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自分のやりたいこと=暇な時に自然と始めてしまうこと

「自分のやりたいこと・好きなことがわからない」を模索する若者がいる。結論、これは自ら意識して外の世界に見つけにいこうとしても見つからない。バックパックで自分探しの旅に出たりしても、夕日に沈むアンコールワットや朝焼けに映えるボロブドゥール寺院の中には「自分は何をやりたいのか」という答えはない。

むしろ過去の自分を振り返り、「自分は暇ができたとき、無意識にとっていた行動は何か」を思い返した方が「自分のやりたいこと」を探すヒントは得られると思う。

自分の過去を振り返ると、無意識に暇な時間に行ってしまうことと言えば「家で本を読むこと・書類を読むこと」に尽きる。

大学生時代、授業やアルバイトがない時間ができると、決まって大学構内のドトールか大学図書館に篭り、活字を読んでいた。もしくは授業をサボる時は、ずっと家の中に引きこもり、当時ハマっていた岩波文庫や新書を読んで一日を過ごした。

社会人になってからは、独身時代の土日は暇な時間はやはり本を読んでいた。金融機関に勤めていたので、書籍以外にも上場企業の財務諸表やアニュアルレポートをプリントアウトし、あくまで趣味の範囲で読んでいた。

その後、インドネシアに駐在していた際も、常に書物を読んでいたように思う。

休日の土日は、少し近くのショッピングモールに食べ物や日用品を買う以外は、家で本やネット記事をずっと読んでいた。

同年代でインドネシアに駐在している知人たちは休日の朝からゴルフコースに行ったり、観光に行ったりしていた。一方で自分はそんな体力・気力もなく、休日はゆっくり過ごしたいとの思いから、ずっと本などを読んで過ごしていた。

インドネシア駐在の最後に、せっかくだからいうことで当時シンガポールに駐在していた友人とバリ島に行ったのだが、実はその際もホテルのベンチで本を読んでいた日々だった。友人はそんな自分を「あり得ない」と思いながらプールで泳いだりバーで過ごしていた。

その後、日本に帰ってしばらくしてから行った米国駐在は、家族と一緒だったこともあり、自由な時間というのはなかなかできずにいた。だが、少しでも自分の自由な時間があると、今度は書籍というよりは気になる英語記事やニュースを読み漁り、まとめていたりした。

よく他の駐在の方々からは「もったいない。もっと米国中を旅行しておくべきだ」と言われたが、自分にはそんな気力もなかった。駐在していた先で借りていた家でゆったり過ごす方が何よりも幸せだったのだ(幸い、自分の妻もあまり旅行に行きたがらなかったこともよかった)。

そして日本に帰って5年ほど経った今も、空いた時間があれば読書やニュースを読んでいる。

この「自分の好きなことを知っておく」ことは何かの役に立つのだろうか。

日々の仕事に役に立つかとどうか、と言う観点で言えば明らかに「役に立たない」だろう。本で得た知識やニュースで得た知識が、日々取り組むべき実務に直接役に立つという経験はこれまでを振り返ってみても極めて稀なケースだからである。

日々の仕事で重要なのは目の前のタスクをいかに処理していくか、であり、「世の中こんなトレンドになっているだね」とか「先人たちはこんな含蓄のある深い言葉を言っていたんだね」とか書物で学んだことを活かそうとしても「だから何?そんなことより目の前の個別の事象を解決しろ」と言われるのがオチである。

一方、長期的に見て「自分はどんな仕事がやりたいのか」を知るためには十分役に立つだろう。自分の場合、上記のような書物やニュースを読むことが好きだ、という癖は仕事上にも出てしまうようで、つい先日も調査モノの仕事や企業分析・市場分析系の仕事が来ると、知らず知らずのうちに手をだして作業を進めていた。加えて、部署の人々からも「こうした仕事があなたは好きなんですね」と十分認知されるに至った。

では、仕事以外では役に立つのかだろうか。自分の好きなことを知っておくことは、自分の人生を充実させるためにもちろん役に立つ。

行きたくもない旅行やレストラン巡り、ゴルフ等で振り回されて消耗するより、自分の好きなことに時間を充てられるという意味で、人生の充実度は増すと考えられるからだ。

自分のやりたいことや好きなことが見つからない場合、普段、無意識にとってしまう行動から探ってみることをおすすめする。

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