見出し画像

人鬼神

神は自分の中に居るのよね。
この世に生まれ出る事を許して貰えなかった子供のために、母から習ったレース編みのよだれ掛けを畳んで入れてある。
手の平に乗るこの小さな神棚に私は毎日祈ってきた。
でもそれも今日で終わり。

腰を蹴られ、テーブルごと壁に叩き付けられた時に骨折した左手首の古傷が無理をするとまだ痛むので引っ越しは業者に頼んだ。
といっても全部廃棄処分なのだけど。
暫くはマンスリーホテルを移動しながら全国各地を旅するつもり。
何でもない街の香りや小さな公園の空気を味わい、すれ違う人達に軽い会釈をして地域のスーパーで買い物をした食材でひとり料理を楽しむの。

はじまりは或る夜の事から。風呂上がりにテレビの前でお酒を飲んでいた主人が突然手の中のグラスを落とすと、呂律が回らなくなった。
まあ大変とその場に寝かせると、私はお風呂に入った。ゆっくりと。

寝たきりになった主人に尽くす介護の傍ら「死ね、早く死ね。」と声を掛け続けた。
朝に顔を拭いてあげながら、擦り潰した食事を口に入れてあげながら。
オムツを交換して身体を清拭してあげる時には「用無しのくせに一人前に臭いのよ、嫌ねえ。ほんと何の役にも立たない人間なのに、生きている価値なんて無いのよ早く死になさい。」と話しかけた。
それは神に祈るよりもやりがいのある儀式だった。
初めは怒りに燃えていた主人の目に力が無くなってくると酒樽の様だったお腹が次第に薄くなり、脂ぎっていた顔の目は落ち窪み、死ぬ間際には骨の浮き出た貧相な身体に乾いた茶色い皮膚が乗るだけの姿になった。

お葬式ではこれまでの私の人生とのお別れを思って泣き、新たな出発の喜びに泣いた。

両面の神を身に持ったせいかしら、陽射しの色や吹く風の流れが見えるし、時の移ろいを感じ取る事が出来る。
ガスコンロの上で神棚を燃やしながら思った。私の人生はこれからよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?