってます。


そこで、スポンサー募集してます。5月末までですが、もし興味あればお話させていただきたいです。こちらもよろしくお願いします!

私はリーグ戦のたびに帰阪してます。交通費を支援してくれる私のスポンサーも同時に募集してます。よろしくお願いします!

【近々の試合予定】

関西ビーチサッカーリーグ

第2節 5月20日[泉南潮騒ビバレー] 

              11:30K.O. vs和歌山Bros SAS

第3節 6月10日[泉南潮騒ビバレー] 

              10:00K.O. vs神戸ファイア(仮)

           14:30K.O. vsJOY BSC Salvage

第4節 6月24日[泉南潮騒ビバレー]

              12:00K.O. vsBSC AKASHI AREIA

第5節 7月22日[泉南潮騒ビバレー]

              12:00K.O. vsDORSAL M.FC/ASHIYA

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