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【短編小説】死神の涙

《約1700文字 / 目安5分》


 雨が降る都会の街で、適当にそこら辺を散歩していた。いや、散歩というよりは浮遊。わたしは幽霊だ。

 毎日こうやって浮遊していると、見たくないものを見てしまう日がある。今日はまたそんな日。

 ビルの屋上、柵を超えて小さな少年が立っていた。少年は泣いている。いや、顔に雨が当たって泣いているように見えるだけかな。悲観というよりかは絶望の顔。

 なんでこんな小さい子が、とわたしも絶望してしまいそう。でも目を背けてはいけない。それが幽霊になったわたしの、せめてもの償い。じっと私は少年を見つめた。

 今にでも空に飛んでしまいそうな少年は、数秒後、途端にわたしを見た。少年と目が合った。

「そこで、なにをしているの?」

 わたしは驚いて何も言えなかった。もしかしたら気のせい、そうとも思ったけど違うようだった。

「お姉ちゃんは、死神?」

「……死神じゃないよ。ただの幽霊」

 死神と言われて少し腹が立った。

「あなたこそ、なにをしているのよ」

「見たらわかるでしょ。死のうとしている。こんな世界とは、さよならするんだ」

「まだあなたのことはよく知らないけれど、もうちょっと生きてみたらどう?」

「こんな世界に未来はない。あるのは絶望だけ」と少年は冷めた顔で言った。

 見た目は小学生ぐらい。黒のジャージを上下に着ていて、裸足でいる。髪は雨でずぶ濡れ。まるで既に幽霊だ。この少年に、なにがあったのだろう。

 わたしは少年の横に座って、いろいろ話を聞いてみることにした。


 どうやら、少年は学校でいじめられているらしかった。理由は本人にもわからないらしい。

「でもそれだけだったらいいんだ。ぼくには、家族という、帰る場所がちゃんとあった。家族はぼくを、愛してくれた」

「それならなんで、こんなこと」

「パパが死んじゃったんだ。仕事に行ったきり帰ってこなかった。あっさりと、交通事故で死んだ。それでママは悲しんで、部屋から出てこなくなった」

 そう少年は言って、ビルの下を覗いた。雨といっしょに落ちてしまいそうだった。

「結局、パパありきのぼくでしかなかったんだ。ママはぼくを捨てたんだ」

 わたしは、この子になんて言ってあげればいいんだろう。止めるべきではない、そう思った。この先、生きていればいいことがある、そんな綺麗事を言うのはおこがましかった。

 でも、こうやってまた止めなかったら、わたしは後悔する。

 幽霊になる前、わたしは、愛する人を守れなかった。きっとこの人はいつか自ら死を選んでしまう、そう予感していても止めるべきではないと見守っていた。その結果、愛する人を失い、そしてわたしも後を追うことになった。

 この少年の自殺を止めなければ、わたしはまた、後悔してしまうんだ。

「ぼくは世界に絶望しているんだ。だから死にたい。けれど、いつもこの一歩が踏み出せないんだ。やっぱり、怖い」と少年は言った。「お姉ちゃんが羨ましい」

「わたしなんて……」

 わたしのことなんて、羨ましがっちゃだめだよ。わたしみたいになるな。そう言いたかっけど、言葉が喉につっかえた。

 何も言うことができず、わたしは泣くしかなかった。

「お姉ちゃん、泣いてるの?」と少年は言って、わたしの涙を拭こうとした。けれど少年の指は、わたしを通り抜けた。

「やっぱりお姉ちゃん、ほんとに死神なんだ」

「……だから、死神じゃない。幽霊」

「そっか」と少年は笑って言った。

「なんで笑うの?」

「なんか、嬉しくって。ぼくのために泣いてくれて」

 わたしは祈るように少年の目を見つめた。

「頼むから、死なないで──」

「ぼくさ、勇気がでた」と少年は言った。

 少年は、顔をわたしに近づけた。少し、唇を尖らせて、ゆっくりとわたしの唇に向かって近づいた。けれどやっぱり、少年の唇はわたしを通り抜ける。

「ぼくがもし幽霊になれたときは、ちゃんとキスをさせて。そして涙を拭かせて」

 少年はそう静かに言って、体を空に傾けた。これから死ぬというのに、笑っていた。

「はは……わたし、ほんとうに死神みたいじゃん」

 ビルの下で鈍い音が響いた。雨は毛布のように、降っていた。




◆長月龍誠の短編小説

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