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11/21 文章のお土産、自分の現実【考察】

読者は、分かりやすいプラスを求めている

過日、とあるnoteのテキストにこうあった。

「読んだ人へのお土産を」

これは半分意訳だが、その通りだ。

『何者でもない誰か』の、ただの独白。薄い情報。それを読まされて、喜ぶ人はいるのか?

そう考えた時、この論法は成立する。

この日刊南雲は南雲麗の思考の記録であり、独白である。

故に、誰得である。

だが、個人的にはある程度発信も意識している以上。読者にも得がある方がより良いものになりうる。

つまり、この点に関しては小説家と一緒だ。

小説の場合、読者は「面白さ」を得る。

では、思考記録の場合は? 「情報」だ。それもただの情報じゃあない。「自分に役立つ情報」だ。

そう。読者は。「分かりやすいプラス」を求めているのだ。

それは思考の過程とか。自分に流用できるポイントとか。

とにかくお役立ち要素だ。

自分に役立たないと悟れば、読み手は去る。俺だってそうしてきたのに、今更の話だった。


そこに読者がいるならば。必然、実験は行われる

思うところがあって、ここ数日の記事は実験を繰り返していた。

最初から結論を出す。細かく見出しを設ける。

1~2日前に記事に取り掛かり、当日朝に推敲する。

アウトプット要素を打ち出す。あからさまなお土産を用意する。

とにかく、文字を打ち出す中に計画を込めた。結果、PVはともかくとしてスキは増えた。

だが、熱が足りないのだろう。人を引き込む物が少ないのだろう。

未だ人になにかを与えるような文章になっていない。

人に「こいつ、応援してみたい」と思わせる文章になっていない。

そんな現実が、目の前に厳しく立っている。

故に、実験は続く


未来へ

俺には恐らく、インプットが足りない。無論、アウトプットもだ。

薄い経験を軽い脳で咀嚼して書いているから、こうなるのだ。

当然だが、これは推測である。推測である以上。経験を積み上げる他ない。

だから。また今日も記事を残す。

おわれ

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