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介護3.0がいい。

横木淳平さんの提唱する「介護3.0」に圧倒される。私もケアの仕事をしているため、今回はグーンと実感をもって迫ってきた。

以前取材させて頂いたときの記事は↓

 「香川で今週末こんなイベントがあります。タイミング合えば是非」と横木さんからメッセージをもらった。

 「瀬戸内暮らしの大学 暮らしの保健室」。
 福祉のベーシックインフラ事業として、地域に“暮らしのライフセーバー”を広めようと、同大学と三豊市共催で、横木さんの講義が行われることに。

※瀬戸内暮らしの大学…2022年オープン。香川県西部の2つのまち・三豊市と観音寺市を中心としたフィールドで、「魚さばきクラス」「昭和歌謡でダンスクラス」など、暮らしに沿った身近なテーマを主とした様々なクラスが開講されている。誰もが参加できるしくみ。

捉えかたを変える

最初に見せてくれたのが、横木さんが普段どんなことをしているのかを紹介する動画。
……………
ある施設の利用者さん。
施設を抜けだして自宅へ帰ろうとしていた。
そこへ車で現れた横木さん、

「○○さーん、送ってくよ」

車に乗った利用者さんの顔はやわらかい。車内では歌を口ずさんでむしろご機嫌。
やがて自宅前に到着。

横木さん「どうする?降りる?」

利用者さん「どこでもいいよ」

横木さん「じゃあドライブしながら帰ろっか。(自宅に向かって)また来まーす」
……………

「帰宅しようとしている人に自宅前で30分説得すのと、オーケー、オーケーって30分ドライブするのと、使っている職員の人数も労働力も変わらない。ドライブしながらだと、その空間で利用者さんのことも知れるし、信頼まで得られちゃう。大変なことをしろって言っているわけじゃない。捉え方を変えればいい」(横木さん)

水分量の摂取を増やしたい。
朝・昼・おやつ・夜だけでは不足するから、摂取を勧める回数を増やすとしても「(何度も勧められることを)嫌がられないか」。

 そうじゃない。おしゃべりの機会を増やして、話をしながら「お茶でもどう?」って勧めればいい。
 利用者さんは介護者の「水分とって」と促す高圧的な態度に嫌気をさすのであって、あくまでコミュニケーションスキルの質の話。

“圧倒的な個別ケア”とは

 横木さんは、大事なのは圧倒的な個別ケアだといいます。
 それは、私たちがひとりひとり違うのとまったく同じで。

 「あの利用者さんのこと好きだけど、あの人は苦手」って当然ある。
 実際私もそうだし、誰もがそうじゃなかろうか。

 利用者さんにとっても「あの介護者はいいけど、あの人に介護されるのは嫌」も当然あるはず。

 それでいいと横木さんはハッキリ言ってくれる。だって、私たちの社会―家族や人間関係だって“好き”から成り立っているのだから、と。

介護現場の当たり前と、暮らしのふつうのズレ

私たちが行っているケアはどっちだろう

介護1.0

 食堂(あるフロア)に一堂に会し食事をとっている。
 やがて車椅子に乗ったAさんが動き出す。

 「○○さーん!どこ行くの?」
 「待ってよー、まだバイタルはかってないんだから~」
 (と、席に戻され静止することを求められる)

 なぜ利用者さんが動き出すのかを考えようとせず「安全」「やるべきこと」に囚われてしまいがち。
 利用者さんが望んでいることをスルーしてしまっている=安全・安心という名の思考停止状態かもしれない。多くの介護現場が、これが現状じゃなかろうか。

 そして、利用者さんたちのことを、キツイ言葉で表現するなら「軟禁状態」。
 エレベーターはロックがかかっていて。
 居室にはセンサーマットが敷かれていて、行動が監視されてしまっているようで。

 自宅でのふつうの暮らしとはまったく違う。
 何かしらの意思があって、私たちはその行動ひとつひとつを取っているんだよね。

 利用者さんは動けるから動くのに。動きたいという意思があるから動いたのに「○○さーん、どうしましたか?」って心配される。やがては“多動”と表現され、対策がなされてゆく…。

個性が消えていく

 ベッドで大人しく寝ていて、オムツもスムーズに交換させてくれて、食事も黙って完食する人=問題がなくて、介護しやすい利用者さん。
 本来個性ある「人生の先輩」なのに、個性が消えてゆく。

 たとえば入浴は、リラックスのためじゃなくて、(必死の)清潔保持のため。順番も決められていて、(介護士の頭のなかは)「何時までに入浴を終わらせる」。

 名詞のもとで(おむつ交換、陰洗、バイタル測定etc)ケア行為がすべて“業務化”していく…。

 利用者さんたちの日常はモノトーンの灰色。

 居室でテレビを見るだけ、あるいは寝ているだけ。適度に現れる介護士の目的はオムツ交換orパッド交換、時間が来たら3度の食事に向かって、夜が来たら(早めの)就寝。

 いま、外の風景は冬から春へ、桜が咲いて、生き物たちも春の喜びを感じているであろうのに。
 散歩、したいよね?行きたいよね。

私たちは、どんなケアをしたかったのだろう。


 横木さんは言う。

 「どこを捉えるか」だと。

 その人らしさに目を向けて、あるもの(可能性)を捉えればいいのだと。

「お年寄りは変わらないんですよ。その人が何を求めているのか。人には役割と居場所があって生きがいは生まれる。そのために私たち(介護士)は在るべき」だと。

「認知症って“今、その瞬間を全力で生きている人”なんです。最期までその人らしく生きるために私たち介護士はその人の〝望み″を掘り下げていったらいいんです。生きているうちに食べたいもの、見たい景色、もう一度コミュニケーションをとりたい人がいるはずだから」(横木さん)

 ケアという尊い仕事をしているからこそ、命にかかわる仕事だからこそ、安全は当然優先されなければならないし、利用者さんが多くいる施設では、ケアが流れ業務的になってしまうのも否めない。否めないのだけど。

 「生きがい」も奪われてはならない。生きがいこそ、私たちが守らねばならない尊厳。
 だからこそ、時々の“マインドセット”が必要。
 新鮮な気持ちにさせてくれる横木さんの「介護3.0」。その捉え方を、思考のベクトルにいれていきたいと思うのだ。

 横木さんの公式サイト 介護3.0 (kaigo3.net)


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