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嫉妬はと憧れは毒でもあり薬


1.嫉妬の毒性と効能

嫉妬というものに対して負のイメージを持つ人は多いと思う。

かくいう自分もSNSで自分よりもすごい人を見つけてすごく羨ましくなることがよくある。自分が目の前のことにもがき苦しんでいる間に周りがどんどん先に進んでいるように見えて。

でも嫉妬しているだけだと現状は変わらないし、あまりにも羨ましさに取り憑かれてしまうと我を忘れてしまう。そういう意味では嫉妬は毒。

でも嫉妬って悪い意味だけじゃないと思う。軽く嫉妬したり誰かを羨ましく思えることで、自分がほしいものが何かわかる。何がしたいのかどうなりたいのかわからないときに、自分がつい羨ましくなってしまうものを考えることが自分のやりたいことのヒントになる。実際自分はよくこれに助けられていたりする。

嫉妬は取り憑かれさえしなければむしろいいものかもしれない。

2.憧れの毒性と効能

はじめは嫉妬だけで終わらせるつもりだったけれどとある先輩の記事に触発されて憧れについても自分が思うことを書いてみようと思う。

憧れって聞くと良いように感じる。憧れの対象に向かって頑張っているようなひたむきな感じ。人が誰かに憧れている時ってキラキラしてるような。

もちろん憧れって美しさだけじゃ全くない。

1人に強く憧れすぎるとその人が自分の思う「憧れのその人」ではなかったときに受け入れられないかもしれない。
憧れの相手と深く関わりすぎた代償でもある。「憧れのその人」とその人自身の違いを受け入れられたらまた学べるところもあるけれど、失望に沈んでしまうと憧れということすらトラウマになっていく。

憧れるってことは相手は自分にはないものを持っているってことかもしれない。ってことは憧れている人と自分は別って認めることなのか。大谷翔平さんも「憧れていたら超えられない」ということをWBCで話していた。

でも自分はそうは思わない。本当に雲の上の人や魔法使いに対しては憧れられないと思うのだ。例えば世界一の大富豪や大谷翔平のようなアスリートにすべての人が憧れるわけではない。野球をするのが好きな人が全員大谷翔平に憧れるわけじゃないし、お金が好きな人がみんな世界一の大富豪にあこがれるわけじゃない。

なら憧れっていうのはどんな人に対して思うのだろうか。
「自分は少し背伸びが必要。でもすごく頑張ればもしかしたら手が届くところ」に憧れるのだと思う。いまはその能力がないかもしれないが、たしかにがんばったらいけそうなところ。

だから「憧れたら超えられない」んじゃなくて「憧れの気持ちすら抱けなくなったとき」に限界ってくるんだと思う。


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