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幸せに生きるとは-極論-


地球上で幸せに生きる方法は、

[本質の自分として生きる]

たったそれだけなんですよね。


はい。この世の仕組みはいつだっていたってとってもシンプル。

[本質の自分として生きる]だけ。


なのに、その、本質の自分になることが、なかなか難しかったりするのよ。


「本質の自分として生きましょう。」
と言われると、
『本音、本心で生きるってことね!』
と、捉えがちですが、ここも注意が必要です。

ずーっと、【自分が自覚している本音、本心】をひた隠しに生きてきた人は、それらの隠してきた本音、本心をさらけ出して生きることが必要なフェーズも、確かにあります。

しかし、【自分が自覚している本音、本心】よりももう少し深い部分に【自分が自覚していない本音、本心】が眠っている人も多く、【自分が自覚していない本音、本心】に気付かなければいけないフェーズもいずれ訪れます。

そして、【本質の自分】という存在は、【自分が自覚していなかった本音、本心】よりももう少し深い部分に眠っているため、それを堀り当てるまでには少々時間も掛かる上に、なかなか精神的にしんどい思いをする場合も多いかもしれません。


当然、目に見えない、ディープな世界観の話なので、こんな単純な3段階という訳ではないのですが、
『自分は今、どんなフェーズにいるんだろう?』
というものを捉える基準にできると思うので、今日は、この3段階で例えた話を書きますね!


【自分が自覚している本音、本心】で生きるフェーズ


例えば
『本当はこの人のこと、嫌いなんだけど…友達付き合いしなきゃいけないからなぁ…。』
『本当は、この家事やりたくないんだけど、自分がやらないといけないからなぁ…。』
なんて、ひっそり考えながらも
我慢しながらでもそれを続けなければいけない。』
と耐えているようなとき。こういう、
自分が我慢しなければいけない。』
のような思い込みを手放さなければいけないフェーズも結構あるんですよね。

こういうフェーズでは、
[一気に自分の嫌な事柄を止める]
のがなかなかはばかられる場合の方が多いと思うので、
・徐々にその嫌な事柄に取り組む頻度を減らしていく
・新しい予定を先に入れてしまう
・第三者にボソッと言ってみる

の、ようにゆるやか~にトライしてみることで負担が減る場合がほとんどだと思います。


嫌いな人にわざわざ
「あなたのこと、嫌いです!」
なんて言う必要なんかも全然無くて、しれーっと
「ごめんなさい、今ちょっと忙しくて…」
「ドラマにハマっちゃって…」
「趣味に夢中で…」
など、カドの立たない回避方法は探せばいくらでもあります。


自分の嫌いな作業があっても
「実はこの作業苦手で…」
と相談してみたら、
「え!自分はこの作業好きなので、変わりますよ!」
なんて、あっさり引き受けてくれる人が見付かるケースも結構あるんですよね。←仕事の場合なんかだと、代わりに別の仕事を請け負うことを提案してみることで、お互いにとってWin-Winになったりします。


こういうフェーズのときは、自分が自覚している『嫌だ』と思うことに対して、対処に移るまでが早ければ早いほど、解決もあっさり済む場合がほとんどです。

我慢した期間が長ければ長いほど、徐々に解決にも時間が掛かり出す上に、行わないといけない行動に思い切りが必要になることも多いです。

一概には言えませんが
[『嫌だ!』と感じたらすぐ、しれーっと動く]
方が、簡単に解決しやすいです。


先ほど書いた通り、
「嫌なんですよね…。」
と、ネガティブな訴えに走るよりも、
「実は、新しく取り組みたいことができて…。」
などと、前向きな訴えかけができるように工夫する方がむしろ応援される場合もあると思うので、【『嫌』の代替案】まで用意してから行動に移すのはかなりおすすめです。


【自分が自覚していない本音、本心】に気付くフェーズ


このフェーズは、心にチクッとくるような部分に触れるケースが増え始めると思います。

結構極端な例えだと
『嫌い!だと思っていた相手と、実は仲良くしたかった。』
とか
『好きだ!と思っていた事柄が、実は親に褒められるためだけにやっていただけで、実は自分は好きではなかった。』
など、少し複雑な心理模様が絡んでくるフェーズです。


このフェーズでは
[行動を起こすよりも気付くことが重要]
になってくるので、様々な面で上手くいかないことが起こりがちです。

現実的な行動よりも、自分の心の中と向き合うとこを促される訳ですね。

多くの場合、その【上手くいかない事柄】に焦点が当たってしまい、気付かなければいけない部分に気付きにくくなってしまいやすいのですが、
『これが上手くいかないことで、自分はどうしてこんなに悲しい(イライラする)気分になるんだろう?』
など、自分の心の深い部分と向き合うことを促されているので注意しなくてはいけません。


このフェーズは、トラウマ的な部分と向き合わざるを得ないケースも多いので、なかなか
・怖い
・辛い
・苦しい
という気分に苛まれる場面も多いかもしれません。

ただ、気付かなければいけないことに気付いてしまえば、
『なーんだ。こんなに長いこと抱えてる必要無かったな。』
と、あっさり過去のトラウマが手放されて終わることも多いので、瞬間的なネガティブ感情に惑わされないで欲しいところです。


『嫌い!』だと感じていたけど、実は過去に、仲良くしようとして冷たくあしらわれた経験から傷付いて、嫌いになっていた。
『でも、本当は仲良くしたかったんだよね。』
と、いう隠れてしまっていた本心に気付かなければなりません。

冷たくあしらわれたのは、もしかするとたまたま相手の機嫌や体調が悪いタイミングだっただけかもしれませんし、相手も自分のことが好きだったのに、恥ずかしくて素っ気なくしてしまった、みたいな切ない行き違いも結構あるあるですよね。

『自分は嫌われてるんだ…。』
などの勘違いを手放すことによって、嫌っていた相手本人に限らず、他の人との関係性が向上することが多いので、この手の気付きはとても大切です。


また、世の中でよく見聞きするのは、
『本当は勉強なんて嫌いだけど、成績が良いと親が喜んでくれたから…』
ということで自分は勉強が好きだと思い込んでいるタイプですね。

↑私個人的にめっちゃ邪魔に感じるタイプなので、ちょっとトゲのある言い方になるかもしれませんが、この手のタイプは、深い深い部分の本心では
『勉強は嫌い。』
なので、
本質を理解すること
よりも
点数さえ取れれば何でも良い
のような言動を取りがちなんですよね。

🔺の記事の内容が伝わりやすいと思いますが、いちいち【点数の取れる解答】を求めてくるので、思考の柔軟性に欠けるというか、他者までも【点数の取れる解答】の範疇に縛ろうとしてくるので、【心から知識欲のある人】の足を引っ張る側面があるんですよね。


勉強に限らず、何においても『本当は好きじゃないんだけど、これをやってると他人が喜んでくれるから…』という意識で行っている事柄は、"見えない部分で"【心から本当に好きでやってる人】の邪魔をしたり、足を引っ張る場合が多いんですよ。

より、沢山の人が
自分は、これが、心から好きだ!』
自分は、これが、本当は嫌いだ!』
と、自覚した上で行動することで、世の中の幸福度も効率も上がるんです。←多分、"見えない部分で"での話になるので、ちょっとイメージはしにくいかもしれませんが、刺さる人に刺さってくれたらそれで良いです。

このフェーズはとにかく
[現実的な行動]
よりも
[心の中の棚卸し]
が重要になるフェーズなので、1人で静かに向き合う場合の方が多いのかもしれません。

焦らず、無理せず、自分のペースを貫けることがカギとなります。

自分ファーストを心掛けましょう。


【本質の自分】で生きるフェーズ


このフェーズは、私もまだ片足を突っ込んだところなので、深く語れる訳でもないのですが、このフェーズになると、少し人間離れしてきます。

このフェーズに到ると、ジャッジがほぼ無くなっているので、
『自分の行動が良いか?悪いか?』
『自分の行動が正しいか?間違いか?』
という基準で選ばずに
『やりたいからやる!』
『嫌だから止める!』
行動原理が非常にシンプルになります。


このフェーズで生きるようになると、目の前に起こる現象、事柄に振り回されなくなってくるので、本当に困り事が減るんですよね。

多分、お金で例えると分かりやすいと思うのですが、

[自分の財布の中に1,000円だけ入っている、給料日まであと10日]

という状況に陥った場合、焦ってしまう人の方が多いと思います。

ところが、本質の自分で生きるフェーズに入ると、
[自分の財布の中に1,000円だけ入っている、給料日まであと10日]
という状況に陥ったとしても
『だから?』
と、いうような感覚になります。

明日臨時収入が入るかもしれない、宝くじが当たるかもしれない、会社から何らかの費用が思わぬ形で返ってくる流れになるかもしれない、チャージしていたプリペイドカードを思い出すかもしれない…

何が起こるか分からないので、別に現状がどうであろうと、
『ふーん。』
という感じになるんですよ。

目の前の出来事に一喜一憂せずに、
『財布の中に1,000円入ってるんだな。』
位にしか感じない感覚になります。

勿論、物理的(現実的)な何かが起こることでしか何ともならないことも理解はしているのですが、その現状に対して無駄なジャッジが無いので
『財布の中に1,000円入ってるんだな。』
と、あるがままにしか状況を見ないのです。

そんな状況下でも
『ステーキ食べたいな。』
と感じれば臆すること無く、クレカ等を利用して堂々とステーキを食べられるダイアモンドメンタルになる感じです。


分かりやすいように極端に例えましたが、あながちオーバーな訳でもなく、
『目の前に見えている現状はどうでもいい。』
という部分がしっかり腑に落ちてるので、何を行うにも自分の感情、感覚が主体となります。

そのため、いちいち悩むこともほぼ無くなってくるんですよね。


この感覚に到るための具体的な考え方は、

の記事に書いてあるので、必要な人は活用してください。

今日はもっと端的にまとめますが、【本質の自分】の行動原理には
『○○だからXXする。』
『△△だからYYしたい。』
『□□だからZZをしたくない。』
のようなまどろっこしい理由が一切無く
『XXしよ~っと。』
『YYしよ~っと。』
『ZZ止めよ~っと。』
気付いたらやってる、気付いたら止めてる位に自然に動いているものがほとんどなんですよね。


【本質の自分】で動くためには
『よぉし!やるぞ!』
なんて、思い切りは必要無いんです。努力も要りません。自然体で動いてるものなんです。

ただし、【人間としての意識】が0になる訳でも無いので、場合によっては迷ったり、二の足を踏んでしまうこともあるでしょう。そうなったらそうなったで、思い切るか、やはり止めるか、その場で決め直せば良いだけで、深く考え過ぎる必要もありません。

このフェーズは、ほぼインスピレーションや感覚の世界観になってくるので、体感してみないと理解は少し難しいかもしれませんね。


①自分が自覚している本音、本心で生きるフェーズ
②自分が自覚していない本音、本心で生きるフェーズ
③本質の自分で生きるフェーズ

この順番で本質の自分へと目覚めていく人がほとんどだと思います。

①→②のフェーズに向かう程、感情が大きく揺さぶられる出来事が増えやすく、
②→③のフェーズに向かう程、一瞬感情が大きく触れたとしても、【起きてしまった事柄】としてだけで捉えられるようになるまでが早くなる。

こういう特性があります。これも正にエントロピーの拡大と縮小の一連の流れに似ていますが、この感覚も何となく理解していると、自分が今どんなフェーズにいるのか、目安にしやすいはずです。

これもまたあくまで目安でしかないので、結局のところ、自分の感覚を最も大事にしなければいけないという点は忘れないでください。


本質の自分で生きられるようになる程に、

[問題事を問題事だと思わなくなる]

これが最も大きいんです。

更に、本質の自分で生きるようになることで、

[実際に問題事もあまり起こらず、スムーズにことが運ぶ]

という場面も増えるんですよ。

これは決して
「お金を沢山稼げるようになるから~…」
「嫌いな人が周りからいなくなるから~…」
などというスケールの小さい世界観の話ではなくて、

[自分の生きたい姿で人生を進められるようになる]

ということなんですよね。

たまに、願望実現して一時大成したにも拘わらず、あまり幸せそうじゃない人なんかもいますが、そういう人たちにとっては[大成すること]が[その人たちにとっての本質で生きること]ではなかった、途中経過に過ぎなかった、ということだったりする訳です。

何も[大成すること]が万人にとっての本質的な望みではないはずなのですが、一般的なイメージに囚われて、【かりそめの大望】にしがみついているからエネルギーに不和を抱えている人もいるということですね。

【自分の生きたい姿】は、自分の物理的な目を介しているとなかなか見付け辛かったりもするので、自分の感覚を研ぎ澄ませるのはとっても大切なんです。


ノミという生き物は、ほんの2mm程度の体長で30~40cmジャンプできるようです。

人間に換算すると、人間の体長で300mほど跳べるようなものらしいです。

ところが、高さ5cmのケースに蓋をして閉じ込めておくと、5cm未満しか跳べなくなるそうです。

5cm未満しか跳べなくなったノミが、また30~40cm跳ぶようになるにはどうしたら良いのか。

30~40cm跳べているノミの群の中に入れておくと、また跳ぶようになるのだそうです。


そう。私たちは、
[自分が自分の本質で生きられるようになること]こそが、社会貢献であり、人助けの本質なのです。

この話に出会ったあなたには、幸せになる責務があるのかもしれませんよ。



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