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学習障がいの後輩の話



{2021.06.29の記事}

今日書きたい話の中に、便宜上発達障がいや、定型発達という言葉を使います。

⚠️ご了承頂けた方のみお読みください。⚠️

前回書いた話 

の続きというか、関連する話を書きます。


以前、私が所属していた職場の後輩が明らかに学習障がいでした。

仮にCさんと名付けておきます。

Cさんは、新入社員で、私はその職場のパート2年目という関係性でした。

このとき、Cさんが発達障がいだとは誰も思いもしていません。

その職場は本当に空気が悪く、激務な上に陰湿さ漂うという、私自身もとても嫌な環境でした。

そこに配属されたCさんは、新人という立場を考慮しても、[仕事ができない]というのが目に見えて分かる様なタイプでした。

そんなCさんなので、最悪な環境下では、古株の人達から、ハッキリ言っていじめに近い扱いを受けまくっていたのです。

私はそういう状態を見て見ぬフリをするのがとても嫌でしたが、私個人でどうすることも出来なかったことから、休憩時に、
「何も出来ないけど、話位は聞けるから、何かあったら言ってください。」
といった感じで連絡先を交換する流れになります。

その後数ヶ月して、[私が直接Cさんに仕事を教える]という状況になりました。

Cさんは、仕事への意欲はとてもあり、
「出来るようになりたい!」
という意識は本当に強い方でした。

私はそのCさんの気持ちを尊重したかったので、丁寧に仕事を教えました。

勿論、自分の業務はこなした上で、Cさんへの教育・フォロー…と、ただでさえ激務ではありましたが、[Cさんが仕事ができるようにさえなれば、Cさんがいじめられる姿を見なくて済む]と、私の同期のパート仲間達からも少しずつ協力を得ながら毎日を過ごしていました。

ところが、Cさん、説明した内容を理解することにとてつもない時間がかかります。

更には、頭では理解しているのに、全く体現が出来ません。

挙げ句の果てに、やっと体現出来たことも、翌日になると振り出しに戻ります。

お陰で、Cさんの仕事は完全に誰かがフォローしなければ完成しない、という日々が続いたのです。

そんな日々の中で、私は
『この人…発達障がいだ…。』と確信しました。

私の見立てでは、CさんにはASDとLDの要素があるように感じました。

当時の私達の仕事は、商品を作る業務だったので、Cさんの出す大量なロスは無視の出来ない問題でした。

尚且つ、私自身の激務・教育に負担も感じていました。

何より、
『Cさんには不適合な職なのでは?』
という思いも強く、Cさんの為にも
・Cさんに発達障がいの恐れがあること
・一度診断を受けることで周りからの理解も得られる可能性があること
・Cさんに合った仕事に出会うチャンスを与えるきっかけ
 
を考慮して、
「上司という立場からい1度話をしてみて欲しいです。」
と上司に私が話しました。

ところが答えはNOでした。

仕事は教えていても、上司では無い私の立場から、Cさんに直接
「診断を受けてみては?」
との提案もできず、ただただ同じことを何度も何度も教えました。

こうして、進まないCさんへの教育を続けた結果、私がカサンドラ症候群のような状態になり、結果的に私が仕事を辞めるという選択をしたのです。

その後、Cさんがどうなったのかは今では知りません。

私はCさんからも職場からも離れ、時間をかけて自分を回復させました。


と、まぁこの様な経験があった訳です。

私が経験したということは、世の中では一定数の人が発達障がいという問題と対峙していると思うのですよ。

そもそも、"パート"が新人とはいえ"社員"に教育しなければならない体勢もどうかと思うのですが、趣旨がずれるので今回は保留に致しましょう。

ですが、定型発達の立場の人間が発達障がいの人間に仕事を教えるという、しかも自分の業務をこなした上で…ということは、非常に負担が大きいです。

"教育だけ"が仕事なのであれば、発達障がいというものは壁にならないかもしれません。

ところが、残念なことに、職場は学校では無いのですよね。

自分の業務+αとしての教育は、ただでさえ負担にも関わらず、【微妙なニュアンス】【空気感】などが理解されない、教えてもキリがない…

こんな状況が続く環境って、無くした方が良いと思うんです。

「あなた、発達障がいの恐れがありますよ。」
という最終兵器ワード…

確かに、侮辱や名誉毀損にスレスレだという恐れもあるのかもしれません。

文中の会社がどのような意図でこの一言を葬ったのか、私にはわかりませんが、会社が社員という立場のCさんの尊厳を守った後ろで、パートの立場の私の尊厳が害されていた、という事実はありました。

私は、私の様な思いをする立場の人がいなくなる社会を望みます。

一方Cさんは、
・仕事が出来るようになりたい自分
・仕事が出来るようにならない自分
・意味もなくいじめられる自分

に対して、どの様な気持ちでいたのでしょう。

私には分かりません。

向いていない仕事を怒られながら続けるということ、
『どう感じていたのかな?』と気になるところでもあります。

私のお節介ですが。

文中に書いた通り、会社側がたった一言
「診断を受けてみては?」
と提案しただけで
・理不尽ないじめを防ぐチャンス、
・Cさんに非常に適した天職に出会えるチャンス
を与えてあげられたのでは?

と、これまた私のお節介が拭えません。

勿論、CさんにはCさんの運命・人生があるので、私が口出しし過ぎることは違うと思っています。

ただ、本当に理不尽ないじめや、不向きな環境下でのストレスって、かなり辛いものがあるので、そういった[莫大なストレスを抱えながら働かざるを得ない]という人が減るような社会を、私は望んでいます。

理不尽ないじめ問題や、不適合な職場問題は、定型発達の人にも言える問題なことは間違いありません。

そんな中でも、[当たり前に取れるであろうコミュニケーション]が[当たり前に取れない]というストレス。

ここに発達障がいと定型発達の壁を感じるんです。

しかし、発達障がいと定型発達が上手くコミュニケーションが取れないという問題は、個人の問題ではなく社会で取り組まなければならない問題なのではないでしょうか?

多くの人が少しずつ、そういった問題への意識を持てる様になると、多くの人にとって快適な環境を作れるのではないでしょうか?

私自身の体験から、色々と思うことはありましたが、
『過去のことなので、もうどうでも良いや。』という自分がいます。

ですが、
『せっかく私が体験した苦しみを、昇華させなければ勿体ないよね。』

こんな思いからこの話を書きました。

発達障がいと定型発達の壁について、少しでも何かを考える誰かのきっかけになれると嬉しいです。

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