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個性という言葉に救われたお話

幼少期から、いつも何かと闘うように日々を生きてきた。「生きることってラクじゃないね~」というソフトなものじゃなくて、毎日どこか命懸け。一体何と(誰と?)闘っているのかといえば、時に自分自身だったり、他人だったり、お金だったり。でも、もっと大きく捉えて、世の中とか世間とか、実在しない思い込みとか、そういうとてつもなく大きなものと常に闘ってきたと思うし進行形かもしれない。だから時々とても疲れる。

わたしは世の中の常識と言われるものが、とても窮屈に感じる。まず「右へならえ」を強要されるのが嫌だし、みんなと一緒がつまんない。義務教育が苦手だし、組織に属するのもしんどい。数年前は「補助金が適用されるのでお得ですよ?」と近づいてくる太陽光パネルの営業マンがめちゃくちゃ嫌いだった。あと「みんな入ってますから。常識ですから。」なんていうNHKの訪問契約マンも大嫌いだった。その当たり前的な圧は何?って違和感しか感じなかった。当たり前で常識なら、なんでわざわざ契約が必要なのさ。もっと「番組おもしろいのありますよ~」とか「こんな思い入れもって番組作ってます!」みたいに熱く語ってくれたら即契約したのに。結局NHKさんは、某衛星放送さんのタッキーのドラマやセカオワさんのライブ観たさで、あっさり契約。太陽光だって自分がしたい!と思ったら、補助金があろうがなかろうがお高くてもする。お金が惜しいんじゃない。自分の意志で、自分に必要かどうかを見極めて、自分で決めたいだけのお話。

だけど、そんなわたしは「協調性に欠ける」という欠点が目立つ人だろうし、昔なら完全に「村八分」の標的にされる人だろう。だから、精一杯の努力をして、世の中をうまく渡っていくために、自分を押し殺して回りに合わせていた。両親に愛してほしくて、自分を押し殺して親の氣に入る自分になろうとした。そして精神が崩壊した。自分を押し殺し続けてまで、周りに合わせて生きる意義がわからなくなった。

こんなわたしは生きる価値がない、と、みんなに合わせられない自分を全否定していた。みんなと同じことができない自分は、世の中の落ちこぼれだと思ってた。

人間て案外強い生き物で、意外に何をしても死ねなかった。それ以前にわたしが超ビビりだったという最大の難点もあったのだけど、今はそれでよかったと思っている。あの時死ななくてよかった。協調性に欠け、みんなに合わせることができない世間のお荷物も、活かせる道があることを知った。超ビビりでよかった。難点に救われた。

新しいもの好きで、機械もの好きだったことも功が奏した。わたしはWin95の時代、すでに某端末を使っていた。電話回線につなげて、電話料金が高くなるのをビクビク怯えながら使ってたけど、インターネットの世界はとてつもなく広くて自由だった。唯一わたしの居場所をそこに見つけた。チャット全盛期の時代、毎夜寝る間を惜しんで人とつながった。顔が見えない怖さ故、常に慎重な姿勢は貫いたけど、幸運なことにわたしは大きなミスもなく、とてもいい人たちと巡り会えた。パソコンの知識も操作もそこで教えてもらったし、チャットの会話についていきたくて自然とタイピングも早くなった。何しろ、そこでは「変わり者」という悪評価が、「個性」という魅力に変化した。

それからの人生は、常にインターネットを介して繋がった人たちから、今の自分につながる全てを学び、協調性が一切無用でむしろ邪魔になる「個性」の活かし方を教わった。ブログで見つけた人をロックオンして会いに行き、自らの師とし、学び、時には叱咤され、ありのままの自分を生きるという本当の意味を教えてもらった。

「自分で考えて、自分の意志で選択し、自分を生きる」
この、あたりまえのようで実はとても難しい生き方が、世の中の常識から外れることで実現できる。そう、常識から外れないと実現できない。前記事で師匠の言葉を書いたけど、普通と違うことを認められるかどうか。普通と違うことを自分に許せるかどうか。世間体から大きく外れることを悪としないで良しとすること。みんなと一緒じゃないことを万一誰かに咎められても、華麗にスルーを決められるかどうか。

…けっこうハードル高いよね。
まじめな人ほど、難しいよね。

そこで、わたしは「世間からはみ出た落ちこぼれのプロ」になろうと思ったの。「落ちこぼれの代表」になろうと思った。その代わり、わたしにしかできない強みも、同時に持とうと考えた。わたしの強みは

「心をボロボロに病んで復活した経験」
「精神薬を止めたという経験」
「父親との依存共依存という関係性を自ら断った経験」
「組織には属せないけど個人で事業を始めた経験」
「長年飲み続けた精神薬の副作用を数年かけてデトックスした経験」

などがある。ねぇこれってすごくない?一般的には社会不適合者だけど、一般の人がしらないこと、たくさん知ってる。たぶん、お医者様も知らないよきっと。だってお医者様は、お薬を処方はしても、自らが常用してるとは限らない。

あなたにもきっとあるよね、そんな経験。たとえ不名誉な経験だったとしても、あなたの経験は必ず、あなたの武器になる。そして、それがあなたの個性となり力になる。誰もが経験しないことだからこそ、そこに価値が生まれる。

今とても心がしんどい人へ。
あなたの経験は、いつか誰かの助けになり、支えとなり、そして希望になれる。何ひとつ無駄じゃないよ。全てがあなたの「個性」だから。

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