見出し画像

『うんとお腹をすかせてきてね』

とてもとても大切にしている友人が一人だけいる。


そもそも友人というものに恵まれていなかった私という人間は、さぁ、あなたの友人を挙げてみなさいと言われたら、小学校からの地元の友人ひとり、社会人になって知り合った同い年の飲み友で今は仙台にいるのがひとり、それと今日、なんだか知らないが腹筋が割れた記念として、その成果を全て台無しにするほどお寿司をご馳走してくれた奴。その3人しかいない。


それで充分だと思っている。



ふと思い出し帰宅してすぐに読み返したのが、江國香織さんの『泳ぐのに安全でも適切でもありません』という短編集に収録されている『うんとお腹をすかせてきてね』という短編。

それはこんな文句で始まる。



『女はいい男にダイエットを台無しにされるためにダイエットをするのだ』


本当にその通りだと思う。

この短編集は、全編に渡り、気を抜くと、足元をさらわれるというか、胸がすうすうとする寂しさや悲しさが漂っている。たまにパラパラとめくるので、枕元の小さな本棚に置いてあって、もうぼろぼろになってしまっているけれど。

『うんとお腹をすかせてきてね』

それではある一組の男女の飲食が密に書き込まれていて、それが食事であるのか、それとも全く違う営みなのかわからなくなるほど、密やかで妖艶でいて、すぐ壊れてしまいそうな危うく儚い情景が詰め込まれている。


大切な誰かとする食事は、たまにとても豪奢だったり、日常のそれでも、それは密やかな楽しみに包まれていて欲しいし、そう努力すべきだと思う。

私はSNSとかに自身の食生活を切り貼りする趣味はなくて、何故そんな恥ずかしいことが出来るのかとても不思議でならないのだが。


だので今日行った、渋谷にこんなところがあったのかと暖簾をくぐったあとも驚いてばかりだったとあるお寿司屋さんで、スマホには一切触らなかったし、それよりか、そんな暇はなかったのだ。

いるお客さんがグループでなく、ほぼおひとりさまだというのに、カウンターの皆が他の客の邪魔をすることなく、とても楽しそうに食事をしていて、何故だろうと気になってしまうし、店員さんは一分の隙もないタイミングで飲み物や刺身やお寿司を提供してくれるし、それでいて、出てくるもの出てくるもの全てが、例えばつきだしのクラゲや鯛のカマを焼いたのとか、箸休めの小茄子と大根の漬物とか、平目や鯵の上品な握りといったそれら全てが、艶やかで色鮮やかで瑞々しいので、ついついすぐに口に運んでしまうからだ。

皆が手にはグラスや猪口や箸を持ち、出されたお寿司をきちんと食べている。そこにスマホをいじっている人はいなかった。


お客さん全てがしっかり食事と向き合っている、今時かなり珍しい飲食店さんだなぁ、と思った。話をしながらきちんと食べる。昔ながらの美しい風景がそこにあった。

何か美味しいものを、というぼんやりしたリクエストに対し、この店をチョイスした彼には本当感服する。



美味しいものを大切な人と食べる、そこに見ず知らずの人からの賞賛はいらないし、邪魔なだけだと、つくづく思った、そんな夜でした。





(ヘッダー写真は、一応、食べることについて書いた記事なので、うちのボウズが猫草を食べようとするところにしました)

追記: 自身が作った料理を賞賛しまくる紹介は別。それは素晴らしいし、いいぞ、もっとやれ、と思っています。はい。

サポートしていただけるような記事がUP出来たらお願い致します。3人の猫さん達が主に喜ぶ他、日々の創作活動の糧にいたします。応援感謝です!