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エッセイ「回しましょ」

 昭和40年代、幼少期に住んでいた家の隣はお弁当屋さんでした。自分の家には置いてない大きなお釜に大きなざるは、迫力満点。作業台には弁当箱がたくさん並べられていて、三角巾とエプロンをつけた人たちがごはんや惣菜を詰めています。そんな様子を見られたのは、母に頼まれて回覧板を届けに行っていたからです。
 初めて頼まれたのは、小学校に入るよりずっと前でした。回覧板はしょっちゅう回ってきて、そのたびに母は私に「ちょっと行ってきて」と言います。ただ回覧板を渡してくるだけ。ちょっとしたことなのに、緊張するのです。ガチャガチャと弁当箱がぶつかる音がしているので、「こんにちは」と何回も大声を張り上げないと気づいてもらえない。奥のほうで作業をしていたら、誰も出てきてくれない。それでも、おばちゃんが受け取ってくれたときは、「ありがとう」と時々お菓子をくれて、うれしくなりました。おっちゃんは、こわもてで無愛想。どうかおばちゃんが出てきてくれますようにと、玄関で一呼吸していました。

 大人が回覧板を持っていくと、世間話の一つや二つしないといけません。それがしょっちゅうなら、面倒なこと。そこで母は私におつかいをさせたのかなと思うのです。ほんのお隣さんに行くだけでも、小さい子がよその家へ届け物をするというお手伝いは、社会人としての第一歩だったような気がします。そして、回覧板という仕組みをこのときに知ることができたのは、よかったと思います。
 回覧板を次の家にという仕事に慣れてくると、緊張もどこへやら。「回覧板です」と声をかけて、玄関に置いて帰ってくるようになりました。

 令和になった今も、私は回覧板を回しています。お隣さんではなくて、何軒も飛ばして、町内会に入っている家のポストに黙って入れておくのです。町内会に入る世帯もどんどん減ってきました。特に若い世代では未加入がほとんどで、町内会の高齢化が進んでいます。回覧板は面倒だと思わないでもないですが、インターネットが苦手な高齢者にこそ、アナログの回覧板でいろいろなお知らせをするのは必要なことです。生存確認にもなります。回覧板は侮れないのです。

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