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蛮人と女戦士 #5

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 敵勢に紛れ込んではや一刻ほど。いよいよ目的地たるマリナ山の麓が近付いてきた。同時に、古びた砦も視界に入って来る。しかし百騎もの軍勢を繰り出して来たにしては、遠目にはその防備は手薄に見えた。

「どう見る」

 ローレンは角馬を駆りつつ、ガノンに問うた。狂信者が幾人残っているかは、まったくの不明だ。迂闊に城へ侵入し、囲まれてしまえば元も子もない。彼女は慎重に、相棒の意見を求めた。

「一つ。手勢の不足」
「ふむ」

 即座の答えに、ローレンは舌を巻いた。先の判断といい、ガノンがただの蛮人、戦狂いではないことがはっきりとわかった。彼女は無言で、続きを促した。

「二つ。城内に伏兵」
「定石だな」

 繰り出された答えに、ローレンは応じた。兵法を綴った書物には、半ば共通項じみて書かれている話だった。だが眼の前の蛮族が、それをどのようにして知ったのか。彼女は気にしつつも、今は捨て置くことにした。ガノンが今一つ、口を開いたからだ。

「三つ。城内でなにかが執り行われている」
「っ」

 ローレンは思わず、舌打ちを晒してしまった。城内で行われる行為に、思い当たる節があったからだ。そう。彼女が敬愛する王女が、闇の導師ハクアへと嫁ぐことになる儀式だ。しかしそれには――

「まだ一日、残されていたはずだ」

 彼女はつぶやく。敵たる者が示した期日は、五日のはずだ。ガノンと出会ったのは昨日で、出発までに一日、その後に一日を費やした記憶がある。間に合ったはずだと、彼女は強弁した。しかしガノンは、首を横に振った。

「闇の眷属が約定破りをせぬ保証が、どこにある?」
「う……」

 ローレンは言葉に詰まった。己の敵手を思い返す。闇から出て来て不意討ちをするような男が、真に約定を守るだろうか。えも言われぬ不安が、彼女の脳裏を脅かしていく。しかしガノンは、言葉を止めようとはしなかった。

「加えて、だ。俺が聞かされた言葉が正しければ、輩は『手順を踏む必要がある』とのたまっていたな?」
「あ、ああ。そうだ。奴はたしかに、そう言っていた」

 ローレンは記憶から絞り出す。たしかに闇導師は、そのように言っていた。つまり。

「婚礼の儀はともかくとして、それまでの何らかの行為が、姫に対して行われている可能性はある」
「……くっ!」

 ローレンは、馬の手綱を叩こうとした。もはや猶予はなく、いても立ってもいられなかった。だがガノンは、彼女の腕を掴み、それを制した。

「止めてくれるな。私は」
「今駆け出せば、敗勢に尾行を悟られる。ここまでの機知を、無為にするのか文明人」

 腕を掴まれる力が、いや増していく。痛みを覚えたところで、ローレンは力なく首を横に振った。手を離されれば腕はきしみ、武器を振るうにも支障が出そうだった。心なしか、一回り細くなったようにさえ思えてしまった。

「すまぬ。心を乱した」
「構わぬ。おれも不安を煽り過ぎた」

 互いに詫びを入れ、意識を平静に戻す。声を極力押し殺していたこともあり、前方を行く敗軍どもには気付かれることはなかった。

「しかし、いかなる可能性も排除はできん。ましてや、それが戦ならばな。戦神にいわく、『戦場には霧がかかるのが常。希望はすなわち、絶望の引き金』だ」

 ローレンは無言のままに前を、古城を見つめていた。後少しまで来たはずなのに、いまだ遠くに見えているかの如く思えてしまう。王女のもとへと至るまでに、後どれだけの苦難が待ち受けているのだろうか。それでも彼女は、思い直す。今は歩みを、進める他にないのだ。そうしてまた半刻。二人はついに、城の前へとたどりつく。

「開門を待つ」
「上出来だ」

 二人は敗軍から距離を取り、息をひそめた。角馬は荒野へ放した。陽光に弱い闇のしもべは、走り回るうちに骨へと返ることだろう。

「策は」
「一気に踏み込む」
「良かろう」

 城門を遠くに見据えつつ、経緯を見守る。しかしいつまで経っても城門は開かない。敗軍どもが、城門前でオロオロするさまが見える。やがてその答えは、『声』によってもたらされた。

『うぬらの働き、しかと見た。たった二人の少勢に振り回された挙げ句おめおめと逃げ帰り――』

 上空から響く声に、思わず二人も天を見上げる。知識のない者であれば、神々からの啓示かとさえまごうような状況だった。

「闇ならば、あり得る。だが神は指し示さぬ。見守り、授けるのみ」
「そうか」

 しかしガノンは、冷静だった。ローレンも、素直に従う。神の力は、そこまで近しいものではない。文言、紋様を身に抱く者として、彼女も心得ていた。それを埒外の行為に使った時、手痛い罰を受けることも。

『招かれざる客を引き寄せた。その罪、万死に値する』

 二人が語る間も、声は続く。その意味は、二人にもよくわかった。事実二人は目にする。追い続けていた敗軍の群れが、流砂と化した荒野に飲まれていく。

「――! ――――!」

 敗軍の悲鳴が、荒野に響く。しかし二人は動かなかった。闇に堕ちた者を助けたところで、彼らはもはや人には戻れない。それどころか、最悪の場合は己が流砂に飲まれる恐れがある。動かぬという選択こそが、最善だった。
 やがて、地響きを立てて流砂は止まった。未だ十騎程度は残されていたであろう敗軍は、見るも無惨に、きれいさっぱりとこの世から消え去っていた。

「……」

 二人は、声もないままに砦の上空を見つめた。声の主、おそらくはハクアは、己らの存在に気づいている。最初の計画を阻まれた以上、相手の動きを待つ他なかった。

『さて、招かれざる客……王女の護衛よ』

 果たして、『声』は二人へと注がれた。二人は返事をしない。ローレンたちには、自身たちが見られているという確信があった。

『決めた時限以内に、この砦までたどり着いた褒美だ。入城を許そう。そこにいる、蛮人の連れも含めてだ』
「ラーカンツのガノンだ」
「よせ」

 蛮人呼ばわりされたガノンが怒りをあらわにするが、ローレンは腕にてそれを制した。『声』に文句を言ったところでなに一つ意味を成さない。おそらくは、聞こえてもいないのだから。

「その怒りは、後で食らわせてやれば良い」
「……俺は力ずくでも機会を得るぞ、文明人」
「構わん」
『さあ、準備ができたら入場したまえ。大切な婚礼の招待客だ。無礼はしない』

 戦意を燻らせる二人に、『声』は指示を下す。二人はそれに従い、半刻掛けて城内へと入った。そして。

「おお……」
「なんと……」

 城内にしつらえられた、荘厳なる婚礼会場に息を呑まされた。

#6へと続く

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