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エッセイ「バドミントン部に入る」

 私が昭和49年に入学した京都市立の中学校は、明治2年、上京第二十六番組小学校として設立され、明治26年に尋常小学校、そして戦後に中学校となり、平成5年に閉校した。
 入学当時、校門は木造の重厚なつくりで、門をくぐると瓦屋根の建物が見えた。そこには広い和室があり、家庭科室として使われていた。ホームルーム教室とは違い、畳の部屋はほっこりできる空間だった。全校生徒180人ぐらいの小ぢんまりした中学校で、居心地よかった。

 部活動は、迷わずバドミントン部を選んだ。小学生のとき京都御苑の芝生広場で一緒にバドミントンをしていた友達もほとんど入部して、新入部員は10人ほどになった。体育館と呼ばれる建物はなかったので、練習するのは式典などが行われる講堂である。バドミントンコート2面分の広さで、卓球部と半分ずつ使う。
 講堂の床は木板の張り合わせで、練習後は、みんなでコートの外側に四つんばいになり、「せーの」で濡れ雑巾を進ませる。ときどき床の木のささくれが引っかかった。天井一面には、なぜか粗い目の緑色の網が張られていて、シャトルを高く打ち上げると、その網にひっかかった。そんなときは、細長い筒状のシャトルケースを天井の網めがけて投げて、貴重な一つのシャトルを救出したのである。コーチなどいない、1学年上の先輩が1人だけという部活動は、遊びの延長のようだった。
 1年生の冬休み、京都市の新人大会に出場することになり、同級生全員がシングルスとダブルスにエントリーした。そして、みんなでレクリエーションのような気分で会場に向かった。
 体育館に入って驚いた。天井が高い。コートに立って見上げれば、2階の観覧席にいる応援団のその上に天井がある。床もつるつると滑らかで、照明も明るい。こんなきれいなところでバドミントンをしたことがないので、足元がふわふわして落ち着かない。自分の思うように動けないまま、相手にいいように打たれて、あっという間に試合終了。放心して2階席へ戻った。シングルスもダブルスも、私たち中学校チームの全員が1回戦敗退だ。しょうがないと思った。
 ところが、Eちゃんが泣いている。Eちゃんに駆け寄っていった子の輪が少しずつ膨らんでいく。「なんで泣いてんの?」理由がわからなかった私は、ちょっと遠くで見ていることしかできなかった。――そうか、試合に負けて悔しかったのか。私にはその悔しさが全く湧かなかった。あの講堂で甘い練習をしていても勝てるわけがない。ほかの中学校の選手とは次元が違うと観念していた。
 御苑でバドミントンをしていたときは、打ち合いを長く続けることが楽しくて、相手が打ちやすいところにシャトルを返していた。競技になればそれとは真逆で、相手の嫌がるところにシャトルを打ち込んで、自分の点数を取らなければいけない。
 友達の何人かは高校入学後もバドミントン部に入ったが、私は、高校のきつそうな練習を見学して、ついていけないと感じて入部しなかった。

 バドミントンを再開したのは、会社員になってから。社会人のサークルがあると地元紙で知り、参加させてもらうことにした。京都府立体育館、伏見港公園体育館のどちらか、18時~21時の枠で押さえられたときが練習日。いつどこで練習があると、サークル代表の女性が封書で予定表を送ってくれた。月に3~4回、老若男女が集まって、思い思いにゲームをする。会社以外の人との交流もできた。運動不足解消、ストレス発散、そして楽しく時間を過ごすのに、私にとってバドミントンは最適だった。

 結婚して団地に住み始めた秋、家のポストに学区民体育祭のプログラムが配られていた。そこには自治会の体育振興会に登録している同好会が紹介されていて、バドミントン部もあった。その文字に引き寄せられて、代表者に電話をして、見学に行かせてもらうことにした。団地の目の前の小学校の体育館、コートが3面、地域のベテランの方や学生さんたちがいる。家族連れのお父さんは元国体選手という上手さで、皆さんをぐいぐい引っ張っている。私もすぐに入部して、週1回、夜の2~3時間をバドミントンの時間にした。

 息子を2人授かってからは、育児、家事、仕事と細切れの時間をつなぎ合わせたような生活で、自分の時間がなくなって、バドミントンから遠ざかっていた。そんなある日、息子たちを保育園に迎えに行く途中で、ラケットを持ったTさんに会った。Tさんは保育園保護者会の会長で、4人の子供のお母さんとして経験談を聞かせてもらうこともあり、とても頼りがいのある先輩だ。Tさんは「小学校のPTAサークルにバドミントン部があるねん」「ダブルスしかしてへんよ。シングルスはしんどいし」と教えてくれた。よし、長男が小学校に入ったら、私もバドミントン部に入れてもらおうと思った。

 私の仕事は、速記士として会議に臨席し、議事録を作成することである。主に自宅のパソコンでの入力作業なので、時間の融通は利くし、バドミントンをする時間は捻出できる。
 長男が小学校に入学した年、次男は保育園年中組。年度替わりの忙しさが落ち着いた2学期初めの放課後、私はTさんと一緒に体育館へ行くことになった。8年ほどのブランクを経て、ラケットを振った。シャトルは思うように当たってくれない。でも、先輩たちがうまくひろって返してくれるので、私もできるような気になって、ああ、やっぱり楽しいなあとうきうきしてコートに立つことができた。
 「もうすぐ交歓会あるけど、出えへん?」と聞かれたのは、入部して間もない頃だ。交歓会とは、近隣7校の小学校の部員が年一回集まって試合をしている大会のことだ。いつもと違うメンバーとバドミントンをしようという趣旨で、「順位もつけへんし、気楽に出てな」と言われたので、参加することに決めた。
 1ゲーム2セット、初めてパートナーを組む先輩とのダブルス、どう動いていいかわからず、もたもたしているうちに、相手はどんどん打ってくる。「えっ、本気やん。こわ」気楽に構えていた私は面食らった。試合になれば、本能的に攻撃態勢になるようだ。「出えへん?」と誘ってくれた先輩に、もうちょっと交歓会の様子を聞いておくべきだった。
 もう一つ、聞きたいことがあった。仕事ではなく、バドミントン大会のために息子を保育園に預けるのはちょっと後ろめたい気もしたが、きょう一日ぐらい大目に見てくださいという気持ちでいたので、同じような境遇のお母さんに「きょうのこと、先生に言うてきた?」と聞いた。「言うてへん」――同志を得てほっとする。次男に何も起こりませんようにと祈るしかない。携帯電話を持っていなかった頃、子供が熱を出したとか、怪我をしたとか、何かあったら自宅の電話が鳴っていただろう。「こういう時に限って」という思いは、無理やり封印した。おかげさまで、何も起こらなかった。

 長男は3年間、次男は5年間、保育園でお世話になったが、仕事中に呼び出されることは一度もなかった。保育園で大きな怪我をすることもなく、怪我をさせることもなく、平穏であったことも、私がバドミントンを続けられた要因の一つだと思う。
 毎日数時間パソコンに向かって仕事を続けていると、肩こり、腰痛、頭痛、足のむくみに悩まされる。息が詰まることもある。それらを解消するためにも、私にはバドミントンが必要だ。週に1回1時間でも、体を動かすことは気分転換にもなり、次への原動力になる。小学校の体育館は、夏は天然サウナのようで、館内に入るだけで汗がじわじわ浮いてくる。冬は冷凍庫のようで、足元から冷気がじんじん襲ってくる。それでも行かずにいられない。
 息子2人が小学校を卒業し、私がPTA会員でなくなっても、OG部員として続けさせてもらった。時代の流れか、子供の人数が減り、PTAのサークル活動をする保護者も減り、とうとう現役部員がいなくなり、バドミントン部は解散することになった。現役で8年間、OGで12年間、地元地域の小学校でバドミントンができた。おかげで、私は私として持ちこたえられた。

 さて、次はどこでバドミントンをしようか。
 平成25年に転居した地域には、自治会のバドミントン部がない。あるのはファミリーバドミントン部。ファミリーバドミントンは、どんな年齢層でもラリーができるようにと京都府長岡京市が独自に考え出した競技。3人1組で、バドミントンと同じ広さのコートで対戦する。バドミントン仕様より少し短いラケットで、丸いスポンジのついたシャトルを打ち合う。自陣のコートでシャトルにさわれるのは2回まで、スマッシュは禁止というルールだ。この競技は初体験だったが、とにかく楽しく体を動かしたい私は、ファミリーバドミントン部に入って、小学校の体育館に通うことにした。
 自治会では年1回、ファミリーバドミントン大会を開催している。小学校PTAバドミントン部のメンバーも加わり盛り上がる。そのとき、部長さんから「今度、PTAで練習日を増やすことになったので、よかったら地域の方も来てください」という話があった。私には小学校に通う子供はいないし、PTAにはもうご縁がないと思っていたので、ありがたいお話だ。本当のところはバドミントンがしたかったので、思いがけない成り行きに心が躍った。早速、練習に参加させてもらう。
 スマッシュが狙ったところに決まるとスカッとする。ネット前にふわりと落としたり、コートの奥まで飛ばしたり、いろいろな打ち方をしてみる。頭で描いたとおりに動けなくて、失敗もたくさんするけれども、次こそはと思う。その繰り返しで、いつまでもやめられない。20代から70代までの気さくなメンバーにまじっていると、あっという間に時間がたつ。還暦を過ぎても、皆さんの練習についていけるように、少しでも長く続けられるように、体力づくりに励みたい。

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