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「褒める」「叱る」のその前に ①承認

こんにちは。
noteを開いてくださりありがとうございます。
とある町で小学校の先生をしている、ひろきです。
noteでは、普段から大切にしていることやふと思っていること思ったことを不定期で書き溜めていきます。

また、「まほろば」という教育サークルで学級通信についてのマガジンも書いていますので是非ご覧ください。

では、本題へどうぞ!


子どもたちを褒めて伸ばしたい。

これは多くの先生が、いや全ての先生が一度は考えたことがあるのではないかと思います。
それほど、「褒める」ということの教育効果は大きいものです。

しかし、「褒める」は万能ではありません。
使い方を間違えば、効果は半減してしまいます。

その一例としてあるのが、「何とか褒めないと精神」です。
子どもたちが望ましくない行動をとっているときにもこの精神が強くなってしまうと教室の規律が揺らいでいきます。
私が陥っていた考え方でもあります。

承認すること


私は、大切なことは別にあると気づきました。
それは「認めること」つまり、「承認すること」です。 

承認するとは、「相手が見てくれていると感覚」です。

この承認があるかないかで、指導の効果が大きく変わってきます。

 和久田氏は、著書の中で次のように述べています。

「子どもは、弱者です。だからなのかもしれませんが、大人が自分にどれだけ関心を向けているのかをいつも気にしています。」

『科学的に考える子育て』,和久田学,2020,緑書房

「見てくれている」ことは、子どもたちが無意識に望んでいることなのです。

ここをまず満たしてあげることが、集団をつくる第一歩なのではないかと考えています。

自分が満たされているかどうかは、他者と関わるときに、優しくできるか相手のことを思って行動できるかに関わってくるからです。
その「相手」にはもちろん、先生も含まれます。 

ここからは、もう少し、「承認」の構造を考えていきます。

下の図は、「承認」「褒める」そして、「叱る」の関係を表しています。

 「褒める」ことと「叱る」こと。
どちらも「承認」が土台となっています。
承認が十分になされていると、褒めることも叱ることも相手に届きやすくなります。
 しかし、下の図はどうでしょう。

 承認が十分ではないため、土台が小さくなっています。
これでは叱ることはもちろん、褒めることも効果をあまり発揮しません。

 これは、大人の社会でもそうだと思います。

承認が十分ではない、つまり、「Aという上司は自分のことをよく見てくれていない」と感じる人から、たまたまうまく行ったところ見られて、「さすがだな。次も期待しているぞ」と言われても、心は動きにくいものです。
ましてや、その上司が、たまたま失敗したところを見られて「どうしたんだ!しっかりしろ!〇〇だから失敗するんだ」と言われたとしたら、それがどれだけ正論だろうと聞きたくなくなります。

これが反対だとどうでしょう。
上司がいつも目をかけてくれて、成功したときには、

「君のこれまでのがんばりの成果だよ。だって、あのとき・・・。」

と語ってくれると言われた自分は、きっと天にも登るような気持ちになることでしょう。

見てくれていたということは、それだけで嬉しくなれるものだからです。

失敗したときにも「〇〇してしまったんだってな。どうしたんだ。いつもは・・・なのに。」と言われる方が身に染みます。
 どんなに正論であっても、「承認」がないと相手に届きません。じゃあ、この承認はいつ育めばいいのでしょうか。

答えは、「ノーマルシチュエーション

つまり、「普段」です。

次のnoteでは、小学校現場で子どもたちを承認するために意識することを書こうと思います。



参考

鴨頭さんのYouTubeチャンネル


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