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note脳

わたしはつねにnoteのことが頭にあるような気がしている。

書きたい欲に支配されている、と言ったらいいのか…。

わたしの側近、note。

いつもそばに居てくれるnoteに、書きたくて書きたくて、書きたくてたまらない。

来る日も来る日も、noteに書きたいことがある。

逆に、書きたいと一切思わない日もある。

心が、どこか自分じゃなくなってしまっているとき…だ。

余計なことは考えたくない…。

書くとは、そうせざるを得ない行為。

自分と向き合う術は「書く」こと、そのものだからだろう。

書きたくない日もあるが、ほんのわずかでも心が浮上してくると書きたい欲がジワジワと顔を出してくる。

わたしの特徴はこうだ。

ある出来事が原因で落ち込んだとする。
一定期間、そのことを引きずる。
底辺の闇をやんわりと進むことで、なんとか日常をやり過ごす。

日にち薬とは言うけれど、あながちまちがいではない。

自分の中だけにある治癒力が機能を発揮しはじめたとき、浮上のサインとなる。

落ちていた気持ちが徐々に怒りへと変わり出す。
そうなればしめたもの。

いつものわたし、おかえり。

すると眠っていた感情が、外に出してくれと言わんばかりに言葉となって脳内を駆け巡り出す。

どこからあふれてくるのか、心の声が言葉になって止まらなくなる。

湧き出てくる言葉、一言一句余さずnoteに書き綴りたい。

書きたい、吐き出したい気持ちが脳を充満する。

ひつじが37匹……そんなどころではない。

アドレナリンは出まくり、どうすることもできない。

交感神経よ…頼むから落ち着いてくれ…。
わたしを眠りにいざなってくれ…。

止まらない言葉たち。
まだ宙を浮いている言葉は推敲なしでもよさそうな文調にも思えるが、着地させた途端、言語化のむずかしさが仁王立ちする…。

だけどわたしはいつだって、noteに書きたい欲にさいなまれている。


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