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賽の目は踊る(前編)

 小さな街の、小さな酒場。そこに、黄金色にけぶる瞳はいた。しかしその様子は、常と異なるありさまであった。

「ぬう……!」

 火吹き山を思わせる赤き長髪をポリポリと掻き、五角形の盾じみた造形をした顔には、深いシワを漂わせている。常ならば魁偉と壮健を誇るはずの半裸の肉体も、他者から見ればどこかしぼんでいた。

「さあ、どうするね。戦士の旦那」

 彼の視線の先には、一人の人物がいた。机を挟む形で、二人は座っている。丸い机の上には小さな盆があり、その中には三つの六面骰子サイコロがあった。不意に細く、しなやか指が、その骰子をつまみ上げる。慣れた手付きであり、淀みのない仕草であった。

「金はほとんど底をついたと見えるし、椅子にかけてある剣でも賭けるかい? まあ、多めに見繕っても一回こっきりだろうけど」

 骰子を手で弄びながら、人物は言う。その腕は細い。戦士の類でないことは明白だ。いや。黒一色の一枚装束を纏っているし、太腿や胸元からはわずかながらに素肌が覗いている。口元には紅が引かれ、目元には瞳を強調するような拵えが施されている。髪の色は黒く、しかし短い。だが、女子おなごであることは見まごうはずもなかった。

「……」

 赤い髪の男――すなわち荒野に生きる戦士たるラーカンツのガノンは、無言で剣を手に取った。そして、躊躇なくそれを机上に乗せる。すなわち、『賭ける』という意志表示だ。

「随分と羽振りが良いんだねえ。このままだと旦那、身ぐるみ剥がされておしまいだよ?」
「この身一つあれば、どこにでも行ける。文明人は無闇矢鱈に物で身を固めるが、我らラーカンツの民は、この身一つこそが身上よ」

 黄金色にけぶる瞳が、黒き瞳を真っ直ぐに見つめる。その色は、吸い込まれそうなほどに黒い。ほとんどが黒で構成された女の姿は、どことなく蠱惑的であった。美神びしんに愛されているとのたまったとしても、過言ではない。おそらく常人であれば、たちまちに引き込まれてしまうのだろう。だが、ガノンは南方蛮族の出であり、戦神に愛されし者である。その程度の魅惑チャームに、引き込まれるような男ではなかった。

「……頑固だねえ」
「仕掛けておいて、のたまうか」

 女が、呆れた仕草を見せる。しかしガノンは、渋い面のままに言葉を放った。さもありなん。彼は己が文化を尊ぶ、蛮人の戦士である。常であれば、このような文明人の賽の目遊びなどに興じるはずがない。そんな彼がこの場で女と対峙しているのには、理由があった。

***

「戦士の旦那。相当な手持ちだね」
「なんの用だ。ねやの伴なら断るぞ」

 ほんの一刻前のことである。酒場で酒を嗜むガノンに、その女は声を掛けて来たのだ。黒装束の襞を靡かせ、流し目さえも浮かべながら、彼女は告げた。

「閨もいいけど、もう少し楽しい遊びがしたと思ってね。布袋ぬのぶくろの具合から見るに、相当に稼いだと見た」
「コイツは、真っ当な依頼で得た金だ。文明人の与太遊びになど、誰が注ぐか」
「そう……」

 ガノンのにべもない返事に、女はわずかに考え込む。しかし次の瞬間には、笑みさえ浮かべてこう言った。

「なら、こういう趣向にしよう。アタシは、【賽の目繰りのガラリア】。アタシの賽の目カラクリが見抜ければ、旦那の勝ち。見抜けなければ、賭け金は頂く。どうだい?」
「……そう名乗るからには、腕を見せろ」
「あいよ」

 そう言うとガラリアは、たちまちのうちに壺――茶碗程度の大きさのザル――と六つの骰子を手にした。壺とは、骰子賭博の一種で使われる、賽の目を一時隠すためのものである。彼女はそこに骰子を入れると、無造作にカラカラと振り、それから机上に置く。そして、数回左右に動かすと。

「……なるほど。名乗るだけはあるか」
「だろう?」

 彼女が壺を上げると、そこには恐るべき光景があった。まずは、六個の骰子が見事に積み上がっていること。続いて、その積みが正確至極極まりなく、わずかな狂いさえもないこと。すなわち、完全なる直方体であること。そして、最後にガノンを瞠目させしは――

「下から賽の目を並べるとはな」

 そう。最下の賽の「一」の目から「二」「三」「四」「五」「六」。ガノンに見せる骰子の面を、見事に並べてみせたのである。

「どうだい。アタシの手業てわざ、興味が出ただろう?」
「……良かろう」

 先述の通り、常であれば、ガノンもこの程度の挑発には心を動かさなかっただろう。しかしながらこの時の彼は、珍しいことに暇をかこっていた。旅路の間の、ほんのかすかな間隙だった。勝負事には時の運というものがあるが、この時の運は、まさにガラリアに向いていたのだろう。

「なら勝負だ。単純に、骰子三つの大小比べと行こうか。盆の中に骰子を投げ込み、数を比べる。出目の大きい方が勝ち。一つでも盆を外せば即座に負け。ただし、『一』の目が三つ揃った場合」
「……いかなる数さえも上回る、か」
「話が早くて、助かるよ」
「故郷にも、そうした遊びがない訳ではないからな」
「なるほどねえ」

 言葉を重ねながら、ガラリアは準備を整えていく。まずは骰子三つを壺へとしまい、いずこかへと追いやる。続けて残りの三つ――此度の勝負に使うそれを、高らかに掲げ。

「さて皆様方お立会い。これよりわたくし、こちらにおわす戦士のお方と賽の目勝負をいたします。この中に心得ある方がいらっしゃれば、ぜひとも賽の見分を願いたく」

 朗々と、流れるように言上を並べ立てる。その淀みのなさは、【賽の目繰り】の二つ名に違わぬものと言えた。

「どれどれ」
「よっと。見てやろうじゃないかい」

 すると、たちまち数人の遊び人が現れ、骰子を手に取る。中には少々よこしまな意志を持って現れた者もいたが、それらはサラリとかわされ、すげなく自分の席へと戻らされた。

「ふむ。仕込み骰子ではないな」
「こっちもだ」

 遊び人たちが口々に言い、骰子をガラリアの手へと戻す。かくして、勝負の公平性は担保された。これより先、いかなる手業が行われようともそれは技術、技である。それでいてカラクリを見抜けとは異な話ではある。しかしこの時、すでにガノンの興味は勝負へと向いていた。向いてしまっていた。

「では、始めようか」

 最後の準備たる盆を置きながら、女は嫋やかに口を開いた。

***

 盆に並んだ賽の目は、またしても『一』が三つであった。

「っ……」
「これで五度目だね。今日はどうやら、運命神にも愛されているようだ」

 歯噛みの表情を見せるガノンを尻目に、ガラリアは剣を回収する。良く言えば誰にでも使える、悪く言えば何の変哲もない手頃な剣だ。売り払ったところで、せいぜい何十枚かのポメダ銀貨が転がり込んで来るぐらいだろう。しかし彼女は、宝剣を扱うようにそれをしまい込んだ。

「随分と、丁重に扱うのだな」
「この手の勝負には、アヤというのがあるんだ。賭けられた物を丁重に扱うのも、その一つだね」

 ガラリアが、再び蠱惑的に微笑む。その姿に、見物人どもがわめき立つ。最初から見ていた幾人かの遊び人はもとより、今やこの勝負は、酒場の空気さえもさらっていた。

「おいらもあんなイイ女とお近付きになりてえな……」
「やめとけ。どんなトゲがあるかわかんねえぞ」
「蛮人の旦那も、かわいそうに」

 小声に大声、様々な声がこだまする。しかしガノンは、それらすべてを断ち切っていた。机上、盤面、何の変哲もない盆、そして骰子。すべてに気を、巡らせていた。黄金色にけぶる瞳に、全神経を集中させていた。ただし、戦神には祈らない。戦神は、あくまでも戦いの神である。戦における神である。このような遊び――命を懸けぬ戯れ事に付き合わせれば、たちまち己を見離すであろう。彼はそう、信仰していた。それらをしばらく続けた後、やおらガノンは立ち上がった。隆々たる筋肉と下穿きが、人々の目を穿つ。小高い山を思わせる巨体、陽光に焼かれた素肌が、酒場の者どもをどよめかせた。

「どうした旦那。手仕舞いかい? それとも……」

 途端に差し込まれるは女の声。だがガノンは、大きなまなこを光らせて言った。

「次で最後だ。おれの身体と魂。そのすべてを、賭け金とする」

後編へ続く

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