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ハラスメントはなぜだめなのか

昨今、ハラスメント問題が社会で認識され、話題になっている。
それについて、自分自身の考えをまとめようと思う。

ハラスメントとは

ハラスメントは、人に対する「嫌がらせ」や「いじめ」と定義されている。セクハラやパワハラ、マタハラは職場で発生しやすいものとして法律でも事業主に対して防止措置が義務づけられているようだ。

ハラスメント問題を巡る混乱

しかし、ハラスメントの定義は広がり続けている。

ハラスメントはもっと色々な場面で、色々な理由で行われている。「ハラスメント」を指摘することによって行なわれるハラハラというのもあるらしい。社会に存在する問題として広く認識されるようになり、対応されるようになってきたのは良い変化だったと思う。
ただ、ハラスメントへの対応でハラスメントになるという自体になっていることを考えると、「ハラスメント問題」を巡るさすがに混乱しすぎているのではないかと思う。

そこで、なぜハラスメントを無くさなければいけないかについて、整理してみたい。

ハラスメントが問題になる理由

ハラスメントが問題になる理由は、もちろん人が傷つくからである。
身体だけではなく、精神的に傷つけられたり、社会の中での尊厳が傷つく場合だってある。

また、ハラスメントは「強いもの」から「弱いもの」に対して行なわれる。
「強い」「弱い」の立場性は、大体人の一つの側面から見られるので、本当にその人が強かったり、弱かったりするとは限らない。

でも、その場における「強い人」が、その一側面の「強さ」だけで社会的権威を持ち、権力を持ち、「弱い人」を理不尽に抑圧するのだ。
それによって「弱い人」は傷つき、本来もっている力を制限されてしまう。

そんなわけで、ハラスメントは、傷ついた人の本来の力を制限する、とても深刻な問題である。力を制限された人は、本来の自分の力を知っていればいる程、「力が出せない」今の自分を責め、無力感を持ち、自己嫌悪する。
この気持ちは実際に力を制限されたことのある人にしか分からない。

ほんとうは「力が出せない」ことで自分を責める必要はそんなにない。
自分が力を出せない原因は、力を出せない環境のせいだからだ。

でも、能力主義の社会では「できない」理由を自分以外に求めてはいけないという謎の力が働いている。
ここが「力を出せない環境」なのは、自分自身の適応力が足りないからだ。
悪いのは「適応しづらい環境にいること」を選んでしまった自分だ。
こういう風に考えてしまいませんか?

そういう強迫観念みたいなものも相まって、被害を受けた人はどんどん落ち込んでいく。

力を出せない環境をつくっているのはだれだ。「強い」やつじゃないのか。
だからハラスメントは無くさないといけない。環境の方を変えていかないといけない。

ハラスメントの無くし方

じゃあ、どうやってハラスメントを無くしていけばよいのか。

ハラスメントが問題になってきたことで、今はハラスメントを受けた人がそのことを指摘すると、その時点で力が逆転してしまうような印象を受ける。
「ハラハラ」はそうやって生まれたのだろうと思う。

しかし、ハラスメントを指摘する人は「その行為をやめてほしい」のであって、指摘することで「強い人」の権威を落としたいわけではない。
なのに、指摘された人は自分の個別の事例ばかりに意識がいってしまって、そこが伝わらない。権威を持ち続けようと必死に弁明する。自分は悪くないんだ。意図してやったことではないんだと。

そうではない。大体、「弱い」人に間違いを指摘されたところで権威が落ちるわけではないのだ。

ハラスメント被害者に必要なのは、「傷つけられた事に対する保障」と「加害者からの謝罪、もうしませんという約束」だ。強くなることじゃない。加害者側にそれができないなら逃げてください。

加害者に必要なのは「自己反省と意識改革」だ。権威を守ることじゃない。

こんなことは、被害者と加害者の2者間では解決できない。
解決できるのならハラスメントにはなっていないからだ。
だから第3者が必要だ。被害者の話を聞いてケアして、加害者の話も聞いて、できれば加害者と対話して変化を与えられるような第3者が必要だ。

でもそんなの、第3者だってしんどいし疲れる。無理はよくない。
だから事業者がハラスメントの起こらない環境づくりから考えていかないといけない。

ちなみに、ハラスメントの起こらない環境づくりは、「法律で禁止されているからだめですよ」と脅すこととか「みんなの仲いい職場の雰囲気をつくりましょう」というだけでは不十分だ。
どれだけ仲がよくたって、上下関係は立場やジェンダー意識などによっていくらでもできてしまうのだ。

ハラスメントがない集団をつくるには、「全員が自分の力を発揮できる環境」にすることが重要である。それしか無いと思う。
逆にそれができれば、その環境はみんなが居心地の良い空間になるし、全員が思いっきり力を発揮できれば成果もでやすくなるだろう。

「ハラスメントのない環境づくり」は真剣に取り組めばいい事づくしなのだ。なのになんで無くならないんでしょうね。







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