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うた 宇宙(そら)のまにまに 20

別に欠けてなんかないよ

「自分には欠けているところがあるのだと 思う」
と嘆くドラマの主人公に 
彼女の友人が真っ直ぐな目で語り掛けた
「別に欠けてなんかないよ」

そう聞くと、
ふいに、わたくしの目から
涙がポロリとこぼれてしまった

不覚にも思わず流れた涙が
己を苛む欠如感の存在を
わたくしに知らしめた

此処ではない何処か
このままではいけない 
欠けている、足りていない自分

倖せを求めるとは、
そういう厄介な設定の中で 
もがくことなのだろうか?

まさか自分もその罠に 
すっぽりと嵌っていたとは 愕きだ

足りていなくてもよいし、
足りないかどうかも怪しいものだと
「理屈」で自分の怯えをねじ伏せ
押し込めていたのだと

知ってしまった
不意打ちの涙

「別に欠けてなんかないよ」が
その開かずの扉を開く鍵だとは
自分の中の不思議と秘密を
思い知る

ドラマに、その脚本に感謝した深い夜

わたくしの 無自覚な瑕の在り処と
それへの対処に思いをめぐらせる

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欠如感という魔物に、
かなりの日本人が、
追い込まれているのではないかと、
思うこの頃だ。

少し考えれば怪しさマックスな、
あの生物薬剤を、
それを作る会社も、効能効果も、内容物も、副作用も殆ど確認もせず、
マスコミの言うままに、
健やかな我が身を差し出して、
疑うことなく何度も体内に取り込む人々。

「私は社会のために尽くしていますよ」と
良き心がけをアピールするだけでは
飽き足らず、
仲間?内で
いつ打ったか、何回目かと
確認作業に熱中する。

それが、足りていないことへの不安感を、
互いの承認で補償しようと躍起になっているように、
わたくしの目には映るのだ。

が、わたくし自身も、その不足感に蝕まれている一人であった。

「目くそ鼻くそを嗤う」のとおり、
なんともはや
みっともないことだ。

それでも、やはり、それだからこそ、
自らの不安を認め、
それを自覚して生きるのだ。
確かに何らかの凸凹はあるのだが、
それを殊更に卑下することなく、
急場しのぎのキズ隠しを試みるのでもなく、
丸ごと受容しながら
段々と自分なりの良い感じの形に
変えていければ良いのではないか。

痛みを生じる尖った欠損のように見える端を、
まろやかなカーブをまとった形に
近付けていく
ことは、できなくはないはずだ。

まるで手びねりで器を仕上げるように、
口当たりも柔らかな飲み口のラインに
それを仕上げられたら。

その器に美味しい人生の果実を入れることが叶うならば、
わたくしの心は、きっとかろく晴れやかになるだろう。


大切な何かを包んでいるように 膨らむ蕾 桔梗花

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。



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