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カップ焼きそばの小宇宙から、思いを馳せて

一時期販売中止になっていた、あのカップ焼きそばのビニールを破いていく。かつてののパッケージが好きだった自分としては、今ひとつ現在のやり方は好みではない。だが致し方なしだ。規定の線まで蓋を開け、かやくとスパイス、ソースを取り出した。

そして乾麺の上にかやくを空ける。入り口が狭い上に偏るので地味に嫌いだが、これもまた仕方のない話だ。そしてお湯を注ぎ、反対側の湯切り口を開ける。昔はここで蓋をかぶせるだけでよかったのだが。ともあれ、三分だ。大雑把に足し算をして待つこととしよう。

かくして三分後。いよいよ歓喜の時だ。湯切り口からお湯を捨て、蓋を全部開ける至福の時。この時に湯切りが甘いとソースがボケる。揺すり、底を押し、全ての湯を吐き出させる。ここまで来れば、後は。

ソースとスパイス、ふりかけを天からぶち撒け、小宇宙を引っ掻き混ぜる。この時に小宇宙をうっかり「コスモ」と読むと銀河戦争が始まったり聖域で12の宮を突破する羽目になってたり冥王と地球滅亡を賭けた戦をする事になったりするのでオススメしない。
そして。両の手を静かに合わせて。
「いただきます」

#物書きのみんな自分の文体でカップ焼きそばの作り方書こうよ  というTwitterのタグで遊んでみたやつを再編集したものです。
自分の中でカップ焼きそばはペ○ングが最強でして。ちょっとお値段は高いのですが、肉や具がしっかり入っているのがいいのです。
上にも書いた通り昔のスタイルの方がなんとなく気に入っていたのですが……ええ、色々とありましたね……。

色々と。人生いろいろ、人間も色々。皆違って、皆いい。
……『綺麗事』ですなあ。
いや、理想論は好きです。イチかゼロか論もついやっちゃいます。でもさ。

それで済んだら世の中もっと上手く回ってるって。

そんな性善説で回ってたら生活保護の水際戦術とか、あるのかないのかはさておいて。それが政権を追い詰める算段になるからと、いつまでも疑惑を追い回して是々非々しない野党とか、きっとないですよ。だから現実というのでしょうけど。

……失礼。エッセイついでに暴論を述べてしまいました。とかく世のことはままならず、信じ抜く人を間違えたり、自己に対する柱がなかったりすると。人生はとにかく迷走しやすくなります。
でも、麺のようにほつれて絡んだ人生にも、何かが絡んで美味しく仕上がったら。それはそれでいいよね、などと思うのでした。

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