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「介護3.0」をダンスフロアへ ー”いいね”で終わらないための方法論ー

 介護3.0を提唱する横木淳平さんを講師に、香川県三豊市で定期的に行われてきた暮らしのライフセーバー講座。

(暮らしのライフセーバー講座、介護3.0の具体的内容については上記の記事を読んでいただけたらと思います。)

介護3.0が”インフラ”になって欲しい

 2024年度も継続が決まっています。講座のパワーアップへ向けて、横木さんや講座のファシリテーターを勤めてきた金児大地さんたちが1月下旬、三豊へフィールドワークに訪れました。ちょこっと同行させてもらうつもりでしたが、隙間時間での介護談義がもう、めちゃめちゃ贅沢な時間で…。
 横木さんに問いかけて返ってくる言葉の数々。伝えずにはいられません。“いいね”で終わらせないための考え方と方法論。
 私自身、介護現場で働いています。だから横木さんの言葉はリアルに心底響いてくる…。
 介護3.0が概念まるごと、インフラそのものになって欲しいから、書き残しておかないと!!

わたしの、介護士としての仕事内容

  私が勤める介護現場は、縦型動線の複合型施設。私の担当は特定施設となっているサービス付き高齢者向け住宅で、勤務時間は8時から14時半、休憩30分のパートという立場で、週に4日程度働いています。自立している利用者さんもいますが、寝たきりの利用者さんも多いです。
午前中】
 朝だいたい7時50分に出勤。朝食の始まる時間なので、最上階にある食堂へ行き、配膳と食事介助から仕事を始めます。服薬も食事も終えたら、利用者さんたちを順にエレベーターで各階へ下ろし、居室誘導。口腔ケアをして臥床介助(ベッドへの寝かしつけ)。すると時刻は9時近く。
 その後朝礼をしたら、陰部洗浄およびオムツ交換、ナースと処置にまわる業務、もしくは入浴介助・誘導に入ります。オムツ交換やナースとの処置には1時間程度かかります。10時を過ぎ、利用者さんを順に起こし、お茶を飲んでもらったり、会話をしたり。10時45分にはエレベーター前に誘導し「食事に行きましょう」と、食堂へ誘導していきます。
入浴介助・誘導の仕事の場合】
 朝礼を終えたら、利用者さんたちの着替えやタオルの入ったカゴを最上階にある浴室へ運び、入浴準備。着脱介助をし、身体を洗ったり、見守りしつつ。誘導だったら、各フロアから利用者さんをお風呂へ連れていったり、入浴を終えたら部屋へ送ったり。処置があれば、看護師さんを呼びにいったり。入浴介助にしても、誘導にしても、お風呂の業務担当のときはもう時間があっという間。寝たきりの利用者さんの入浴は、ベッドからストレッチャーへ移乗するのも一苦労。着脱も一苦労。ある曜日の午前中は4人だけの入浴なのに全員ストレッチャー使用で、これだけでヘトヘト…。
 入浴業務は、11時すぎにだいたい終えます。終えたら食堂へ。利用者さんたちはそれぞれの決まった席についている状態です。食前の服薬業務や個々の利用者さんへの対応をしつつ。口腔体操も間にあって、だいたい常に11時45分前後、食事が乗った配膳車が1階の調理室から5階へと届きます。配膳、食事介助に入ります。
 食事時間は12時半まで。再び利用者さんたちを各階へ。各フロアのエレベーター前は、居室誘導を待つ利用者さんがズラリ。ひとりずつ居室へ誘導し、口腔ケアをしたらベッドへ。落ち着くのが13時前。ふぅ~。
 【午後・13時】
 午前中に入浴した人たちの洗濯物の洗濯・乾燥も終わってくる時間帯。洗濯ものをたたみつつ、各居室へ夜用のお茶を配ったりナースコールが鳴れば対応したり。13時半、午後のオムツ・パッド交換を始めます。
 フロア担当ならばオムツ交換に入り、その後は翌日の入浴準備などをしているうちに、14時半がやってきて「お先に失礼します」と私は帰路へ。
ちなみに午後の入浴は、1階・特浴のある浴室を使います。
 入浴業務の場合は、私は誘導と着脱介助にまわります。午後の入浴は15時くらいまでかかるので、14時半が来たらあがります。

 午前も午後も担当が「お風呂」のときは、神経も使うし、腰も痛くなる。特別養護老人ホームに勤める介護福祉士の夫も「お風呂、めっちゃ大変だよな」と言います。

 横木さんは次のように話します。

「お風呂が変われば一気に現場は色んなことが変わります」


 ある施設の事例を挙げて説明してくれました。

 (横木さん)個浴がない施設。ある曜日、22人の利用者さんが入浴します。ここに個浴を入れたらどうなるか。まずデータをとるんです。おおざっぱですけど、チェア浴が85%、臥床浴が15%。どういう見方が大切か。ひとつの浴槽を85%の人が取り合っているわけで、効率がよくない。でも利用者のADLをみれば、立位が取れる人もいる。ここに個浴を入れたとして、40%の人が個浴を使えたら、チェア浴は45%まで減る。つまり、2つのお風呂を使うことで2人が同時に湯舟に浸かれる。単純計算、半分の時間でお風呂が終わりますよね。個浴を導入することで、必要なスタッフの人数も減る。ほかのところに人を回せる。こういうことをちゃんと証明したうえで個浴を導入するんです。その先に“お風呂にゆったり入れて、ちょこんとおしゃべりもできる。それってすごくいいですよね”ってストーリーを後から足していけばいい。
 こんな流れが現場を変えるのには意外に重要なんですよ。

なぜやるのか。データと根拠。

 人が増えればレクもできる。オムツ交換も、圧倒的にデータを出しながらどうしていったらいいのかを考える。データは根拠。頑張っている人たちは思いがあって、利用者第一で考えてやっていますが、変わらないことが多い。施設を変えるのってパッションじゃない。“こっちのほうがいいケアができるし、スタッフは楽ですよね”というのをちゃんと見せていく。“やって”結果を出すことで小さな熱狂を生む。すると現場は変わりますよ。
 人間て、めちゃくちゃ根拠に弱いんです。たとえば、コンビニのコピー機に列ができていてそこに並んたとします。誰かに割り込まれたら腹が立つじゃないですか。でもその人が「〇〇だからちょっと今すぐに…」って言ってくれたらイラつかなくなる。だから僕がけっこう大切にしてるのは“圧倒的な根拠を示す”ということ。そしたら人は動かせる。
 なぜやるのかという根拠を示すこと。それが僕の仕事であり、極論。休憩を15分ずらせばどれだけマンパワーが変わるのか。

(筆者)夫が勤める施設は、レクも外出もけっこうしていて「いいな」と思います。ですが、休憩時間が取れないと夫は言います。休憩室がそもそもない。でも、だからからこそできている部分もあるんですよね。利用者さんの隣で自分の食事もとるっていう…。私の勤務先は11時半から14時までの時間で交代で全員が休憩をとっています。この時間帯に2,3人常に人が欠けているので、レクや外出を入れる隙間がないんです。私が勤め始めてから外出イベントはゼロだし、レクだって定期的にあるわけでは全くなくて、ちょっとしたクリスマス会程度。

(横木さん)それを変えるには業務を圧倒的に見直すことですね。

(筆者)お昼をつぶさないとレクはできないぞって…

(横木さん)利用者さんと近くで休憩とるのが嫌じゃないって人もいるかもしれない。全員統一する必要はそもそもないって言えますよね、そこに意味はないというか。
 コンサル先では、僕はまずホワイトボードを用意して一日中業務の見直しをするんです。それを職場の真ん中とかでやって、パートの人たちにも言うんです。「“こうなればいいのに”って思っていることを言ってください。ぜんぶ取り入れますから」って。そしたら“自分たちで考えた業務ですよね”という”前提”をつくることができる。自分たちがつくった業務だと思えれば、みんなやってくれますから。

(筆者)なぜそれをやっているのか、ということを真剣に考える。

(横木さん)そうです。赤字の施設があって、スタッフを6人減らさないといけなくなりました。どうしたかというと“スタッフが減ったときのほうが仕事が楽になる、新しい業務を新たにを考えよう”というプロジェクトチームをつくったんです。

(筆者)できたんですか?

(横木さん)できました。まずほとんどの施設のシフトが、早番や遅番といった何番で、何時に仕事が終わるかで止まっています。ここに利用者の生活時間を照らし合わせる。入浴が何時から何時。そこに人がかぶっていた方がいいわけですよね。そこに合わせていく。「ここは何人いればいい」と考えて行く。徹底的に見える化していく。

個別ケアが可能になるシステムの考え方

(横木さん)あくまで利用者の生活をのばしていく、という視点が大切ですけど、老人施設の業務ってシンプルなんですよね。早朝、少ないスタッフから日中は多くなり、夕方からまた少なくなっていく。昔みたいに「よし今から起こしにいこう」「食介しよう」で、また3人集まって「寝かしにいこう」という時代じゃない。マンパワーが足りなくなってるので人は急に増えない。施設が勝ち残っていく方法ってひとつしかなくて、今いるスタッフのパフォーマンスを上げること。その方法は、例えば11時の時間帯に3人いたら、全員が離床介助ではなく、ひとつの時間帯という帯にどれだけ役割がバラバラの人が働いているか。11時の時間帯にひとりは起床、ひとりはトイレ誘導、ひとりはごはんの準備、というのが理想的なんです。一本の軸、枠の中でいくつ役割を持った人を置けるかってことが重要。すると活動が流動的になるから利用者は選ぶことができる。振り幅が広くなるからです。ごはんに対応してもらえる時間が延び、入浴している時間が延びる。なぜなら重なっても問題ないから。施設側の都合によって生活が決められるのではない。ひとつの時間帯にいろんな役割をもつ業務が生まれれば、ご飯もお風呂も重なる。だから利用者は選択肢が増える。これが個別ケアをする施設の基本的なシステムのつくりかた。こうでないとできません。

(筆者)あぁ…確かに!!

(横木さん)スタッフがそれを自分事として捉えられるように、みんなで決めていきます。休憩時間も「何時が希望?」「〇時がいい」と話し合っていく。どんどん巻き込んでいく。全員が自分事になっていれば「私たちがつくった業務」となるから「やる」に繋がる。コンサルして“僕がつくった業務”ではダメなんです。「私たちがつくった業務」にならないと。

(筆者)ひとりひとりのパフォーマンスを上げていくのは可能ですか?

(横木さん)ひとりでやるしかないから自分で考えざるを得なくなる。そこで余白を与えてあげるんです。「何時くらいまでに終わればいいから」って。余白があればプレッシャーにならない。そのぶん、責任をもってそのケアを提供してくださいって。

(筆者)横木さんの話を聞いて「介護3.0、いいな」ってすっごく思う。でも、現実にかえるわけで。だから具体的な方法をこうやってお聞きできるのが最高です。

(横木さん)「いいね」終わらせないための方法論はけっこう地味なんですよ。

肯定できる、それぞれの在り方を

(筆者)施設現場では介護職が誰よりも利用者さんと接していて、その人の状態をわかっているのに、看護師などから「〇〇して」って一方的に指示されたり、上からの圧を感じてしまったりして、介護職がなかなかプロ意識を持てないんですよね。

(横木さん)たしかにね。だから意外に、ホームヘルパーさんのほうが現場でやりきらないといけないんで、プロ意識がある。意識が高いかもしれない。
 ある施設で、82歳のおばあちゃんがふつうに働いているんです。利用者に「そんなこと言わないで。私、腰痛いのよ」ってどっちが利用者だからわからない(笑)。でもそれがいい。その年代にしか出せない味、オーラがある。それはそれで面白い。その“在り方”でしかないから。空間も同じ。例えば、はっぴーの家ろっけんもそう。在り方。それを肯定できるようなものになれば結果いい。新もひとつの在り方。感染症に強くないし、医療的ケアだって充実してはいない。けど、在り方としてありなんですよね。存在しているものが「在り方」として、そこを選ぶ人がいて、それをいいと思う人もそうでないと思う人もいる。それでいいんです。

…以下、金児さんも加わっての会話です。

左・横木さん 右・金児さん(2023年12月の暮らしのライフセーバー講座にて)

金児さんの取材記事は上記を。

胸張れる?

(筆者)それが選択肢

(横木さん)そう。だからどこの施設に行っても一緒、っていうのが一番よくない。「週に2回お風呂」という介護保険上の義務があって、それが「基準」となって、結果、どこに行ってもありきたりな施設ばかりになってしまう。“義務”をクリアすることで精一杯になって、自分たちが予習できなくなるから。

(金児さん)経営者サイドからしたら、特徴をつくらないほうが楽だと感じてしまうんですよね。スタッフへの教育も楽だから。

(横木さん)それはその通りなんだけど「それを説明して」って思う。「うちはオーソドックスなケアです」って。なのに“個別ケア”なんてトップが言うから…。
 うしろめたさもなく、胸を張れるケアかどうか。
 新で厨房の職員が欠けてしまい、朝食ができあいのものしか出せなくなりました。これでは胸張れないですよね。どうしたか。施設長が利用者に謝罪にいきました。「申し訳ないです。こっちの都合です」と。できないこともある。オムツになってしまうこともあるし、本人のタイミングでお風呂に入れないこともある。しょうがない。それを申し訳ないと感じて真摯に頭を下げる。「美味しいご飯、また出せるようにしますから」って伝えることが胸を張れる介護。今やっていることに違和感があるんだったら、考えたほうがいい。自分の親をその施設に入れたいですか?自分は入れますか?そこに向き合わないのはよくないことだと思います。

(金児さん)経営サイドと現場サイドのズレはけっこうありますよね。経営サイドは自分の見ている世界しか知らないから「自分は一生懸命やっている」「ベストアンサーだ」と言う。だけど、たとえば新を見ると、一気に常識が崩れる。

(横木さん)だから胸張れる介護へのお手伝いを僕はしたい。胸張れる介護ができるなら、誰かに何か言われてもいい。

(金児さん)それを選ぶ人、選ばない人がいて結果が出て。結果をみて現場は修正するわけだから。

(横木さん)胸張れる根拠をもってね。

(金児さん)その根拠の部分ですよね、足りないのは。私を含む介護に関わる人たちって「なんで?」を突き詰めていく人が少ない。どちらかというと上から降ろされたものをただ続けているだけで、思考が止まっている人が多い。だからクリエイティブな世界にあまりいないよね。

(横木さん)そう。おっしゃるとおり。

(金児さん)「上がああだからどうせ言ったってひびかない」って経験をたくさん積んでいる。だからもう誰も言わなくなって、それが当たり前になってしまう。

(筆者)事故報告書もそう。書けばかくほど自信なくしますよ。発見したくなくなる。どうしようもないのに原因は…対策は…って項目を埋めていかないといけない。“こんなに悩んで時間費やす意味あるの?”って。

(金児さん)それを活かして結果が出ない、変化しないのであれば書く意味ないですもんね。

リスクマネジメントとソーシャルワーキング

(横木さん)誰のためにもなっていない。会社が「しょうがない」って言えるようになってあげないと。夜間、施設の端の居室のおじいちゃんが転んで大腿部を骨折した。一大事で対策立てないといけない。でも、四肢麻痺のおばあちゃんが上腕部に表皮剥離ができたとしても、軽く処置してモコモコの腕カバーをはめて終わる。異常。「なぜ、明らかなケア上の事故は本人のつけるものが変わるだけで終わるんですか?」。だって、本来はそっちを明日にでもゼロにしなくちゃいけない。移乗方法の問題なのか、ベッドの向きといった環境が悪かったのか、どういうタイミングで移乗をしていたのか、焦ってしまっていたならその焦ってしまう状況を見直さなければいけない。どうしようもない転倒の骨折は大騒ぎするくせに、明らかなケア上のミスの事故は、すぐに事が終わる。リスクマネジメントなのに、リスクを積み上げて上から物を言うだけ。それをもう少し理解しないといけないと思う。僕は事故報告書から変えたりしますよ。第一発見者はいつ、なぜ転んだのかを書けばよくて。対策はリスクマネージャーが立てる。家族への連絡はソーシャルワーカーがするからって。「見守り強化」で終わらせないために。

(金児さん)事故報告書のそういった”薄さ”は文化にもなってしまっていますよね。

(横木さん)だけどその文化は変えられる。

(金児さん)自分たちが打ち出す介護がどんなものかということを始めに提示したいところ。自分たちがどんな介護をしたいか、施設のコンセプトがどんなものか、意思を持っているかに肝があるんだと思います。

(横木さん)人が生活する以上、リスクはあるもの。転倒だって誰だってする。
 誰のためにもなっていない文化は絶対に変えられる。事故報告書とか現場の転倒対策の話とかではなくソーシャルワーキングがどうあるべきか、会社の理念はどうあるべきかを変えていかなくてはいけない。家族ではケアできないから僕らに頭下げて(おじいちゃん、おばあちゃんを)「お願いします」って施設に入れる。それをあたかも最初から信頼関係があるかのように勘違いしてしまう。でも、信頼なんてない。信頼をゼロから取りに行くさまをソーシャルワーキングと呼ぶんです。「こういうことを家族に伝えればひとつ信頼されるようになるから、サービスとしてやりましょう。そしたら家族は転倒したとしても怒らない。信頼してくれますから」と。信頼はもともとそこにあって、それを捌くことではない。施設全体の考え方から変えていかなくてはいけないんです。

(筆者)はい。

(横木さん)特別養護老人ホームが「最期まで看ます」をモットーにしている。でも、人が死んでいく過程には何らかのアクシデントがあるわけですよね。脳梗塞で寝たきりになる、転倒して骨折する、誤嚥性肺炎を起こす…。そのアクシデントのひとつひとつを施設はきちんと受け止めるはずなのに、転倒して骨折して入院して帰ってきたら“骨折既往があるからもう立たせないで”。生活を車いすだけにしてしまう。そのどこに責任を負っているんですか?誰のためにもなっていない。僕らが責任を負わなくちゃいけないのは、目の前の転倒を防ぐことじゃない。転倒して骨折して車いすになって再入所したとしても、歩いていた頃のような生活ができるようなケアをすること。ここでしょう?って。
 施設の幹部を集めて、僕がこういうことを真剣に話していると「そうですよね」ってみんな頷く。だからそれやりましょうよって言えば「やりましょう」と。だからリスクの文化を変えるのはそんなに難しいことじゃないんです。オムツを外すより全然簡単。だってそっちのほうがいいってみんな分かっているのに、よく分からないままやっているだけだから。それを戻してあげればいいだけ。

(金児さん)そうですよね。あと、残念ながらサ高住、住宅型の老人ホームは「意思がない」って感じることが多い。

(筆者)病院みたいなつくりは、とにかく“人間に合わない”って実感しています。合理性、経済性に暮らしをあてはめちゃいけないんだなって。そんな視点からつくられた動線の施設が心地いいとは決して言えない。

業界を変えるには…


(横木さん)
住宅型は構造上、意思をもつことが無理かもしれない。だから、いいところがちゃんと勝てる。残っていく。そういうところをつくっていかないと。業界を変えるのはそれしかない。変えようと思う人すらいないかもしれない。でも、僕の中では変えられる自信とやり方がある以上は、もうやるしかないと思っていて。
 自信しかないんです。めちゃめちゃ言われるんですよ。「実際はこの業界こううじゃね」って話を、さんざん耳が腐るほど聞かされるんだけど「いや、俺、いけると思うんだけど」って(笑)。
 本当にいいサービスは広がっていくと信じるしかない。実際、面白いと思う人はいるわけで。全然関係ないジャンルの人たちが「おもろいね、横木の介護・やり方」って思ってくれて、動きが続いているから。

(筆者)そんな流れが事実ありますよね。面白い現場がクローズアップされて認知されてきている。

(横木さん)そしてそれを面白がれる側でいたい。目の前の世界を変えない限り、大きい世界は変えられない。

(金児さん)同感。僕は、ローカルを大事にしたいって言い続けている。大阪の鶴見区というローカルで。長年活動してきて、鶴見区の医療介護業界をつなぐことができるようになった。自分の事業だけじゃなく他の業種とも関わりができているから、どんな人でも対応できると思います。

(横木さん)実践者としてね。

未来をつくる

 さて。
 わたしの介護経験は2年目に入ったところ。まだまだ介護技術も浅く、介護福祉士の資格取得へ実戦経験を積むしかないのですが、介護3.0、”横木マインド”に触れるたび「目の前の世界は変わらなきゃいけない」って感じます。介護3.0を実践できる仲間に、地域で出会いたいと思い続けています。
 でも、出会うためには、やるしかないな。
 決して、甘くはないけども。 

 最後に。
 長くなってしまうけれども、もう少しだけ伝えたいことがあります。

 11月下旬、金児さんの取材のため大阪へ向かった高速バスで、私は一冊の本を読み終えました。

 『未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために』(ドミニク・チェン)。
  ものすごく惹かれる内容で一気読みしてしまったのです。取材を終えた夜、帰りの高速バスのなかでふと開いたメール。それは、尊敬している編集者・藤本智士さんのnote記事更新のお知らせ。タイトルは『仲間と出会う条件』。
 記事を読んでいくと、図らずもこの日感じたことと、ものすごく一致してしまったものだから鳥肌が立ちそうになりました。

「自分でやったやつだけが、一緒にやるライセンスを持つ」
 
「チームビルディングしなきゃいけないという『意思』からスタートするのではなく、知らず動いてしまっている『手』=行動の向こうに、事後的に『意思』が整理されていく。その通りだと思った。やりきった自らの行動が整理されていく過程に、仲間との出会いがあるのだろう」


 藤本さんが述べたこの2文、強烈に本質だなと。金児さん、まさに!!って。横木さんが独立して、あちこちで生まれている”出会い”や”面白さ”も横木さんが“やりきっている”がゆえ。

 『未来をつくる言葉』にはこうあります。

わたしはこれまで、表現とコミュニケーションの関係について考え続けながら…振り返れば、家族、社会、自然環境との関係における分裂に抗うための方法を探ろうとしてきた。(中略)いずれの関係性においても、固有の「わかりあえなさ」のパターンが生起するが、それは埋められるべき隙間ではなく、新しい意味が生じる余白である。このような余白を前にするとき、わたしたちは言葉を失う。そして、すでに存在するカテゴリに当てはめて理解しようとする誘惑に駆られる。しかし、じっと耳を傾け、眼差しを向けていれば、そこから互いをつなげる未知の言葉が溢れてくる。わたしたちは目的の定まらない旅路を共に歩むための言語を紡いでいける。

P199 第9章「共に在る」ために

 昨年12月16日の「くらしのライフセーバー講座」。私は夫と娘と一緒に参加しました。夫にも「横木さんマインドに触れてほしい!せっかく休みなら行こ」と誘ったのです。夫は「今まで受けてきた研修とはまったく違う~!
!めっちゃ面白い!!」との反応。してやったり(笑)。

実技の部、私と夫 横木さんからアドバイスを受ける

 この日、とにかく印象的だった横木さんの言葉。
 
 認知症の人が立ち上がるのは理由があるから。歩き出すには目的地があるから。「待って」とか「危ない」とか言い続けるんじゃなくて。あくまで僕らはその人らしさを見極めて、プロとしてどうすればいいかを考えないと。
 
 その人の世界観を想像して一番いいコミュニケーションを考える。
 
 僕たちの当たり前を押しつけることがどれだけいけないことか。
 人の気持ちは分からないんです。だからコミュニケーションをとるわけで。
 そもそもその人を知ることは甘いことじゃない。
 
 問題行動と捉えるんじゃない。個性と捉える。その行動はその人の「シグナル」と捉え、ケアに落とし込んでいくことが大切なんです。
 だから“やったほうがいい”であふれてる。圧倒的にやったほうがいいんです。

 ”答え”はもう、そこにある。

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