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「腹から声を出す」とは何か?

「腹から声を出す」って?

ぼくはYahoo!知恵袋をよく見ているのですけど、
『腹から声を出すってどういう意味ですか?』
といった質問を、たまに見かけます。

声は喉から出るもんでしょ?
腹に声帯なんて無いよ。
みたいな。

そこで、「腹から声を出す」とは何か、考えてみたくなりました。

筋肉が動きを生み出すとはいえ…

人間の身体を動かす原動力は、ほぼほぼ筋肉です。
まれに、重力や遠心力など、他の物理現象のチカラを借りることも、あることはあります。
しかし、ほぼ筋肉のチカラによって、人間は身体を動かしています。
だから、身体操作の際、つい筋肉を動かしたくなってしまいます。
ところが、これは誤りなのですね。

筋肉によって身体を動かそうとする人は、身体操作のヘタな人です。
思い通りに身体を動かすことができず、なんとなくギクシャクした動きになってしまう…。
学校の体育の授業のとき、何をやってもギクシャクした動きしかできない生徒がいたことだろうと思います。
筋肉で身体を動かそうとすると、あんな生徒みたいな感じになり、動きになめらかさを失ってしまうのです。

人間の身体には、数多くの筋肉があります。
一説には600個以上あるらしい。
それら筋肉とは、筋繊維の集合体です。
筋繊維の数は、太さなど筋肉によって異なりますが、まぁ、たくさんの筋繊維の集まりが筋肉なワケです。
そのひとつひとつの筋繊維に、運動神経がつながっています。
仮に、ひとつの筋肉に平均50の筋繊維があるとしても、600x50もの運動神経が脳みそとつながっている、ということです。
(あくまで仮定です)
巨大な数ですね。
こんな巨大な数をいちいち意識してしまったら、脳みそはパンクします。
筋肉で身体を動かそうとすると、余計な動きばかりするハメになるのですね。

だから、身体操作にすぐれた人は、動きを生み出すとき、筋肉を意識しません。
では、どうするか?

イメージするのです。

イメージがなめらかな動きを生み出す

ある動きをとりたい場合に、直接筋肉を操作しようとすると、ギクシャクしてしまいます。
そこで、身体操作に通じた人は、イメージを使って、なめらかな動きを生み出そうとするのです。
イメージとは、映像や絵画、比喩や心象風景などのことです。
リアル世界には存在してないものでも、まさに今そこにある、と想像できるもののことですね。

たとえば、遠くまで声を届かせるためのイメージに、
「野球のボールを飛ばすように、声が放物線を描くようにする」
といった有名なものがありますよね。
実際のところ、声は目には見えません。
放物線を描こうにも、描けない…。
しかし、イメージの力を利用して、まさに今そこにあるかのごとく、声の放物線を思い描くワケです。
すると、遠くまで声が届くようになります。
反対に、声の軌跡が手前で墜落するかのようにイメージすると、あれよあれよと声が遠くまで届かなくなります…。
これは非科学的なようでいて、じつは科学です。
じっさいに、あなたが実験してみれば、わかります。
イメージによって、思い通りに身体を動かすことが可能なのです。

イメージの利点の最たるものは、「声が放物線を描くようにする」たったこれだけで、思い通りの声が出ることです。
足のポジションはどうか、姿勢はどうか、呼吸はどうか、喉の筋肉はどうか、顔の向きはどうかなどなど、細かいことをいちいち気にする必要がないのです。
余計なことは一切いらない。
ただイメージに集中するだけで、自由自在に身体を動かすことができるですね。
だからこそ、動きがなめらかになるワケです。

「腹から声を出す」はイメージだ

おなかに声帯なんて無いんだから、腹から声が出るワケないじゃん。
ごもっともなのですけど、これはリアル世界とイメージ世界とを混同した考え方です。
身体操作においては、悪しき思考回路と言わざるをえません。

「腹から声を出す」とはイメージなのです。
リアル世界とは別の、自分の心の中に描いた世界において実現される、イメージなのです。
そのイメージ世界では、実際に腹から声が出ています。
出ているようにイメージしなければならない。
それができると、あらふしぎ、野太くてしっかりした声が出てくるのです。

もちろん、それを可能にするには、それ相応の身体ができあがってなければいけません。
病人が、どれほどイメージしたところで、野太くしっかりした声は出せないでしょう。
基礎、ベースといったものは、最低限、必要です。
しかし、それらベースができているなら、イメージの力によって、「腹から声を出す」ことは可能です。
できないとしたら、イメージの使い方を知らないだけです。

日本語には、身体イメージを用いた慣用句が多いらしいです。
言語学は詳しくないので、本当かどうかわかりませんけど、多いらしい。
たとえば、「喉から手が出る」なんてのも同じでしょう。
欲しくて欲しくてどうしょうもない気持ちをあらわす慣用句ですよね。
もちろん、リアル世界で、喉から手が出るワケはありません。
でも、自分のイメージ世界では、実際に喉から手が出ているワケです。
それほど渇望している、と。

現代は「飽食の時代」ですから、「喉から手が出る」なんてイメージは、通用しなくなりつつあるのかもしれません。
同じように現代では、「腹から声を出す」なんてそんな声は、うっとうしいだけかもしれない…。
ささやくような、やさしい声が、現代の流行ですものね。
だから「腹から声を出す」という慣用句は、だんだん通用しなくなって来ていくのでしょう。
日本人として、さびしい気がします。
(>_<)

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