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SNSは友達じゃない

イヤなら観なきゃいい。
ただそれを実行するだけで、気持ちが随分ラクになるものだと感じています。

SNSに思うこと

わたしはこのところ、SNSに対する向き合い方について考えることがあって。
なので先日も書いたばかり。

今回は上記の内容よりももうちょっと踏み込んで、もっと自分軸でいいのでは?
といったことが伝わってほしいな、と思ったのです。

なんて言ったらいいのか、急に湧いてきた気持ちを紙に書き出さず、勢いにのってガーっとタイピングしてしまい、だから雑になってしまうんだけど…。

なんとか言葉にして吐き出したい欲がその時は強いので、過去の記事と内容が似通っているかもしれない。
だけど、少しでも通じてもらえる部分があったのならうれしいです。

ひとつ、注意点があります。
リアルに繋がっている人がSNS上にいない設定で書いています。

全てにおいて選択肢は自分本位で

わたしはかなりのテレビっ子。
ドラマというドラマはチェックが抜けていない限り、観相当観てきた。

ベタな恋愛もの。
弁護士系。
医療系。
あと最近は「きのう何食べた?」や「作りたい女と食べたい女」などのほっこり系は欠かせない。

ドラマ三昧な我が家では、いつの頃からかドラマというドラマは全部録画をするようになっていて。

休日に主人と一緒に観ることがお決まりになっていたんですよね。

ドラマに関してだと、主人とわたしは大体似た感覚を持っていて。
だけどわたしは観ないドラマでも、主人はあとで観るわ、というパターンもあるし、その逆のパターンもあったりする。
お互いにもうええわってのもある。

ワンクール内で放送されるドラマの数が多かったりすると、くまなく全部を観ている時間はない。
普通に考えて、何かを省かないと趣味や他ごとに手が回らないし。

一昔前は、録画したもの全てを観ようとしていたから、主人はおもしろいと思っているとなりで、わたしは退屈に感じたりしていて…。
合わせて観ていたことが原因だったんですよね。

ならば観たいものだけを観たらいいってことでしょ?

Instagramだって、観たい人を観たらいいだけでしょ?
Xでも、逆に、観ていてイヤな気持ちになる人の発言は、もう観なきゃいいでしょ?

ドラマの話しに戻るけど、好きな俳優さんが出ているからなのか、そうでもない人らだけど内容がおもしろいからなのか一話目で大体わかるし。

中には一話目でキツいと感じたドラマでもなんとなく観ていたら、最後には涙するようなドラマもあったりする。
最近で言うと「ゆりあ先生の赤い糸」。

どうしても主人公に感情移入してしまいがちだから、菅野美穂さんを取り巻く人間模様に最初はゾッとしたから二話目はないなって感じたんだけど…。

それとか学園ものね。
自身の年齢からしてさすがに遠すぎるから、何年も前から観ないようになった。
(「最高の教師」は観たけど)

それとか、ただただ怖い(呪い系?)とか、やたら遺体が出てくる系も基本苦手意識があって観ない。

好きな俳優さんなのに、その人のキャラがあまりにイヤな方向にいってしまっているドラマも観ない。
イメージをぶち壊しやがって。笑

自ら離れる


そんな感じで、観たくないドラマは自らの気持ちに従って観ないようにするだけで、気持ちがね、ぜんぜんラクなんです。

だから、SNSでイヤだと感じる人の投稿を見つけてしまったのなら、もう観なきゃいい。

イヤだなって感じながらも、その人のプロフィールから何から何まで逆に観てしまう。
イヤな気持ちを倍増させるどころか、毎日のように自ら目にして、どんどんふくらませてしまうというループ。

それって観なけりゃ起こらないことなのでは?

ちょっとでも苦手意識を感じたのなら、もうその人にはかかわらない。
同じことを言うけれど、SNSってたのしい場所であるはずだから。

自分軸を持って

価値観、感性はひとそれぞれ。
ほんのわずかでも、自分とは世界感がちがうなって感じたのなら、その直感は大抵合っている。

わざわざ「いいね」をしなきゃならないって感じている時点で、どこかそれをイヤだと思う自分がいるということ。

それってすごく正直な気持ち。

なのに義務感でつづけてしまっていると心が疲弊していくばかり…。

心が感じるままに、自分の気持ちを従えさせればいい。

「いいね」はもうしない、とか。
しなくたって誰にとがめられることじゃないんだし。

観る・観ない。
する・しない。
もっと自分の軸を持って。

だって、SNSは友達じゃないんだもの。

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