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【私見】俳句:旧仮名・現仮名の誤表記や混在

以下は自省を込めての文章です。
私自身も先日やらかしたので。

noteを始め、ネットにはたくさんの俳句作品が掲載されています。
自分も一日一句・投稿をしているので他人様の作品にも興味があり、読ませていただいていますが、しばしば「勿体ないなあ」と思うことが。

それは、「旧仮名遣い・現代仮名遣いの表記の間違いや混在。

例① 二~三句並んでいる場合。
一句目は「言ふ」と旧仮名遣いなのに、
二句目は「そっくり」と「っ」が小さい表記(現代(新)仮名遣いの表記、旧仮名なら「そくり」と全部並字の表記となる)、
ふたたび三句目は「ゐたり」と旧仮名遣い。

例② 一句の中に旧と現が混在している場合。
たとえば「白靴を揃えてゐたる長女かな」
という句があるとします。

この場合、中七「揃えて」は現仮名遣い。
対して「ゐたる」は旧仮名遣い。
現仮名スタイルの作風ならば「揃えてたる」、
旧仮名スタイルならば「揃てゐたる」となるはず。

読み手の立場だと、例①②ともに「この作者の俳句作品の表記スタイルは旧仮名なの? それとも現仮名?」と混乱します。
そして、「せっかく俳句作品を発表するのに、表記の不統一を作者として気持ち悪く思わないのかな?」といささか残念に思うのです。

例①②ともに単純な入力ミスの可能性はあります。
私自身、先日誤表記のまま気づかずに投稿してしまい、読者の方にご指摘いただきました。いつも確認して投稿しているのですが、その日はするっと抜けてしまっており汗顔の至り💦。
ネットでは長く作品が残るので、ご指摘は有難かったです☆

また例①のように「二~三句並べての自作投稿」は、「一句目は旧仮名、二句目は現仮名」というように作品によって作者が意図的に表記スタイルを変えている、という可能性もあります。

ただ、読者としては二~三句であっても「まとまった作品」として読みます、私個人は。
そのとき「作品によって作者の表記スタイルが違う」とどんなに内容良くても表記の揺れに対するモヤモヤがずーっと残ってしまい、作品に対する魅力や評価が減ってしまうことも正直あるのです。

「個人作品のネット発表なんだし自由でいいじゃん」という考えもあるかと思います。
仮名遣いなど些細な事、という意見もあるとも思います。
見た目がすべてではないですしね。

でも、仮名遣いの表記は普段から気をつけていないと、俳句賞の応募など「ここ一番!」というときに(見落とし等の)ミスをしやすいのです。

俳句賞の応募規定によっては「表記法にチェックを入れてください」との一文があり、応募用紙内で「旧仮名」「現(新)仮名」を選ばせるものがあります。
私個人の推測ですが「作品の内容や完成度以前に、この作者は自分が選択した表記法を正しく使って17音を作ることができているか」という基本が選考基準の一つにあるということ。
そのことをこの一文は暗に示しているのではないでしょうか。
そして仮にそうであるならば、俳句賞の応募総数は非常に多いので基本の段階でミスがある作品は選考以前にすべて振り落とされてしまう可能性があるかもしれません。(ちなみに私がある俳句賞の選考委員だったとき、(一句だけでも、まとまった作品群であっても)旧仮名の表記間違いや旧・現の表記の混在がある作品は選から外しました)

私自身、旧仮名の表記を間違えたままある俳句賞に応募してしまった過去があります。後日気づきましたが、時すでに遅し……😿
作品のレベルが達していないこともあったと思いますが、案の定予選は通過しませんでした。

また、ある先輩(某賞受賞者)は「賞の応募作品なのに、仮名遣いの表記を間違えている作品は読みたくない」と明言されておられました。
その方は結構メジャーな賞の選考委員をされておられたのですが、曰く「俳句作家としての意識(姿勢)の問題」なんだと。キビシイなあ~💦

そこまで厳密に考えなくてよいと思うのですが、私の経験だと普段から表記を間違えたり混在して俳句を書いてしまったときに「何となく見た感じが気持ち悪い」という感覚を働かせられるようにしておくとよいと思います。
すぐに気づけなくても、書かれた17音の「見た目」に「違和感」が感じられる。
私自身はその積み重ねから、自然と表記の間違いは減っていきました。
あとは俳句を書くたびに表記を確認する…という地道な作業を習慣付けることですかね。
最初は面倒だけど、慣れるとさほどではないですよ~😊

とはいえ、いつも完璧ということはなかなか難しい。
私もますます気をつけていこうと思います。





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