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なぜ失敗という概念があるのか?


皆さんはイトメンさんのチャンポンめん知ってますか?

一部界隈ではメジャーだけど、あまり知らない人の方が多いイメージです。

公式の作り方では、麺が湯だってから、かやくとスープを入れると記載されてますが、断然お湯が沸く前の水のときから、かやくを入れておいた方が出汁が出て美味しいです。

今ちょこっと調べてみたら私と同意見の人をちらほら見掛けたので、やはりなぜこの作法が公式でないのか、の方が不思議ですね *⌒艸⌒

🔻この記事🔻

にてサラッと書いてるけど、この世には【失敗】なんて無いんです。

何か行動して、思った結果が得られなかったとしても、それは新しい世界線・可能性を生んだことに過ぎないのだから、何も失っても敗れてもいない訳です。

【失敗】という概念は変なのです。


私は上記の概念が腑に落ちているので、こうなってくると

『何で世の中には【失敗】という概念があるんだろう?』

と不思議になるんですよ。

なので、ちょっと考えてみました。


多くの場合、赤ちゃんや子供の頃の私たちには【失敗】なんて概念は当然ありません。

そこから、例えば転んでしまった、何か壊してしまった、何か落としてしまった…など、不遇な体験をした際や、上手く思った通りにいかなかった際に周りの大人が
『失敗しちゃったね。』
と、いう風に言い続けることで、失敗という概念が徐々に備わっていくはずです。

また、保育園や幼稚園、学校…と、周りの子供たちの中で、何か上手くいかなかったときに笑い者にされてしまったり、テストで高得点が取れなかったときに周りの大人に叱られたり…と、繰り返す内にそれらを[失敗した経験]と定義付け、失敗を恐れるようになっていきます。


こうして紐解いてみると、【失敗】という概念が備わる要因って、単なる他人からの余計な干渉でしかなく、究極に自分軸を貫き通すことができれば、失敗なんて怖くないどころか、【失敗】という概念すら無くなるじゃないですか。

自分の人生を歩む上で【失敗】という概念など、本当に要らないってことなんです。

失敗は成功の基
なんて言葉もありますが、そもそも失敗という概念を無くして良いのではないでしょうか。


少しだけ話が逸れますが、

[良い面は探そうとしないと見付けにくい]

という部分を改めて心に留めておくことで、失敗を失敗として換算せずに済むと思うので、その辺りの話も書いておきます。


まぁ、この部分も、これまでに何度か違う形で表現してきた内容の繰り返しにはなるのですが、
人間は、本能的に『危険!』だと感じるとオーバーに反応する性質がありますよね。

【自分にとっての危険(NG)】にフォーカスしやすい自動機能が備わってるんですよ。(批判厨の一部は頭(理性)を使えてないお猿さんなので、この本能アラートに忠実だから、他人を叩く訳です。)

尚且つ、この世には
2:6:2の法則
というものがあり、
良性2:中性6:悪性2
というバランスに自然に落ち着くように働く性質もあります。

人間の本能と自然界の性質が合わさると、
【2割の良性】
よりも
【2割の悪性】
にフォーカスが向きやすい挙げ句、中性までもが悪性のように感じられやすくなるという事態に陥りやすいんですよね。

だから、私たちは常に

『良い面を探そう!』

という意識を自ら持つように心掛けないと自動的に悪い面にフォーカスしてしまいやすいのです。


また、例えば登録者数100万人のYouTuberがいたとすれば、そのYouTuberさんは凄いですよね。

私がそんな数字を獲得するのはなかなか難しいと思います。

ところが、日本国民を約1億人と少なく見積もったとしても、
[9900万人はチャンネル登録していない]
という事実を私たちはつい忘れてしまいがちなんですよね。もっと言えば、世界には80億人という人間が存在しているので、[79億9900万人は登録していない]事実があります。

これも、どこにフォーカスするかの違いで、YouTuber自身の立場であれば当然[100万人も登録してくれた]という点にフォーカスした方が断然良いし、ただ、一視聴者という立場であれば[9900万人は登録していない]という事実を冷静に見極めることもときに必要です。


こんな風に、私たちは常に
『どこに、何にフォーカスを向けるのか』
という部分にかなり意識を払っていなければ、自動的に選択の意思が流されてしまいがちということですね。

また、こういった人間の自動機能を利用しているのがマーケティングなどの販売戦略であり、そういったものに乗ってしまいやすいタイプほど人間の本能に流されてしまっているということでもあります。


さて。私たちは、常に

[自分にとっての良性に意識を向けるように心掛ける]

ということに取り組んでおいた方が良いという部分は何となく伝わったと思いますが、それと失敗に何の関係があるのか、話を繋いでいきますね。

私たちが行動すると、何かしらの結果が生まれます。

その結果に対して、
『失敗だった!』
と、ジャッジしているのは自分の勝手な思い込みでしかないという点は一番始めに書いた話で何となくご理解いただいていますよね。

また、思い出して欲しいのが、この世は二元性であるということ。

良い面と悪い面は必ずセットで生まれているという性質があることです。

つまり、私たちが行動したことで生まれた結果は、マイナス面も、プラス面も必ず同時に保持している訳です。

そうなれば、行動した結果生まれたプラス面をあえて見付けるようにフォーカスを心掛けることで、失敗という概念は必ず無くなるのです。

つまり、
[自分にとっての良性に意識を向けるように心掛けることが、失敗という概念を無くせる]ということなのです。


理屈はいつでもとってもシンプル!


ですが、私たちは幼い頃からの何かしらのトラウマによって、
『失敗すること=怖いこと、恥ずかしいこと』
というビリーフを抱えてしまっているのです。

これらのビリーフを抱えたエピソードが人それぞれ異なるので、どうやってそれを解消したら良いのかという点も、人それぞれ異なってしまうので一概に
『この方法で解消できます!』
と言いきれるものはありません。

ただ、

『実は、失敗という概念自体が間違ってたんだ!』

という意識で物事を考えてみることで、色々と開けてくる人は多いと思うので、是非1度、この考え方で色々と見返してみてください。

きっと、すくんでいた足が動き出すことと思います。


また、トラウマを解消するトリガーは人それぞれ異なるのは事実ですが、
『この出来事によってトラウマになっていたのか!』
トリガーを見付けただけで解消される人も多いはずなので、できそうな人は、ご自身のエピソードを振り返ってみることをおすすめします。

どんなエピソードが思い起こされたとしても、

[他人の干渉は、自分にとっては不要な干渉だった]

という点には自信を持ってくださいね!


私たちは常に
『あの行動は失敗だった…。』
という意識でフォーカスを繰り返してしまうことで、同時に派生しているはずの新しい可能性の部分を見落としがちなんですよね。

そういう、見落とされがちな新しい可能性という部分を取りこぼさずに得ていける人が増えますように☆

新しい可能性を生み出し続ける人が増えますように☆



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