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認めなきゃ制御できない


昨日の話を書いてて思い出したんだけど、極端な動物愛護の思想は本当に気を付けた方が良いと私は思ってる。



大分前に書いたけど、私たち人間の肉体には太古から受け継いできた、野性的、動物的な遺伝子(プログラム)が残っています。だから、遺伝子の中に【残虐性】が残ってる人の方が多いんですよね。程度の差は人それぞれ違うと思いますけど。

更に、人間の遺伝子の中に眠る【残虐性】という遺伝子を発揮するかしないかは、個人個人の"理性"に委ねられてる要素も大きくて、各々が気を付けないと、"無意識"の内に残虐性が出てきてしまうことも0じゃないんですよ。



『自分は愛に生きる!』
と、掲げて生きるも良しではありますが、一方で
『自分(人間)の中には、残虐性が残っているんだ!』
ということを認め、自覚して制御するメンタルを育てることもとてつもなく重要です。

この話も前に書いたものですが、スピリチュアルなこと、ハートフルなこと、優しさ、ほっこり、みたいな世界観が大好きな人の中には、
『自分の中に残虐性があるんだ。』
っていう事実を認められない人も多いです。

こういう人間は、私は本当に厄介だと感じていて、嫌いです。



超超超単純な例え話で書きます。

『自分は、毎日の食事で、自分が摂取すべき1日分のカロリーを大幅に上回っているんだ!』
と、いうことを自覚、理解、認められてないと、
『よし、じゃあ日々の摂取カロリーを減らすように心掛けないと!』
って、取り組めないんですよね。

『自分が毎日摂っている食事量が多過ぎる訳がない!』
と、頑なに思い続けている人間は、
『よし、日々の摂取カロリーを減らそう!』
なんて考えません。

この話と同じように、
『自分の中には、残虐性があるんだ!』
ということを認められて初めて
『その、残虐性を乗り越えて、セーブしないといけないよね。』
と、考えられる訳です。



自分の中の残虐性を認められない人というのは、他者を無意識に、しかも平気で傷付けたとしても
『自分のような愛の存在が、他人を傷付けるはずがない!』
と、頑なに自分の行動を認めず、認めないから直さずに、一生他者を傷付け続けます。

自分が掲げる正義の反対にいる相手に対して、『正義』を大義名分に傷付ける人の一部もこの手の
『自分が他者を傷付けているはずがない!』
と信じて疑わずに攻撃を止めないタイプもいますよね。

「あなたの行為は、ただの攻撃でしかありませんよ。」
と、いうことが全く通じないヤツです。



私は、基本的には殺生は良くないとは思ってるんです。

だけど、肉食が定着してしまってる現代とか、山と人里の住み分けを完璧にはできてない世の中で、多少の命のやり取りが発生することは仕方ないと思うんですよね。

それに、私は輪廻転生を信じてる側の人間だから、
動物が死ぬこと≒次に人間として生まれてくる可能性を作ってあげたこと

かもしれない


のだから、殺生全てが完全な悪かどうかなんて、人間の私では判断できないんですよ。

だから、闇雲に
「動物を殺すなー!」
と訴える行為の方が良くないと考えてます。



更に、先程の説明の通り
『人間の遺伝子の中には残虐性が一部残っているんだ。』
という部分をしっかりと認めた上で、
『だから、その残虐性をセーブできるようにしていかないとね。』
という方向性で物事を考えることの方がよっぽど大事だと思ってるんです。

人間が生きるため、食のための殺生

人間の快楽虐殺
を混同して考えてはいけないと私は思います。

確実に無くすべきは後者であって、それらを無くすためにも
『人間の遺伝子の中には残虐性が一部残っている。』
という点はしっかり認めてる人の数は増えた方が良いのではないでしょうか。



とにかく私は、
「何が何でも動物を殺してはいけないー!!!」
という思想の方が危ないから気を付けてね、とひっそり思ってます。

他者に対して
「その行為は悪だー!止めなさいー!」
と、攻撃するのではなく、
『自分には攻撃性があるんだ!』
ということをしっかり認める勇気を持った上で、
『自分の攻撃性をコントロールしてやる!』
と、考えられる人間の数が増えると良いなって願ってます。

自分を深く理解、制御できてない人には、他者を攻撃する資格なんてないということがもっと一般的になれば、もっと平和も広まると思うんだけどな?



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