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PASSION ”移住地”の強さとは―イグアス移住区

 エンカルナシオンからパラグアイの首都・アスンシオンを経由して、1月22日夕方、私はイグアス移住区に到着した。ここは観光地・イグアスの滝へも日帰りで行ける距離にあり、また、『地球の歩き方』にも小さく紹介されているため、バックパッカーも多く集う。宿も混んでいた。

 イグアス移住区へ日本人が入ったのは1961年。パラグアイにあるフラム・チャベス移住地から14家族が転住したことが始まりである。
 パラグアイにある日本人の移住地で一番新しいのがイグアス移住区だ。ブラジルとの国境のまち、シウダー・デル・エステから西に41キロの地点にイグアスの中心地があり、人口は約9200人。まちの中心を国道7号線が走り、国際空港までも15キロほどと恵まれた場所にある。
 他の移住区と同様に、大豆をはじめとする農業で生計を立ててきた。大豆栽培は好調で「大豆御殿」と言われるほどの裕福な家も増えているという。
ここもまた野球が盛んで、1968年にイグアスで日系二世として生まれた岡林洋一さんは元プロ野球選手。現在はヤクルトスワローズでスカウトを務めている。

 「豆腐屋が来ましたよ!」
 イグアス移住区にある日本人宿・ペンション園田のお母さんが大声を出した。
 この日は週に一度の豆腐屋が来る日である。旅行者は急いでキッチンに行き、容器を持って豆腐を買いに走った。もちろん私もそのうちの一人であったが、これは“昔の豆腐の買い方”。なのだった。

 翌日、カンカン照りの太陽の下を、帽子をかぶってゆっくり歩いた。観客席のついた野球場がある。朱色というよりオレンジ色をした大鳥居に農協。農協ではピラポと同じく納豆や大福などの日本食が売られていた。土日の昼時の二時間だけオープンするというラーメン屋もイグアスにはある。
 ペンション園田の宿泊者たちでラーメンを食べに行った。手打ちの麺、チャーシュー、メンマ、海苔、玉子、ネギ。それは、完全なる日本のラーメン。



 食後は園田さんの娘・ミユキさんについていき、岩手の郷土芸能である“鬼剣舞”の練習を見学させてもらった。
 イグアス移住区の出身地としては高知県が最も多く、次いで北海道、岩手に続く。小学生くらいの子どもたちと若い男女が公民館に8人ほど集まって練習開始。
 ラジカセで音楽が流れると、団扇を持って激しい舞いが始まった。足を高くあげ、中腰くらいの姿勢で体をくねらせ、ダイナミックな動きを見せる。指導者である60代くらいの男性が黙って見つめる。汗はびっしょり、さわやかな汗が流れている。休憩時間にはテレレをやってパラグアイらしい。
異国であっても郷土芸能を忘れぬよう、岩手出身の先駆者たちが後輩に伝えているのだ。
 移住地では伝統文化が衰えない。

「僕、カラオケバーに行ってきます」
週末はカラオケバーがオープンしていて、地元の人も通っているとの情報を得ていた旅人のトシ君。私も一緒に行ってみた。
 カウンターにおじさん3人、奥のテーブル席に家族連れが一組という客ぶれ。おじさんたちに会釈をして、トシ君と私はカウンターに座る。飲み物を注文するとママがおつまみを出してくれた。
 「はい、何か歌って」
 ママがマイクとカラオケ本を渡してくれる。カラオケはデジタルではなくLPレコード。初期の移住者が持ってきた機材を今もずっと使っているのだ。今はもうレコードが手に入りづらいため曲目はやや古く、2002年までの曲しかないそうだ。
 家族で来ていた若い女の子たちはSPEED、モンゴル800、ミスターチルドレン、ゆずなどの日本で90年代に流行った曲を歌っていた。
 空気になじみ、私たちも歌い出す。合間にはカウンターのおじさんたちとしゃべっていた。イグアスで広報の仕事をしているという澤村壱番さん(43)は元旅人で演劇家。演劇の仕事でイグアス移住区を訪ねたとき、イグアスの魅力にとりつかれて移住してしまった人だ。
 「パラグアイの日系人が日本にデカセギに行っても解雇されない理由は3つあるんだよ。ひとつは日本語が十分に話せること。歴史が浅いぶん一世が現役。一世が日本語を後世に伝えたいとの思いが強く、日本語教育に力を入れているんだよ。それだけでなく英語、スペイン語、ポルトガル語も話すことができる若者が多い。ふたつめは礼儀正しいこと。最後によく働くから。ここで育つ人間には、勤勉な日本人気質が宿っているんだよ。現代の日本人以上に“日本人”だと僕は思う」
 ピラポのフミエさん、エンカルナシオンの小田さんと同じ意見を耳にした。

 私たちが店に入って2時間後、高校生と大学生の集団10人ほどがやってきた。シウダー・デル・エステやアスンシオンなどに住んでいるイグアス出身の若者は、週末になるとイグアスに戻るのが通例のようだ。
 若者たちと壱番さんが冗談を言い合う。歌いながらお互いを茶化してふざけ合っている。それを見て、おじさんたちが笑っている。
壱番さんは日本語学校の教師でもあり、彼らとは師弟の間柄である。先生と卒業生、地域の大人が一堂に集い、笑いながら冗談を言い合える場所がここにはある。
人としてのつながりが強いから、変化があればすぐに気づける。悩みがあれば、本気で聞いてくれる仲間と先輩がいる。壁などはどこにもない。
これが移住地の強さである。
 濃い空気に満ちていたカラオケバー。日付はとっくに変わっていて、外に出て夜空を見上げる。星が空高く上っていた。

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