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異界への招待状:俳句誌『LOTUS』第51号

クラクラするほどの痛いほどの今夏の太陽。
八月になって、通りは急にふっと音の存在を忘れたかのように静かになる瞬間が。そんなある日、届いた一冊。

文章はこれから読むところだが、俳句作品が面白い。
ぽっかりと落ちてきた言葉たちが白昼夢のように私の心を揺らす。

【特別作品】2作より一句ずつ。

遠泳の
 潮粘りだす
  鳥影  奥山人

一行ずつアタマ落としで書かれた言葉が三行に分かれて、ページの中で複数のワルツを踊っている。ステンドグラスのようにも見える。
「三」という言葉が描く形の美しさ。その形の中で言葉が乱反射している。形があるから、余白は生きるんだなあ。内容としても映像としても。そして多行詩って面白いなあ、と目が開かれた気持ち。

蝶のぼり天上界へ弧を遂げる 小野初江
呪文のような経典のような言葉たちを織り上げて、不思議な世界へ連れて行ってくれる作品群。曲り角をひとつ違えた先の風景のようで、読むというよりは一句一句を「覗き込む」という世界。危うくもドキドキ楽しかった。

【作品】より一句ずつ。
水煙草たばねて山にかたむけり 丑丸敬史

亀あるく背に月光を砕きつつ 表健太郎

月に立つうすむらさきの鶴や兄 九堂夜想

傷を負う気もない秋思 熊谷陽一

国境にひとすじ蜘蛛の糸ちぎれ 三枝桂子

切尖の
雲雀曇りの
空使ふ    酒巻英一郎

山脈は走っていると花芒 志賀康

太陽の沈まぬ夜の傾斜かな 曾根毅

転語からみずしたたるや烏瓜 高橋比呂子

空の右半分誰にも属さぬ花韮 吉田嘉彦

月代や山犬たちの背が見える 松本光雄

みみずくや古き手毬に手籠められ 無時空映

吉田氏のある作品の前書き、ダヴィデ・マリア・トゥロルドに言及していてびっくり! なぜかというと、彼と縁のある須賀敦子の全集を最近再読しているところで、ちょうどダヴィデの話が出てきた箇所を読んだばかりだったから。

「どうしてもこの私を日本の役に立てなければ、と考える。
 しかし、私は淋しいような生き方をえらんで来たのだ。
 だからミラノだって、日本に帰っても、
 淋しい生活が私を待っていることを忘れないように」

(『須賀敦子全集』第7巻、p528、河出文庫、2008より)

ここ数日、頭の中で繰り返し聞こえる須賀敦子の日記の言葉。
須賀の言葉は表現を志す故の発露。
これも縁だろうか。呼ばれたか?

私の作風はLOTUSとは全く違うが、贈っていただくたびに楽しく拝読している。LOTUSの作品群を読んでいると呼吸が楽になってきて、脳がふわあっと柔らかくなってくるのだ。
自分にはない言葉遣い、発想、作り方。
それらが私の五感を賑やかに揺らして、
「言葉や表現にリミットなどない! なんでもありだ! とにかく発露するのだ「己」を!」と囁く。
そのとき、なんとも軽やかで幸福な気持ちになるのだ。

そして、LOTUSの作品群には安井浩司の遺伝子がそこここにまごうことなく発光している。
安井浩司の書籍に一句鑑賞文の寄稿というかたちで関わることができた喜びを再び思う。これもまた縁だろう。

あと個人的には、LOTUSの誌面レイアウトが好き。
緩急のあるフォントの使用やQ数だけでなく、行間や余白の使い方などに統一感(規則性)があり、一ページの中に結構たくさんの文章が入っているのに読みづらさを感じない。
レイアウトされている方はデザイナーなのだろうか?
表紙の色上質紙(ピンク)も、あしらわれたデザインとタイトルロゴが素敵で、色上はこんなに上品になるのか、と思う。
本を作る側の人間として、その点にも興味がある。

ご恵贈ありがとうございました。



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