🍀🌈虹のコラム✨きみへのメッセージ☀️「幸いを見つける」
作家の安岡章太郎の自伝小説のなかに中学時代の思い出を綴ったものがあるんだね、その中にこんな話があったよ。
主人公の中学生が母親に駅まで定期券を買いにゆかされる。
50銭札を渡されて駅へ行った主人公は、窓口で疲れた顔をした若い窓口係の駅員に定期券を売ってもらうんだ。
駅員は50銭札を1円札と間違えて50銭を超えるたくさんお釣りをくれた。
主人公は大喜びで儲かったと、50銭を何に使うかわくわくする。50銭って、いまの貨幣価値に換算すると2万円以上になる。
主人公はそのお金で寿司店でたらふく食べる空想を楽しむ。そりゃ、それは幸福だよね。
でも、あの疲れた顔の駅員が家に帰ったら病床の母親がいるんじゃないか?なんて想像しちゃう。
そう思うと釣り銭を間違えた駅員が気の毒に思えて、主人公は駅に戻ってお金を返してしまう。
駅員はそこで「あー、オレはどうかしてるなあぁー」なんて言ってにっこり笑う。
主人公はその駅員の笑顔を見て、とても幸福な気持ちになったという話なんだね。
50銭がもたらす幸せは高級寿司店でたらふく食べるって贅沢、でも、主人公にはそれ以上の幸福が得られたといってるわけだよね。
それは疲れた顔をしていた、切符販売窓口の駅員の笑顔だけだったってね。
幸せの価値ってなんだろう。
真夏の冷房の効いた部屋で飲む冷えた高級ワインを楽しむ幸い。
真夏の炎天下の道で渇き切った喉を潤すコップ一杯の水。
どちらが幸いと感じるだろうか。
幸いは感じるものであって、測るものではないよね。
雨の日に家にいられる幸い。
いやな上司がいたって、仕事があるという幸い。
電車でお年寄りに席を譲ってもらった笑顔の幸い。
道を歩いていて、野辺の小さな名もない花を見つける幸い。
見上げた青空に白い雲が浮かんでいる幸い。
ただ、生きているというだけで、なにものにも勝る幸いと感じること……
なんでもないことがあって
いくらでも、幸いがあるんだ。
ぼくたちの身の回りには無数の幸いがあると感じたら、どんな嫌なことだって、小さくなるかもしれないね。
幸いは比べるものでも、測るものではなくて、感じるもの。
なんでもないことに幸いを感じること。
そんな幸いを今日一日、いくつも見つけてみようね。
だれも恨まず、子供のような心で、
やさしい心の風景を見つけてみよう。
窓口の駅員の笑顔にあった主人公と同じ気持ち、きっと見つかるから……
真夏の炎天下のたった一杯のコップの水の幸いを感じた時、
あなたの笑顔がそこにあるから……
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