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Langsamer Satz

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ラングザマー・ザッツ (緩徐楽章)。 音楽にまつわる雑文(雑な文)を、ゆっくり、のんびりと書きます。
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記事一覧

(続)1970年、バーンスタインは本当にウィーンで「マタイ受難曲」を振ったのか

 一つ前のnoteで、フジコ・ヘミングさんとバーンスタインとの出会いについて書いた。  1970年、ウィーンでバーンスタインが「マタイ受難曲」を指揮した演奏会の後、ヘミングさんが世界的指揮者の楽屋を訪れてピアノを弾き、彼に認められたというのが公式のエピソード(※注)。バーンスタイン・ファンの私は、もしかすると未知のレア音源が存在するのではという期待を胸に、当時の公式な演奏記録を調べてみた。 ※注:この情報は恐らくこちらが出典と思われる。    Fujiko Hemming

1970年、バーンスタインは本当にウィーンで「マタイ受難曲」を振ったのか

 先日亡くなったピアニストのフジコ・ヘミングさんの記事を新聞で読んでいて、彼女がかつてバーンスタインに認められたという有名なエピソードを思い出した。しかし、実際、両者にどういう接点があったのか詳しいことは知らなかった。  今さらながら興味が湧いて調べたら、すぐにそれについて言及した記事が見つかった。  彼女がバーンスタインに認められたということより何より、彼が1970年にウィーンで「マタイ受難曲」(!)を指揮したという記述に驚愕した。  バーンスタインは確かに1962年

フライングブラボー(拍手)と私

 コンサートでのフライングブラボー、フライング拍手というのが、どうも苦手だ。曲の最後の音が鳴ったあと、響きが消えないうちにブラボーを叫んだり拍手を始めたりする、あれだ。  私は、どんな終わり方をする音楽でも、ホールにまだ音が残っていて、演奏者が立ちずさんでいる間は、音楽の余韻を静けさの中で楽しみたい。いましがた完結した音楽の姿が完全に消えてしまうまで、舞台と客席が一体となり、高い集中力を維持したままその行方を耳と目で追う、それは至高の瞬間だからだ。特に、聴いた音楽に心を動か

愛しのクラシック・ラジオ・パーソナリティたち

 ラジオを聞くのが好きだ。ラジオで誰かがしゃべっているのが聞こえていると、辛うじて世界とつながっているように思えるからだ。在宅での仕事中、自室に引きこもって一人ぽつねんと作業していても、オンライン会議やチャットがあるとき以外は、何がしかのラジオ番組を流しっぱなしにしている。  だが、リモートワークのお供として、クラシック音楽の番組はほぼ聴かない。聴けないというのが正確かもしれない。つい聴き入ってしまうからだ。オンエアされる音楽のみならず、トークの内容が私の興味を引くものだっ

音楽エッセイの居場所

 映画「PERFECT DAYS」に感化され、幸田文のエッセイ集「木」を読んでいる。  幸田の遺著となった「木」は、えぞ松、藤、けやき、杉などさまざまな木を題材とした文を集めたものである。木そのものだけでなく、木に触れた著者の心の動きとそれに突き動かされた行動、そして、木と共に生きる人たちの姿が濃やかに描かれている。  どのエッセイでも、専門用語はほとんど使われていない。徹頭徹尾、私たちの日常的な暮らしから生まれたような平易な言葉で書かれたものばかりだ。  しかし、幸田