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感謝の証:渡部有紀子句集『山羊の乳』

あれは、所属する俳句結社「炎環」の記念大会。
当日、お祝いの為に出席してくださった大勢の来賓の中に、本句集の著者・渡部有紀子さんの師・有馬朗人氏の姿があった。
私の師・石寒太と仲良く言葉を交わされていた際の笑顔と、来賓の挨拶の際の明るく温かい声が印象的だった。

ちなみに、俳句を始めてようやく一年くらいだった家人も大会に初めて出席したのだが、「研究者・有馬朗人とその業績」についてはよく知っていたものの氏が俳人であること、そして「天為」主宰であることをこの時まで知らず、「なんで有馬さんがいるの??」とびっくりしていた。

☆   ★   ☆   ★

本句集のあとがきを読むと、お子さんを得てからも有紀子さんが句作を中断せずに続けてこられた背景には(ご家族の協力はもちろんだが)「天為」の方々のサポート、そして「サボらないことね!」と励まし続けてくれた有馬氏の存在がいかに大きかったことが伝わってくる(私は氏の声を間近では一度しか耳にしたことがないけれども、あの温かい声で「サボらないことね!」と言われたら「はい!」と素直にうなずいてしまうだろう。包容力があり、人に前向きなエナジーを与える、そんな声だった)。
そして、彼女が師と結社の先輩方への感謝の思いを胸に抱きながら自分の俳句を歩き続けてきた証―それが本句集なのだな、と思った。

全五章より感銘句を各章から。

春霙イエスの若き土不踏
産着とす白のレースの花模様
銀漢や鼻梁の長き伎楽面

千本の影を整へ針祀る
花の種採るほろほろと児の言葉
羊皮紙の青き神の名冬の蝶
三角が威張つてゐたるおでんかな

神農街小さき玻璃戸に春を待つ
大西日飛ぶ鳥長き脚揃へ
スケートの輪を抜けてより母探す

両肩に光すべらせ甘茶仏
一葉の細き筆より梅雨に入る
台風の目の中にゐて布巾煮る

カトリック歌留多にしかと創世記
チューリップくづれ時間の垂れゐたり
フルートの息継に秋深まりぬ
旅芸人黒き箱曳き冬木立

どの章にも、正調な佇まいの中に選び抜かれた美しい言葉たちが季語と手を携えて整然と並び合っている。また、上記に幾つか挙げたようにお子さんを詠んだ句もチャーミングで読む者の胸を優しく打つ。

本句集の魅力のひとつとして、欧文の名称を組み入れた十七音の完成度の高さが挙げられるだろう。欧文などのカタカナの言葉は上手に入れないと十七音の中で浮き上がってしまい、季語や他の和語との間に不協和音を引き起こす可能性がある。その点について、たとえば次の句をみると

大いなるニケの翼や涼新た

「ニケ」の「翼」と具象的な描写を行うことで、古き佳き文明とその時間を無理なく読者の眼前に表すことに成功している。そして、勝利の翼のはばたきには地中海の風と海が高らかに混じり合い、読者の心を遠き異世界にいざなってゆくのである。

あとがきに「句会の方々と絵画やギリシャ・ローマ神話の世界を詠むことにも挑戦した」とあるが、「アフロディテ」「ミノス」「ディアナ」などの欧文の名称をさりげなく配置し、季語に新しい表情を与えた作品には従来にはない瑞々しさと香気がある。

それ以外にも注目したのが、聖書の人物や関連のエピソード、季語(復活祭など)が作品中にしばしば登場することだ。

箱庭の道は羅馬へクォ・ヴァディス
水鳥の身動ぎもせず弥撒の朝

個人的な話で恐縮だが、私は教会の幼稚園に通い、小学校の頃はそこの日曜学校に行っていた(後で讃美歌のオルガン奏者も担当)。現在は洗礼を受けているわけでも信者でもないのだが、幼い時に「お祈りをする」という習慣を持ち、毎週、聖書の話を聞いていた記憶は今の私自身に有形無形の影響を与えていると思う。
それもあってか、上記のような作品に懐かしさと親しみを感じた。

あるいは、「神」という言葉が入った作品。
羊皮紙の青き神の名冬の蝶

「青き神の名」の「青き」のマジック。
すべらかな力でもって人間を愛しつつ、いざというときには弾劾することも厭わない神への畏れと愛が何ともストレートに伝わってくる。

本句集は日本的な映像が生きた作品に囲まれながらも、全体的に独特な異国情緒の世界観が息づいて感じられる。
そんなところも、本句集の魅力であり個性と言えるのかもしれない。

表題句
朝焼や桶の底打つ山羊の乳

絞るごとに桶に満ちていく山羊の乳は生命力そのもの。
その様子が朝焼のふつふつと燃え上がるような朝の太陽の空と交響し、一日の始まりを活写している
(あと、どこか「アルプスの少女ハイジ」のイメージが重なってきて、個人的にそこも好き)。
そして、この生命力のイメージには母となった有紀子さんの姿もどことなく重なり、日常に足を着けて俳句作品を詠もうという決意のようにも感じられる作品である。

2022年に俳壇賞と俳人協会新鋭評論賞をW受賞された有紀子さん(それ以外にも受賞歴多数)。
優れた俳句作家・論客として、今後ますます活躍されていくことと思う。
その道が豊かで佳きものでありますように。
お互いに「サボらないで」俳句の道を歩いていきましょう😊

ご恵贈、ありがとうございました!

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