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私の夢

小さいころからたまに「私はみんなと違う」と感じていた。

お金がないからたまごっちが買えない。
スタバに友だちと行くけど、私は買えない。
高校卒業後はとりあえず働こうかな。
うつになった自分は親の期待に応えられない出来損ないだ。
そもそも一流大学への進学や大企業への就職すら考えたことがない。

大学4年の春、就活で東京に行った。
ついでに、あるイベントに参加したとき、
ある会社の会長さんが私に言った。
「君、うちで働けばいい。
挑戦状を送ってきなさい。将来何がやりたいのかを書くんだよ。」

本を5冊、私にプレゼントしてくださった。
社員さんは言った。
「会長はあぁ言ってるけど、ここで働く以外にも道はある。
よく考えてから決めた方がいいよ。道はいくらでもある。」

私って東京でも意外とイケるのかな?
意外とできるかも。自信になった。

育ってきた環境や制限のなかで、勝手に自分の限界を決めていたのかもしれない。
それも無意識のうちに。
大学で学ぶことが好きだ。自信もある。
ただ、自分が思う以上に私には大きな夢をつかめる可能性と力があって
それに自分自身が気づいていないだけなのかもしれない。
だからこそ、わたしはどんな子も「自分なんか…」でなく
「私はできる。チャレンジするんだ✨」と思ってほしいのだ。

わたしの泣きたくなるような想い。
その原点は成長してきた日々の積み重ねの中にある。

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小学生のころ、たまごっちが買えなかった。

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小学3年のころ、仲の良い子はみんな持っていた。
わたしは買ってもらえなかった。
サンタさんに頼んでやっと手に入れた。
手に入れられただけ、わたしはまだしあわせもの?

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高校受験で商業高校を選んだのは、就職できるから。
勉強は好きだった。好奇心もあった。
けれども、お金がない。
選んだのではない。とりあえず親と同じ道を進んだ。
早く就職してお金を稼いで、今まで叶えられなかったことを自分で叶えるんだ。
お金がないからできない、ならばお金を自分で稼いで自分で自分を満たすんだ。

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高2、うつになった。

妹が病気になり両親は付き添いのため、家を空けることが多かった。
長女のわたしが弟の面倒みるんだ。小学校から続けたバレーボール、
かっこいい高校の先輩。部活も家事も一生懸命だった。

妹の病気が回復した。家に帰れる。
わたしは1年間部活と家事を全うした。何よりも立派な姉として家族に貢献できた。
「お母さんが家に帰ってくる。家事をしなくてもいい。甘えられる。」
と思った瞬間、学校に行けなくなった。がんばれなくなった。

妹のことで苦労した両親。妹はがんばったのに私はがんばれなくなった。
両親にこれ以上苦労をかけたくない。うつになって、妹のことと私のこと苦労を今まで以上にかけることになった自分が嫌いだった。いい子を貫き通せない弱い自分が嫌だった。

1年の休学と療養でうつが回復した。高校に復学した。

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高2のころ、友だちと遊んでいて
「スタバの最新作、飲んだ?おいしそうだよね〜」


友だちに付き添ってスタバに行った。
当時の全財産は¥300。コーヒーも買えなかった。

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内々定をいただいた会社の試験を受けた基準。
それは、県の奨学金返済サポート制度で奨学金の半分を県が返してくれること。
結局お金?
本当に心から行きたい会社なの?

自分でもよくわからない。

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わたしは幸せだ。
でも、自分の未来に制限がかかっている気がするし
制限されていることにすら気づかなかった。

わたしは素晴らしい人間だ。

大きな夢に挑戦しよう。

そう思える土台をすべての子どもたちが持てますように。
いろんな大人がいて、個性的な道があることを子どもたちに知らせて
思い描く未来を実現させてほしいと願っています。

何よりも自分がそんな未来を描きたいと思っているのだと思う。

佐世保の子どもたちがいろんな生き方を知って
わたしが応援団長になって、彼らが大きな夢を描けるようにできたらなぁ。

これがわたしの夢です😊



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