天使ばかりいる日

 嫌になれば酒を飲む。そうすることによって僕は月に二度貰っている頓服を過剰と思わずに、不足とも思わずに生きている。僕はそうやって貰った薬を貰った分だけ飲んでも、訳の分からない病人の「薬が足りないんだよぉ!!」の真似をしないで済んでいる。素晴らしく聞き分けのいい患者。でも愛されることはない。苦笑を前の主治医に捧げる。僕はあなたが僕の頭を撫でていれば多分治ったでしょう。なんてね。

 簡単に絶望を見つけ出しては玩具にしてしまう憂鬱を、それとわかっていても真新しい玩具のように感じる。幼稚といえば幼稚。白痴といえば白痴。
 何故僕がこんなことを書いているのか、一から説明すれば笑われてしまうか、「それはね、仕方のないことだよ」と言われてしまうだろう。僕のちゃちな絶望は誰にとっても理解や共感に足るものではないらしい。でも、あなたは自分が産んだ訳でもない白痴の子供を世話することは想像できまい。想像できるとしたら、僕はあまりの精神的吃音によって、自分の境遇さえ説明できないようになっているのだろう。
 僕の弟は(知的・身体)障害者で、なんなら僕も(精神)障害者で、父親も(精神)障害者で、祖母も(認知症によって)障害者で、この話はあまり関係ないけれど、叔母も(精神)障害者だ。実家にいた僕は風邪をひき、ふらふらの状態で親に言われた。「弟を病院に連れて行くから、祖母を見ていてくれ」と言われた。弟は僕の目には元気そうだった。僕は風邪で、弟はコロナなのだから仕方ない。仕方ない仕方ないと呟きつつ、ただ、コロナウイルスまみれの部屋に祖母と二人で残された。
 いつもこうである。僕の体調は誰にも考慮されたことがない。だから、好き勝手に用事を押し付けられる。ただ、知能があるというだけで、微細なウイルスに感染しないでいることができると思われ、風邪などを引いた際には強く「そんなに母ちゃんを困らせたいんだ」と怒られる。僕はそれをすまなそうな顔をして聞き流す。心配されたことなどなかった。
 祖母は五分に一度マスクを外し、マスクをしてくれと頼んでも理解しているのかわからない顔でマスクをこちらに見せ、笑ったかと思ったら、マスクを傍に置いて元気そうに身支度を整えている。あんなに慕っていた祖母が猿に見えた。でも、実の娘(僕の母親)には酷い扱いを受けているのだ。僕がなんとかしないとこの人はどこにも居場所がなくなってしまう。そう思うと、もう一度「マスクして?」と声がやっとの思いで出た。祖母はこちらにマスクを掲げると、傍に置いてカーディガンを着た。僕は痰の絡んだ咳をして、マスクの中が風邪の臭いで充満した。脳味噌が膨れ上がったみたいに頭が重く、頭蓋骨に当たった部位から順に頭痛がした。

 母親が帰ってきた。このままだと殺されると思った。
「今日、東京帰るから」
 東京とは、いつも僕が寝泊まりしている賃貸のアパートのことである。祖母が母親の家で預かられる時、僕は呼ばれて羊飼いのように監視をしているのだ。
「そうなんだ〜」
母親は甘い声を出した。子供が夕飯はカレーライスがいいと言うような、あの、頬に穴が空いて、そこから声が出ているかのような、高く甘い声だった。僕はこの声が嫌いで仕方なかった。
「父ちゃんは頼りにならないし、○○(僕の名前)がいないと困るなあ」
甘い声のまま、続けて言う。それでも、元々僕は風邪をひいているのだ。このままでは倒れてしまうと、僕の中での最大の悪態をついて言った。僕の悪態は、人に嫌われることを恐れるがあまり、誰にも伝わることはないのだが。

 そうして、東京の部屋に戻った。東京の部屋ではコロナの検査キットでは陰性のくせに熱がぐんぐん上がり、死ぬか生きるかということしか考えられない。もちろんそれは、自死するか否かという問いに違いない。
 母親に、一縷の望みをかけて連絡した。
「熱出たんだけど」
「私も頭痛と熱が出て大変なのよ〜!それでさあ……」
 もうダメである。幼少期から聞かされた親の愚痴は、今でも自分を縛り付けるもののように聞こえる。こうして考えてみると、僕が一人の子供として心配されたことなどないことやただの労働力としてしか扱われてないことばかりが思い出され、死んだ方がマシだと思わずにはいられなくなる。一度でいいから、心配されたかった。風邪の時に熱冷ましを貼られ、横で心配されたかった、などと思うも、僕は今や二十八である。そんな思いはただただグロテスクなだけで、仕方がない。白痴のまま、ただ愛されている弟が酷い死に方をすることだけを考えては、脳裏に浮かぶのは自分がドアノブと首を綱で繋ぎ、睡眠薬を過剰に摂取すれば死ねるかどうかという点検である。

 下手に生き延びることは避けたかった。僕の何度も繰り返した自殺未遂は、いつも親を怒らせることに終始していた。「なんでこんなことをしたの?!」と怒り、それはあなたのせいですよと伝えるよりも早く、母親は自分の苦労を語り、「田舎からこっちまで病院に来たのだから謝れ」と罵り、看護師が苦笑している最中、僕は謝り、僕は不機嫌な母親に攻撃されながら精神科の入院の手続きを進めるのが常であった。
 かと言って、死ぬ勇気はなかった。長年の市販薬と処方箋の過剰摂取で、ベンゾジアゼピン系はとっくに処方されず、死ぬ勇気をかき消す錠剤は手元になかった。長年の過量服薬が祟り、ブロンやウットやレスタミンやカフェインやDXMは死にきれなかった場合に入院を要するので飲めなかった。

 手首を切ろうと思った。いつも切りなれていた。最近は切ってないけれど、きっとうまくいくはずだ。血を出して、何になるのだろうとは思う。でも楽にはなれるはずだ。いつもそうやって、死にたい気持ちを誤魔化してきた。誰にも心配されたことはない。ただ、すっきりするだけだ。でも、それが今では一番大切なことに思える。

 線路が近く、電車が通る度にその地鳴りにも似た音でそれが地震によるものなのか電車によるものなのかを考えなければならない部屋。エアコンの室外機が寒そうに凄まじい音を立てて震えている。
 決心がつかずに酒を飲むことにした。これを二本、あと家の中にある安っちいワインを一本飲んでから決めよう。リストカットをしたいのだが、今ここで睡眠をすればそんな気持ちなど簡単に吹き飛び、明日には世を憂い、親を恨み、体調不良を憎み、どうにかこうにかふらふらとカップラーメンを啜っているのだろうし、なんだか寂しいような、この心境が笑われるような心持ちで、眠るわけにもいかず、手首を切る決心もつかず、酒がどうにか転がしてくれることを祈って酒を飲む。酒をワインを半分、缶チューハイを一本と半分飲んだ。酒というドラッグが経口摂取であることは、利便性という限りにおいてはひどく劣っているだろうが、様々な味があるということが、酒飲みに一端のジャンキーとは違う風流を与えているなと、ぼんやりした頭で思った。その調子でよく行くバーのことを考えた。酒を飲むごとに部屋の中は静けさを取り戻し、耳の中で耳鳴りにも似た熱が膨らんだ。


 部屋を漁れば、健康な時に捨てたか隠したはずの貝印の剃刀をすぐに見つけた。憂鬱が全てを面倒臭くしているのに、またはそのせいか、全ての嗅覚がやけに冴え渡って、剃刀を見つけることなど容易いのだ。何本か、血がこびりついて茶褐色になっているものの刃を撫で、それらが錆び付いているのを確認するとゴミ袋に捨てる。それでも七、八本はあろうかという未使用の剃刀を手首に当てると、勇気もなく薄い傷をつけ始める。これは脳内物質で手首を麻痺させるためにやる。躊躇い傷にも躊躇い傷なりの役割がある。何本か薄い赤で点線を手首に引くと、やや強めに剃刀を当てる。リストカットというのは、包丁状に露出した剃刀の刃の線で切るのではない。線で肌を開き、丸みを帯びた角の部分で切るのである。十数本ちゃんと赤を引き、血は酸化によるものか、理系はからっきしなので適当なことしか言えないのだが、粘性を帯びる。滴り落ちることなく手首の端で固まりかけた血がぶよぶよしている。それを人差し指と親指で摘み上げ、粘性を確かめるように形を歪めては元に戻した。
 何本か血が止まらない傷を作り、外科に電話をした。救急外来はやっているという答えを聞くと、服に血がつかないよう包帯を巻き、外に出た。
 東京では何時だろうと人が歩いている。田舎では遭遇できない足の速さで。ヒートテックを着ていても寒いような二月の気温の中を、何が楽しいのか歩いている。コートで着膨れした彼らの、コートから覗く足は細く、寒そうで、悲しい目をした大きな鳥類を思わせた。この通りすぎる人たちはほとんどが十分後にはそれぞれ自分の家に帰るだろうことを考えると、何故だか不思議な気分にさえなってくる。僕はこの時間に家から目的地まで行く。それはかなり珍しいのではないかと、少し誇らしげにさえ思う。僕は時折、どうでも良いことがすべて有難く思えて、神に感謝さえしそうになる。全てがそれ自体で成立していることがひどく不思議に思え、子供のように何故なのだろうと考えてしまう。

 外科に行くと、老人の受付が待合の電気をつけた。その老人は夜中だというのに明るく振る舞っている。もしそれが手首を切るなどというありふれた病状からステレオタイプを想像し、僕が暗くならないように優しくしてくれているのだとしたら。そう考えるだけで有難い。この老紳士は天使だと思った。天使は僕の二枚ある診察券を見ると、「へっへっ、なんで二枚あるんだろうねえ。得したねえ」と言い、僕は曖昧に笑う。
 診察室に通されると、傷を検分される。僕は甘えにも似た感情が喉を叩く感覚がした。出来るだけ甘えなどないかのように「夜分にすみません」と言う。本当は痛くもないのに痛いふりをして涙さえ見せたかったが、酒をいくら飲んでもそうはならない。「痛くはないですね」と喉を震わせると、その声が暗闇の多い診察室に冷たく響いた。「この傷は浅いですね」と言われる。前は二十数針縫っていたので、今回も少しは縫うだろうと思っていたが、縫うことはなく軟膏を塗って包帯を巻き診察が終わる。僕は自分の憂鬱が他人に点数をつけられているという妄想をやめることができない。浅い傷をつければ、憂鬱だってそれなりに浅いのだと思われるに違いないと感じている。もし、これから三十も超えていくのだが、このまま狂気が目減りしていってしまったらどうしようか。憂鬱に耐えながらも、それすら慣れ、飽きてしまったのだと、美味しくもない何らかを食べて生きていくしかないのだとしたら。

 そんなことを考えながら、次の憂鬱ではもっと深く切る。脂肪の白さが見えるところまで。殊勝な気持ちで決心を新たに家に帰る。歯を磨き、睡眠薬を飲むと、頭が酷く重く感じて、千鳥足のように布団まで向かう。今日は酒を飲みすぎたかもしれない。そう思いながら目を瞑ると簡単に寝た。起きると風邪も治り、憂鬱も消え、二日酔いはなかった。眠る前のふらつきはどうやら貧血状態故だったみたいだ。

 インスタグラムに流血の写真を上げていたら、よく行くバーの主人から炎の絵文字が返信されていた。浅い傷が見られてしまったことに一抹の恥ずかしさを覚えながら、そういえばバーにも久しく行っていないし、行くかと思い立つ。その頃には昨日部屋に残した酒を飲み切っていた。

 バーでは多くの客が来る前に主人と常連と三人で話し、人が来ると、僕は人見知りを発動して、にやにやと、酒飲みにしか許されないあの緩慢な笑顔をして、何を話しているのかと聞き耳を立てた。人前で酒を飲むという行為は、あの酒を飲んだ人にしか許されないにへらとした笑い方をするためにあるのだ。あの弱さにも似た笑いは誰にも気付かれずに傷を見せるのとよく似ている。
 台湾からの学生が僕の隣に座り、僕は彼のあまりの美しさに眩暈がした。白く透き通った肌や、ほっそりとした首や手。大きな黒目がちの目は笑っても細くなることはなく、しかしそれでも笑っていることはわかる。彼は美しい人たちのする、あの、笑うだけで人々を神に許されているかのように錯覚させる笑い方を完全に会得していた。僕が彼を凝視しすぎるため、しょっちゅう我々は目が合い、その度に話すこともないので微笑した。台湾人は僕の小学校の──その友人は中学受験をして中学は一緒になれなかった──友人を思い出させた。それは単に顔つきが似ているからに過ぎない。脳内であの友人と高校の時に電車で乗り合わせ、友人は「どこ高校に行ったの?」と聞いた。「○○高校に行ったよ」と言うと、友人は「頭が良いんだね」と寂しそうに笑った。僕は今でもその笑い方を簡単に思い出す。それ以来会わなかった友人は、酒飲みにしか許されない、弱みのような笑いをあの歳でもう会得していた。あの笑いが脳裏をよぎる度に、少しだけ彼を救うことができなかったと思う。でもそんなことは言わず、台湾人に友人を重ねることも(失礼なので)しないように努めた。ただ、台湾人が笑う度に、その健康的な笑顔から可愛らしい歯が覗く度に、僕は確かに誰かを救えているような勘違いを起こせた。それは幸せと言って違いない時間だった。
 台湾人は僕の顔のピアスを指し、自分もピアスを開けていたことを話した。首元に開けたピアスが排除されたことを首元を見せながら話した。その排除痕はやや赤く、周りは縁のようにやや黒くなっている。僕はその跡から消えかけのキスマークを想像し、いけないものを見ているかのような気分になりながら赤面を酒のせいにし、平静を装った。「あー、ボディピアスは勝手に排除されちゃうからね」
 彼は天使なのだろうと思った。それは決して飛躍した考えではなく思えた。そしてそれは外見の美しさに由来するものだけではないだろう。主人も、客たちも、それなりに天使たり得る。僕は全てが有難く思え、それが酒の効能だとしたら、世を恨むかのような二日酔いの頭痛はバランスを取るために存在しているのだろうと思った。
 様々な人たちを天使だと思い、その天使は神様の思し召しだと思うことでようやく僕は生きている。限りない数いる天使たちが限りない数いることに限りない数だけ感謝し、僕も襟を正しては天使の羽が誰かに見えるように羽を繕っている。

 僕に向けられたものではない人の話を聞き続け、人が自分とは関係ないところでもそれぞれ生き続けているのだと哲学的な省察まで脳内で飛び出して、もう自分は大丈夫だろうと高をくくる。料金を払うと僕はコートを着て店を出た。僕の根がもう少し明るくできていたら、台湾からの学生とも少しは面白い話ができただろうし、もう少しバーに長居することだってできただろうと思うと、後ろ髪を引かれる思いだった。だが、根がそういうふうだったのなら、文章も音楽もやらなかっただろうし、それなりに自分の憂鬱を可愛がって生きているのだ。強がりをマスクの中で口をパクパクとさせて言うと、マスクの中は酒の臭いがした。誰も見ていないのに酒でよれた笑い方をした。ブコウスキーはこんな笑い方をしただろうか。

 翌日。血に塗れたティッシュを、半透明のゴミ袋に詰めて捨てた。何かしらの事件と間違われないことを祈る。
 今日はピアスを開ける予定の日であった。僕は自傷行為なのか、人に甘えたい気持ちの表れなのか、人にピアスを開けてもらうことが好きで、しょっちゅうピアスを開けてもらいに病院に通っている。
 ピアスを開けてもらえるクリニックに着き、受付を済ます。奥の部屋に案内された。看護師に開けたい場所をマーキングされる(今回は唇の下に二個)、二、三言の世間話をした。「リップに開けるの流行ってるんですかね?」「いやー、あはは、わからないです」「なんか今日リップばかり開けている気がします」「そうなんですか?」「まあ、そういう日なんでしょうね」
 看護師の手が僕の唇に触れた。看護師が僕の唇を捲るように摘むと、クリップのようなもので唇を強く挟まれる。そこに看護師がピアッサーをあてがう。ピアッサーの先端が唇の表皮をつついたと思った瞬間、痛みとそれ以上の反射で僕は顔を歪めた。僕はこの瞬間のためにピアスを開けたり穴が埋まったりしているのだと思う。痛いことや辛いことをそのままそう感じていると表明することが許されている場所が、この世にいくらあるだろう。僕にはそれがとても数少なく思える。プリミティブな痛みと感覚と感情が許される場所というのはあまりない。僕は痛いという感覚が建前や演技を突き破ってくれることが好きだ。痛いということを伝えることは甘えることに似ていると思う。心配をされるためという訳ではないが、取り繕うという理性が届かない程の痛みで、結果的に心配されたりしたい。露わな感情を発露できる術として痛みを使っていた。痛い顔をして、「痛かったですか?」と聞かれる。感情や感覚がただ伝わったというだけで、初めて言葉らしきものを使って親に何かしらを伝えることができた子供のように嬉しくなる。
 もう片方も痛みと共に穴を開けられる。毎回ここに来る度に「麻酔をしますか?」と聞かれるが、麻酔をする人は何が楽しくてこんなものをしているのだろうと考え、当たり前にファッションのためであると気付いて笑いが出た。苦笑。
 開け終わって、病院から出ると携帯のインカメで自分の顔を確認する。唇の端零点五センチ下から不恰好に伸びる長めのファーストピアスがあった。ピアスが開く度に痛みに耐えたことの証左が増えていく。タトゥーも同様。看護師に不可逆的に傷をつけられているということに、性的な興奮を覚えていないとは言えない。性的な欲求によるものなのか、自尊心やら精神医学的なものの側面なのかはわからないが、いつだって僕は僕を傷つけるに足る人間にめちゃくちゃにされたくて仕方がない。しかし、そんな人間は見つからない。そのおかげで僕はタトゥーやらピアスやらを増やし、手首を切るとかその程度で済んで生きている。この世には天使ばかりいて、死神や悪魔は見かけたことがない。そんなことにさえ感謝をし始めている。全てが有難く感じる。もちろん、そんなことを思うのは、単に、書いてる最中でさえ酒が回ってきているだけなのだが。

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