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新米は「日々、奔走」。

介護士として、今の施設に勤務を始めて一か月が経過しました。

 いやぁ…オムツ交換がスムーズにできた日は気持ちが軽くて、
便まみれのオムツ交換(衣類交換・選択)に何十分もかかってしまった日は気が重くて…。
 
他の介護士さんの考えもやり方も様々。
そりゃ人によって考え方も異なるから当たり前なんだけども、
それに応じて動かねばならぬ新人はそれがけっこうツラかったりするもので。
マスト、で動き続けている介護士さん。
本人もしんどそうだし、周囲もその姿勢に引っ張られてしまってしんどくなるのだ。
 
せかせかしている介護士さんの声や態度を前にして、入所者さんは萎縮していた。
それがハッキリ感じ取れてしまった。
 
言いたいこと、言えないよね。
「こちらが世話のなりっぱなしで、申し訳ない」と感じざるを得ないだろな。
 
「誰か来て」と声がして、Aさんの部屋に入った。
 
「もうあたし、何にもできなくなってきて…
何言ってるかもわからなくなってきて。
家族がお菓子とか持ってきてくれるんだけど、もう年取って、若い時みたいにあんまり食べられないの。開けたら湿気ちゃうし…無駄にしちゃもったいないから、あのお菓子、もらってくれる?」
 
 
すごく切ない表情をちょこちょこ見せるAさん。
見かけるたび、
“生き生きしている”とはとても言えない。
 
まだ何とか自分で排泄もできるのだけど、車いすの操作も自分でされるのだけど、動きがだいぶゆっくりで、食堂の入り口で後ろに何人か控えていたりすると「ごめんなさい、ちょっと(車いす)押させてくださいね」と言ってこちらが介助してしまう。
すると「ありがとうね、助かったわ」と言ってくれるのだけど、こっちに気を使っているからこそのセリフ。
本当は自分で自分の席にたどり着きたいのだろう。
 
ただ、残存能力はまだまだ何かしらあるのだから、
何かもっと、できることがあるはず。
部屋でテレビつけてボーっとして、朝・昼・晩の食事時のみ居室の外に出て、エレベーター前で食堂に連れていかれるのを待つだけの日々なんて、もったいなさすぎる!!!!
 
ホント、あの世からの御呼ばれを待っているだけやないか!!!
 
『ヘルプマン』の「極楽は生きているうちに行かなければ意味がない」が沁みる沁みる!!
 
だけど、新米ヘルプマンはチカラ及ばず。
日々、介助移乗やオムツ交換でまだまだいっぱいっぱいでそれ以外何もできない。
(週4日勤務で6時間勤務のパートなので”回数がこなせない”のです。まだまだ)
できることは精一杯やっているつもり。
だからその今できることのケアの精度というか、早さもそうだし、「できることを増やしていく」しかない。
そこに、穏やかさとか、あたたかさとか、少しでも“心地よさ”が生まれていけばいい。
他の介護士さんとの関係性も。
信頼感とwith感を、と思う。

最後に、肌実感として

福祉って地域なんだよな。
地域って、人なんだよなってこと。

人がいないと、成り立たない。
地域に人がいれば、関わり合える人の存在があれば、福祉はもうそこに在るものなのだ。
あー、ホントに。

その状態に持っていけている施設はあるし、社会福祉法人も存在している。
我がまちが、そうであればいいのに。
そうあれるよう向かえるよう、私は介護士としてのスタートを切ったんだよね。
だから無理はせずに、「頑張っていきます」。

春は近い。

3月上旬、やっと10年越しに、しょうぶ学園(鹿児島)への訪問が実現します。
楽しみだー!!!

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