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白黒はっきりさせない方がいいこともあるのでは?

30代、40代の人たちが活躍中の今。僕ら50代60代は時代への整理整頓を。70代80代は人生の整理整頓を、そんなところだと思います。
こんなざっくりとした無神経なことを書くと、つべこべと言う人がいますが、時代は若い人のモノですから、それを伸ばしていくようにサポートしたりしなくては大人の存在意義はありません。

と、書きながら正直、そんな若い人たちの活躍の様子には少し物足りなさを感じています。それが何なのかはわかりませんが、僕らの世代(私は1965年生まれ58歳)に普通にあった、かなり重要なものがなんとなくすっぽりとないと感じるのです。

今の人たちはテクノロジーを駆使して情報をさばき、ビジネスをして効率よく資金を集め、収益をだし、高所得を得る。
この中で起こるものに、僕らの世代にあったいつの時代もあった方がいいものが欠落している。だから見える見え方がある。例えば「家族」について。例えば「先輩後輩」について。不条理なことやブラックなことがどんどんグレーを経て白っぽくなっていくように、とはいえもちろん、ブラックはいかんのですが、私たちの世代の価値観には「ブラックだからできること」はたくさんありました。

闇を暴くのはクリーンで健やかな感じはしますが、僕は何でもかんでも闇は暴くものなのだろうか、と、感じます。もちろんダメなものはダメでしょう。人が傷ついたり殺されたり精神的に追いやられるようなことは絶対にダメでしょう。

なんだか話が極端に偏ってしまいましたが、ちょっと話を戻し、「ブラック」と片付けない方がいい面もある。白黒はっきりさせない方がいいこともある、ということが言いたかったのです。そして、若い人たちの働き方、生き方に、なんだかそんな白黒はっきりさせようとする基本的な動きが備わってしまっているように思うのです。

ゴミ箱を清潔にしていくことで野良猫やカラスがいなくなる。生ゴミ袋を毛散らかして道路をぐちゃぐちゃにするカラスはよくないですが、本当に良くないのでしょうか。
飲酒や操作ミスで命を奪う自動車は今も人の運転によって走っていますが、これが全て自動運転となり、人が運転することは禁じられる時代へと向かわせるのは、本当にどうなのか・・・・。

高度経済成長を経て、経済大国になり、大気汚染が起こり、足元を見つめるような生活に縮小し、どんどんクリーンで安全な社会になっていくのが未来なら、町はどんどん同じような建物に変わり、空き地や空き家は一掃され、地面はコンクリートで固められ・・・・。



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ロングセラー「ナガオカケンメイの考え」の続編として、未だ、怒り続けているデザイナー、ナガオカケンメイの日記です。

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あの「ナガオカケンメイの考え」の続編です。基本的に怒っています。笑なんなんだょ!!って思って書いています。

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