名古屋茉莉亜(ナゴヤマリア)

2023.09.08〜 現在無職。『私は、私なりの生き方がある』を軸に「世界の誰か」に…

名古屋茉莉亜(ナゴヤマリア)

2023.09.08〜 現在無職。『私は、私なりの生き方がある』を軸に「世界の誰か」に響く詩を投稿しています。

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【歴史は面白いのか?】

名古屋茉莉亜(ナゴヤマリア)です。 突然ですが、実は私、社会科の教員免許を持っているのです。 大学では経済学部だったので、教育とは趣向の違った学問を勉強していましたが、教職課程を受講して、学部の授業と並行して学んでいました。 一応、地理歴史・公民を学校現場で教えられる資格は持っているのです。 本当は写真を載せたいですが、個人情報が乗っちゃっているものですし、書いている今現在は教員免許の所在が分からないですし、なにより探すのが面倒くさい。わざわざ写真取るのも面倒くさいので、

    • 【緑と心の白さ】

       清廉潔白の身でありながら私はどこかに影を落として生きている。    なにも犯していないはずなのに生きていて申し訳ないと感じてしまっている。  だから、緑のあるこの土地に引っ越して細々と生きているのではないか。    どうして生きづらくなってしまったのか。理由なんてものはすぐに思い付く。ただ、思いついたところでなにも変わらないし、なにも生まれない。感づいた時点でもう生きてる感覚が後悔へと変わるのだ。    「緑と白」    この2つの色覚的要素は、攻撃性を持たないものだと思っ

      • 【斥けるのは自らか】

         生きたい思いがあったとて。  この思いを拒めるものは誰か。  それは他でもない私自身なのだ。    私は、「生きたい」という気持ちと裏腹に「死ぬかもしれない」という恐怖に怯えている。その瞬間ごとに生きようとする歩みを意地でも止めようと揺さぶりにかける。    人生とはそういうものだ。生きるということは、同時に恐怖と共に歩むことだ。  これに関しては分かっていても。分かりきっていても恐ろしいものなのだ。    死を斥けることは容易いことではない。  どのようにして歩みを止めず

        • 【4/10 雑談】

          こんにちは、名古屋茉莉亜(ナゴヤマリア)です。 いつも私の投稿を見ていただいてありがとうございます。 前回の投稿は、現代社会によくある「エイプリルフール」について、偏見と皮肉を込めて書かせていただきました。SNSの書き込みでよく見る「ウソ」に私たちはどのような気持ちで見ているのか、さらに「4月1日」という日にちの影響を受けているため、ご報告の書き込みが真実なのかどうか判断がしにくいものでもあります。 なので、「エイプリルフール」という文化は、果たして過去の「遺産」として片付

          【4月1日】

           エイプリルフール、私は嫌いだ。  誰がこんなバカみたいなことを考えたのか、到底理解はできない。  一日だけ虚言をついてみんなから笑われるお花畑みたいな空間になるだろうと簡潔に考える奴らは私の中では「やっぱり嫌い」の部類に入る。  最近では、嘘をついてシャレにならなくなっているし、嘘かと思ったら本当の報告だったものもある。  「嘘を嘘であると見抜ける人」でないとエイプリルフールは言論の玉突き事故を引き起こしかねない。  現に、多重事故を起こしているっていうのにやめない。  こ

          「若くして実績を作るためには」

          と、大層なタイトルを付けましたが、当の本人は「実績」も「名声」も「富」もない無名な書き手であります。 なので、結論をいうと「そんなルートは自分で作れない」です。 じゃあ、なんのためにこの記事を投稿したのか? 結局は、他人が自分の実績を作るのです。 ただ、誤解をしてほしくない部分があります。 それは、「他人任せ」ということではないところです。 自分が今までにしてきたことを周りの人に話すときを想像してください。 SNSの記事でバズったとて、未来永劫語り継がれることはないですし

          「若くして実績を作るためには」

          「七面楚歌」

          今の現代社会は「七面楚歌」の状況だと思っている。 前後左右のみならず、上下中央にも逃げることができない"モノ”が存在している。 つまり、逃げ道が自然と塞がれてしまう状況をより強固にしたものを例えて「七面楚歌」と私は定義づけた。 言葉は時代とともに変容し、新しい言葉を生み出す原動力にもなる。 一つ、言うことを忘れていた。 「七面楚歌」の恐ろしさは、「中央」があることだ。 自分自身を疑うことも選択肢の一つとして当然のように存在している。 この世界の「本当」は、果たしてど

          「生きること、死ぬこと」

          この現代社会において、命を絶とうとしているあなたへ。 どうせ死ぬ瞬間はいつか来ます。 ただ、自らが手を加えて絶つことは誰も予想していないのです。 生きているのだからどうせ死にます。 だからこそ、時に泥臭く生き続けても良いんじゃないかなと思います。 人間、生まれたからには死ぬ時が決められています。 だから、あなた自身が手を加えることをしなくても良いんです。 死ぬタイミングは不思議と分かるものです。 最愛の人を亡くした時、病気にかかった時、老衰で命がもう途絶えそうな時……

          「生きること、死ぬこと」

          「覚悟を決めることの難しさ」

          覚悟を決めることから逃げてしまうあなたへ。 それが人間の本質なんだって。だから、この気持ちに「劣等感」を持たなくてもいいんです。 大事なのは、その覚悟を決める「瞬間に出会っている」か。 その瞬間を味わったときに少しだけ現実を見ることが出来るだろう。 暗かった道が少しだけ明かりが照らされ、道が見えてくるのではないだろうか。 そこから覚悟を決めることは遅くないさ。 それまでの時間は嘘のように待ってくれるのだから。 覚悟を決めることの難しさを味わうことが人間をまた一段と色づけ

          「覚悟を決めることの難しさ」

          【10/24 雑談】

          こんばんは、名古屋茉莉亜(なごやまりあ)です。 今夜も雑談の方をしていきたいなと思いますが、書く側は夜の時間帯に書いていますので「こんばんは」と言っていますが、見る側には朝も夜も関係はないんです。いつでも見れるという事実がこの現代社会の産物なのですから。 今回の画像に関しては、すみませんが「投稿に見合う画像(?)」から使わさせていただいています。写真主さんありがとうございます。 なぜ、タバコの写真なのか。 それは、「嫌いではあるが好きでもある」からです。 タバコ、私は

          「目覚める瞬間はいつまでも」

          人は、人生の選択肢において、何かに目覚める。 その瞬間は、いつ、どこで、誰の影響で、どのようにして目覚めるかは分からない。ただ、その瞬間から手に取るように「操作」出来るのである。 目覚める瞬間はいつまでもどこぞに転がっている。 その機会を手にするかどうかは本当にあなた次第なのだ。 当たり前のことを言っているが、これこそが人生の「根幹」である。 この事実から目を背けてはいけない。 書いている「私」を含めて、時間を費やさなければ経験できないものなんだから。

          「目覚める瞬間はいつまでも」

          【10/21】雑談

          こんにちは。名古屋茉莉亜(なごやまりあ)と申します。 いつもは、つたない文章を書いているのですが、今回はブログといった感じで、いつもの私の姿を発信できればいいなと思います。 早速ですが、何かしらの画像を載せないと「ブログ」っぽさが出ないと思いましたので、麻雀で「四暗刻単騎」を和了した画像を載せたいと思います。 この時は流石に脳汁が出ました。ドバドバと。 こういった感じで、ゲームをすることが好きです。昔は日を跨ぐほど、のめり込んでいました。今は仕事もありますので、ほどほど

          「反抗」

          人と同じことはしたくない。

          可能性

          「夢がない」「生きる意味がない」と思っている人へ。 そう思う瞬間はいくらでもあるし、どんなに成功している人や負け知らずな人でも「弱音」の一つは思ったり、口に出したり、実際に社会で経験したり、挫折する瞬間はいくらでもある。 そう思った瞬間に「生きている」という実感を味わってほしい。 人間として生きている。これが命を授かった私たちの「幸せ」である。 「可能性」という言葉自体に嘘偽りはない。 「可能性」という言葉に誇りを持っているかどうか。 その有無によって人はこれからを視れ

          好きな食べ物

          「好きな食べ物はなんですか?」 こう聞かれた時、今までの私は場面ごとによって品物を変えていた。 「すき焼き」「豚の角煮」「玉ねぎ」「白米」などなど……。 ただ、この瞬間から必ずこの品物を言おうと思う。 「味噌汁」と。 まぁ、聞き手はリアクションに困ると思うが。

          始まり

          私は、未熟な人間だ。 決して創作力があるとは思わないし、文章力は中学生の作文レベルかもしれない。 それでも未熟な人間だからこそ、紡げる言葉があるのかもしれない。 始まりはいつも突然で、終わりはやがて訪れる。 その時が来るまで、必死に言葉を紡ごうではないか。 私たちは、言葉とともに歩む人間なんだから。