蛮人と女戦士 #7
「倍額だと……?」
男からの突然たる吹っ掛けに、女は戸惑いの表情を見せた。たしかに己は得物を失ったが、未だ装備も戦意も健在である。あたかも戦闘能力を失ったかのように扱われるのは、まったくの心外だった。
「蛮人。貴様、私を」
「聞け、文明人」
抗議の声を上げようとするローレンに、ガノンは言葉を挟んだ。いよいよ憮然とした表情を隠せなくなった彼女に対し、男は冷徹に告げた。
「その倍額の半金、ポメダ金貨五十をもって、貴様への依頼がある」
「なに?」
男の言い分に、いよいよ女は疑問符を浮かべた。それでは、倍額にした意味はどこに行くというのだ。いや、まさか。
「おれは文明人の金貨を持っていないからな。少し雑ではあるが、このような方法でしか頼めない」
「……」
ローレンは、ガノンの言い分をようやく理解した。つまるところ、ポメダ金貨五十枚の契約のみが、この場においては生きるのだ。
「話すに任せておけば、なにをごちゃごちゃと。それがしを倒す算段か? いくら金貨を積んだところで、すべてが無意味よ」
しばらく無視されていた闇の導師が、ようやくここで口を挟んだ。未だ余裕を崩すことなく、右の手指に二つの闇を、左の掌に姫君の収められている闇珠を浮かべている。彼は白皙の美顔を愉悦に歪めながら、大いに口を開いた。
「下手の考え、休むに似たり。それがしにかかれば、うぬらの考えることなぞある程度は見当がつく。蛮族のガノンとやら。うぬは女に、この鏡を砕かせようとしたのだろう?」
「……」
ハクアの右手から闇が消え、指が大鏡を撫でる。漆黒という言葉さえも生ぬるいほどに黒い鏡は、光さえも飲み込みそうなほどに、ただただ佇んでいた。
「この大鏡は闇の象徴。我ら眷属はこれを崇めることにより、大いなる闇より力を賜る。この通り」
ハクアの右手が、鏡から離れる。しかしその腕は、大きく変質していた。法服は肩の辺りで破れ、筋骨隆々、五指に鋭い爪を備えた黒き腕が現れていた。導師はその腕を、大きく横薙ぎに振るう。凄まじい突風が、ガノンたちへと襲い掛かった。
「くっ!」
ここで前に出たのは、女戦士だった。重装備に身を固める近衛部隊戦士長は薙刀を置いて腰を落とし、両腕を顔の前に固めて突風をその身に受ける。装備全ての紋様文言が発光し、彼女が吹き飛ばぬように祝福した。その時。
「いいぞ文明人。そのままだ」
上半身裸の蛮人が、低く声を上げた。彼は軽く絨毯を蹴ると、そのまま女戦士の背をも蹴上がった。
「少し柔らかいか……」
小さくつぶやきながら、男が真紅の絨毯を駆け抜ける。その両側を埋める信者たちは、動かない。あくまで参列客、ただ見届ける者、ということだろうか。
「かあっ!」
「ハッ!」
導師の黒腕が、再び空気を薙ぐ。しかしガノンの剣は、突風も衝撃波も切り裂いていく。戦神はガノンに、いかなる力を授けているのか。否。彼は【使徒】である。ほぼほぼ神に等しい力を、今の彼は有していた。見えないものを見通すことなど、児戯にも等しいありさまだった。
「キエエエーーーッ!」
南方蛮族の鋭い叫びが、いと高らかに広間を叩いた。ただでさえハクアより高い背を持つ蛮人はまたも絨毯を蹴り、跳び上がる。目指すは、黒き腕を備えし導師の……脳天! ハクアは己の第六感で、蛮族の狙いを見抜いた!
「チイイイッ!」
えも言われぬ高音で舌を打ち、闇導師は左手に携えていた闇を打ち消す。同時に姫が解放され、気品を隠せぬお忍び装束のままに、床に転げた。黒腕を上に、左腕を下に。ハクアはいかようにしてでも、ガノンの豪剣を阻む腹積もりであった。
ガイィィィンッッッ!!!
広い婚儀の間に、閃光と鈍い音が広がっていく。主観時間では永遠にも似た刹那の後、ハクアは恐る恐る目を開けた。それこそが、自身が助かった証明であるとも気付かずに。そして慟哭し、痛みに襲われた。
「お、おおおーっ! 痛い! 痛むぅ!」
ハクアは腕をだらりと下げ、如何ともし難い恐怖と痛みに震えていた。彼の腕は、肘の少し先からすべてが、見事に裁ち落とされていた。ガノンの豪剣を生身で受けた、絶大なる代償であった。
「ひ、姫……」
彼は、妻にと望んだ女のもとへと向かった。未だその力は目覚めていないが、その王女には絶大な魔力が秘められていた。彼はそれを、闇の啓示にて知らされたのだ。己の力でそれを目覚めさせれば、己の腕もたちどころに治るであろう。そう信じて、彼は未だこんこんと眠る王女を目指す。しかし。
「それ以上、王女に近付くな」
「一歩でも動けば、殺す」
左から欠けた薙刀、右から変哲もない剣。首元に突き付けられた刃が、ついに闇導師の動きを阻んだ。ハクアは、逡巡した。舌を噛むか、それとも抵抗して死ぬか。そこまで考えたところで、最後の選択肢を思いつく。かつて己の逸物を捧げたように、今度は、生命を。
「大いなる闇よ!」
彼は高らかに叫んだ。直後、変哲もない剣が動いた。導師は、己が浮いたような感覚を覚えた。しかし浮遊感はすぐに消える。自らの身体を目にしながら、床へと落ちていく。
「わ、れ、は……も……」
力の抜けた口から、続けようとした文言が漏れる。しかし、それはもはや意味を成さなかった。闇導師ハクアの首は地に落ち、その身体も、前のめりに崩折れた。
こうしてログダン王国を覆った闇は、戦士二人の手によって晴らされたのだった。
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