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銀河の落ちこぼれたちが銀河の守護者になる話。それだけ。それがいい。『GOG3』感想文

昨日の夜行ってきたガーディアンズオブギャラクシーvol.3。鑑賞後、確実に自分の中のマーベルに対する区切りができた気がした。エンドゲーム以来だらだらと観続けてきたMCUで、ようやく「解放」されたと書いてもいいのかもしれない。

かれこれ15年ほど、つまりは人生の2/3ほどをMCUの新作公開やアベンジャーズの新作を待ち続けてきたことになる。この何となくの区切りは「こんなガキ向けの映画から早く卒業しようぜ?」みたいなことではなくて、自分にとっての「ひとまず、観なくてもいい感じにしよっかな」みたいに、おもちゃ箱にこれまで大好きだったおもちゃを大切にしまう感覚に近い。

そんな気持ちにさせてくれたガーディアンズの話をしたい。書きたいことがありすぎてほぼ箇条書きにコメントをつける形になってしまいそうだ。

もちろんネタバレはガンガンするし、観た人に向けて話したいことばかりだ。そこんとこ、よろしく頼みたい。

・銀河の落ちこぼれたちが遍く生きるもの全てを肯定するまでの過程って考えたら1も2もめちゃくちゃ腑に落ちる。

ガーディアンズオブ「ギャラクシー」とは何か?それは銀河を守るものであり、その守る範囲はあまりにも曖昧。そしてその構成員は地球産宇宙育ちの泥棒、宇宙のラスボスの娘、妻と娘を殺されたやたら頑丈なアホ、やたら賢いアライグマ、それと動く木。

こんなんで守れるかい!!守れちゃうんだなぁこれが。そんな漠然とした信頼が生まれた1から、遠い辺境でありリーダーの父親がやらかしたことから宇宙を守り、今回は生きてるモノが求める助けを絶対に無視しない。助けたい気持ちを無視されても絶対助ける。俺たちにとって大事とかじゃねえんだよ、生きてるから守るんだよ。そんな愛を感じてしまう。

群生は弱者の生存戦略。そんな言葉もありつつも、言ってみれば1人で最強がいるわけでもなく、なのにやたらこいつらしぶとい。生きるため、生かすために全力を出すんだよこいつら。カッコいいぜ。

・生きててええねん、そこでやれることやれ。それはそれとして道理に反するならしばく。これもう任侠モノやんけよ。美しいぜ。

死んじゃダメなんだよ、生きてないとやり直せない。生きてないと前は向けない。カジュアルな死が近くにあるからこそ生まれるシニカルにポジティブな生への執着。これこそガーディアンズなんだよ。「あーもつ死んだわこれw」を言いながら「とりあえず生きるモード」にノータイムで切り替える潔さよ。

・ほぼ完成してたオリジンを「これから」としてぶち込む丁寧さ

ガーディアンズって3まであるけど、実質8作くらい出てたじゃないですか?アベンジャーズとか、アベンジャーズとか、あとソーとか。だからもうキャラが立ってるしなんならほぼ準主役ポジだったじゃないですか。やたら強いしこいつら。

なのによ、なのにちゃんとvol.3で幕引きをしたんよ、ガーディアンズの。ガーディアンズは終わって、ガーディアンズが始まって、それがいい。一旦俺たちやりたいことできたから、解散な!別にか、家族じゃねぇし?みたいな形でいいんよ。うん。こんな綺麗に終わらせたMCU作品そうそう無いぞ。

・ロケットの出自、そしてロケットラクーンとしての起源、からの守護者としての超越。進化なんよ。

冒頭のよくわからん機械がロケットとしてのオリジンだなんて、分かるわけないでしょうが!!!廃棄される過程、見捨てられる存在、失敗作の寄せ集め、これが巡り巡ってガーディアンズの面々と重なるとか、ロケットお前これまでのガーディアンズ生活どんな気持ちで生きててん。ちょっとこっち来い抱き締めさせてくれ。

で、ただの被験体からの夢を見るロケット、そこからの生物としての起源が伴うロケット・ラクーン。その名前全てに意味は無かったとしても、生きたことが意味になる。これがあまりにも「最後」に残し続けた家族のオリジンとして存在しているのが綺麗すぎるんだよなぁ。ありがとうジェームズガン。

・クイルの中には2つのタイムラインが両立する「過去の出会うことがなかった彼女」と「もう未来は存在しない彼女」のそれぞれに対して理解はしつつも納得ができないまま、彼自身の中にある軸はブレることなく、最後の最後に「最高に楽しかった」と「これから」を迎えるための儀礼的な別れをして区切りをつけたところが、これまで愛に囲まれながらもそれを認識してこなかった(できなかった)まま、与えられ/与えられる擬似的な母であり彼女との別れを決断できていて最高に美しかった。

マジでこれなんよ。正直もうこれに尽きる。1でアイデンティティを確立して、2で家族の認識と喪失、3で自分が愛するものを亡くしてからの立ち上がり。綺麗すぎるよ。

ただのやたら頑丈な地球人が銀河の守護者になっていいと認められ、出自を知って親殺しと育ての親の喪失を経て、愛されていたことは知りながらも初めて知った主体的に愛することを知った人を亡くした現実から前を向く。これもまたピーターの成長の物語だったんだよなぁ…綺麗だ。

・人にされて嫌なことはやっちゃいけません、人にして欲しかったことを誰かにやってあげよう。

こいつらこれ簡単にするんですよ。「あの時見捨てて逃げてたら楽だったのに!」を選ばない。「あの時見捨てたから苦しい」の方がしんどいのを知ってるから。そしてこの後者をされた側にいるのがこいつらなんですよね。本当ならその他者への加害性とか自己愛が強まるだろうに、それをしないんですよ。負の連鎖を自分で見つけて確実に断ち切ってるの、偉すぎない?それが次のトピックのこれなんですよ。

・スタンリー御大の「真のヒーローというのは派手に誰かを助けることではなく、目の前に困っている人がいれば手を貸す人のこと」を当たり前にやるガーディアンズ、「銀河の落ちこぼれでもヒーローになれる」じゃなくて、「ヒーローってのは誰でもなれんだよ、困ってる人がいたら助けりゃいいんだよ」が素でやれる奴らなのが愛おしい。

これね。だからこいつらは「ガーディアンズ」なんよ。なんなら今回も勝手に名乗ってるし。「君もヒーローになれる!」をやってるわけでもなく、「ヒーローは『なる』もんじゃないんだよ、『勝手に名乗ってろ』」みたいな潔い清々しさよ。これがカッコいいんよ。誰かに言われてなるもんじゃないし。最後も「この辺の人らが困ってるからやるんだよ」だったし「どっちも助ける」が無い。だからいい。勝手にやってろ。

・相変わらずの勧善懲悪なのに隠し味どころか勧善も懲悪もそれをそれとしてしてないのが良い

・vol.3の3本目では味わえない積み重ねとして3がお出しされた集大成の誠実さよ

多分話としてはいくらでも筋はあったけど、それをしたらもう「シリーズ2作目3作目は微妙」で終わったんよ。ここできっちり全員の区切りを作ってあげたキャラクターに対する誠実さ、そして紆余曲折を経て監督を待ち続けたファンに対する誠実さの両立ができてるのは感謝しかない。エンドロールのスペシャルサンクスで「all of the fun!」って書いてあったの、泣いちゃった。

・それはそれとしてハイエボリューショナリー、お前はしばかれろ。

高次の存在なのか断定できずに、あくまでも賢くなりすぎた理想主義者でありながらもそこで統治者として在りたかったエゴが小物すぎる。「最適化のために僕も死ぬ必要がある?死にまーす!」だけは絶対に選ばないあたり、最高に小物。

完璧でなくとも、ありのままであることが気に食わない。ちっせえな〜!!多分Twitterやってたら生活保護に対して自己責任論投げつけるタイプのツイートしてる。

こいつに至っては書きたいことが多すぎて本当に箇条書きになってしまう。ツイートするにもふせったー使うの面倒だからこっちに書いちゃおう。

・合理主義でロジカルかと思いきや自分だけはそこを曖昧で居続けていい。みたいな傲慢さよ。全体に自分を入れてないしなんならそこから一つ次元を超えているあたり、最高にカス。
・こんなボスは嫌だ2023、優勝。
・生物の本質は中身だよ!みたいな聖人ツラする前にルッキズム丸出しにして明らかに自分以外が下等生物だと思い込ん(/信じ込ん)でいるの、醜いね!
・神になろうとするキャラって結局概念の素みたいな自分の中の信仰に依存するから、ちょっとしたきっかけで壊れるよね。自分が作った偶然の傑物に理解らせられる気分はどうだ?
・ロケットの慟哭に対してクソデカ叫び声出すハイエボリューショナリーさんさぁ……お前の中の絶望とお前が与えた絶望で競うなよ、お前が始めた物語だろうが…


・グリッドマンドグマを読んでいた時の(あ〜〜、偽善であっても善やけどこれは偽善なんだよな〜〜)からの善性の強い善への信仰があったGOGがまっすぐ過ぎてやな

これ、ちゃんと書くにはドグマの話も書かなくちゃいけないから書けたらそっちの記事載せる。

とまぁ、自分の中で最高の終わりを魅せてくれた GOG3、ありがとう。本当にありがとう。

そんな話でした。じゃ、また明日。

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