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【4/10 雑談】

こんにちは、名古屋茉莉亜(ナゴヤマリア)です。

いつも私の投稿を見ていただいてありがとうございます。
前回の投稿は、現代社会によくある「エイプリルフール」について、偏見と皮肉を込めて書かせていただきました。SNSの書き込みでよく見る「ウソ」に私たちはどのような気持ちで見ているのか、さらに「4月1日」という日にちの影響を受けているため、ご報告の書き込みが真実なのかどうか判断がしにくいものでもあります。
なので、「エイプリルフール」という文化は、果たして過去の「遺産」として片付けられる時代になるのか、SNS社会をうまく駆使した人間による文化の復活はあるのか。非常に興味があります。

元々、「エイプリルフール」とは、どのような文化であったのか。
その成り立ちを調べてみました。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

『ウィキペディア』で見る限り、この文化に尊厳や伝統といった重みはあまりないことが分かる。それよりも「四月馬鹿」と表現する日本は、かなり踏み込んで直訳していることがうかがえる。

「四月馬鹿」面白い言葉の響きである。
それにしても国王が暦を変えただけで、4月1日が「嘘の新年」呼ばわりされるなんて人間もつくづく面白い生き物であると再認識した。

それで、『ウィキペディア』を読み進めていると面白い項目を目にする。

「エイプリルフールとメディア」の関係性についてだ。

つまり、この文化を今の形として作り上げたのが、他でもない「メディア」だというのだ。
だから、SNS社会が形成された今現在でもその形は続いているのだ。しかも、より進化した上で誰からも発信と閲覧ができる時代背景も重なり、すごく悪しき姿へと変貌を遂げているのである。

メディアは、「エイプリルフール」について嘘の情報が拡散されることも危惧して注意喚起をするが、当の本人がやっていた事実を知るとどのような顔をするか見物である。
とはいえ、こういったことをするのは、今の時代だと個人や企業などであり、「メディア」は情報を介する選択でしかない。ただ、こう考えると人間全員を対象として、「四月馬鹿」を生み出すことは可能であることを否定できないのである。

「エイプリルフール」とは、人間の悪戯心を用いた「情報の遊び」であり、各国の直訳には、マイナスの意味や背景が潜んでいることは否めないのである。
SNS社会が形成され、日々進化していく情報産業であるが、その恩恵を受けて今宵も「エイプリルフール」という怪物は、人々の心を弄ぶのだろう。

「4月1日」は好きになれないのかもしれないが、この文化が存在する限りは常に人間とともにその歴史を辿るのであろう。

今回の雑談でしたが、かなり偏見味のある文章になってしまったと思っています。すごく反省ですね。もう少し綺麗な文章が書けるよう、精進します。
また、私の『note』を見ていただいてありがとうございます。
4月は、新学期ということもあり、桜に晴れ姿に雪解けの時期もあり、気分がスッキリとした状態で迎える人が多いと思います。
私から言えることがあるとすれば、コミュニケーションは一定以上取ったほうがいいです。年上でも年下でも同世代でも。とにかく「喋ること」と「聞くこと」の機会、習慣をつけることをおすすめします。

では、また。

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