詩て、おもろいで
1 「書くこと」に潜む義務感
自分のクラスの子供たちを想像してみました。
「日記書くよ。」
と言った時に、ときにどれだけ抵抗なくできるでしょうか。
どれだけ進んでできるでしょうか。
どれだけ楽しんでできるでしょうか。
よく、大人たちはいます。
「書かせる」と。
では、子どもたちは書かされているのでしょうか
書くことは、やらなければならない義務なのでしょうか。
子どもたちに
「日記書くよ。」
と言うと全員ではないですが、数人の子が顔をしかめます。
書くことに対して抵抗があるのです。
理由は人によって様々です。
(理由についてはここでは触れません。)
書く事は書かないといけない状況になったときに、仕方なく行う行為なのでしょうか
それとも、自ら好んでする楽しい行為なのでしょうか。
書くとは、本来後者ではないかなと思います。
それに、気づかせてくれたのは、『せんせいけらいになれ』一冊の本でした。
著者は灰谷健次郎さん。
言わずと知れた有名な詩人であり、小説家です。
さらに、教師でもありました。
題名とは裏腹に、そこに書かれた言葉たちは、私の胸を打つものばかりでした。
読書記録の一環として残したいと思います。
2 「熱中」体験
灰谷健次郎さんは、詩について上のように書いています。
そして、この本には、小学生が書いたたくさんの詩です。
どの子も思ったままの言葉で書いています。
おしゃべりをするように書いています。
方言がそのまま書いてあります。
少しもかしこまった文はありません。
ケンカのことを書く時も、
腹が立ったことを書く時も、
悪いことをしてしまったことを書く時も、
頭で、いや心が思い浮かべたことをそのまま書いているのです。
正直に、ただ正直に。
灰谷健次郎さんは、そんな子どもたちの詩を読んで
言葉遣いが荒くても、
悪口が書かれていても、
いけないことをが書いてあっても、
受け止めて向き合っています。
正直に書いた心の動きを称賛しています。
だからこそ、子どもたちはこんなにも自由にのびのびと、詩を書いてくるのだと思います。
そうしていると、書きたくて仕方ない子が出てきます。
時間を忘れて、虫取りをする少年のように。
疲れを忘れて、人形遊びをする少女のように。
何もかもを傍に置いといて、書くことを楽しむ子が現れるのです。
こうした「熱中」状態になれる子を育てたい。
書くことでなくても何かに、「熱中」できる子を。
この本を読んでいてそう思いました。
3 「技術」が先か「楽しい」が先か
どうしたら、本に出てくるような「書くこと」に熱中できる子を育てられるのかを考えてみたくなりました。
①「楽しい」を高める関わり
↓
②技術を高める関わり
の順番が良いのだと思います。
そうした時、「詩」は抜群の威力を発揮します。
何せ、ルールは一つしかないのです。
「正直に書くこと」
だけ。
量も、文体も、語尾も、鉤括弧も、自分の好きなようにできます。
それでも初めは何を書いていいかわからない子もいると思います。
それでも日記を書くときの悩みと比べると小さなものだと思います。
何せ、細かいルールがあったり、書く量を指定されていないのですから。
楽しいをたくさん経験した子には、技術的な指導も何倍も良く身につくでしょう。
楽しい→技術の順番だと思います。
しかし、教師は子どもの「書く力」育てるために、この真逆をよくやってしまいます。
私もその1人です。
ここは〇〇した方がいいよ。
文末は揃えて、「〜ました。」しましょう。
ここは、次の行に「 」を書くよ。
丁寧な言葉で書いてね。
これが、国語の授業で「書き方」を習っているなら頷けますが、日記や詩の時の関わりなら疑問符がつきます。
これは技術は、多少上がるでしょうが、楽しさはどうでしょう。
間違いや改善点を指摘されて、
「あ、ここはこうした方がいいんだな。次から間違えないように、より良くできるように頑張ろう。」
と思える子は何人いるでしょうか。
いたとしても、その子はすでに、楽しさが分かっている子ではないでしょうか。
まずは、
心の声に耳を向けること。
心の虫眼鏡を働かせること。
に絞って、たくさん書かせたいと思います。
子どもたちの表現の幅が広がり、自分らしい言葉が紡げますように関わりたいと思います。
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