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愛しのクラシック・ラジオ・パーソナリティたち

 ラジオを聞くのが好きだ。ラジオで誰かがしゃべっているのが聞こえていると、辛うじて世界とつながっているように思えるからだ。在宅での仕事中、自室に引きこもって一人ぽつねんと作業していても、オンライン会議やチャットがあるとき以外は、何がしかのラジオ番組を流しっぱなしにしている。

 だが、リモートワークのお供として、クラシック音楽の番組はほぼ聴かない。聴けないというのが正確かもしれない。つい聴き入ってしまうからだ。オンエアされる音楽のみならず、トークの内容が私の興味を引くものだったり、面白かったりしたらもうダメだ。仕事にならない。

 裏を返して言えば、これまでクラシック音楽のラジオ番組で私を夢中にさせてくれたパーソナリティがいるということ。「エアチェック小僧」をやっていた少年時代には、お気に入りの解説者、司会者の話を熱心に聴いていたし、ネットラジオOttavaリスナーだった時期はプレゼンターのトークを毎日のように楽しんでいた。

 例えば、こんな人たちだ。


■金子建志氏

 ネコケン先生こと金子氏は、今でこそ大御所の偉い評論家だが、その昔は何よりFMの音楽番組の解説者として絶大な人気を誇っていた。

 人気の理由は、曲のオンエア前後にある「聴き比べ」だ。楽曲中で指揮者の特徴が分かりやすい聴きどころを、本編からの抜粋と他の既存音源とを並べて流してくれるのだ。

 私が最初にこの「聴き比べ」に遭遇したのが、ベーム指揮ウィーン・フィルによるブラームスの交響曲第1番のライヴ(1976年ウィーン芸術週間)で、対象は第4楽章第268小節からホルンと木管が4回繰り返すモチーフ。

ブラームス/交響曲第1番第4楽章第268小節(IMSLP)

 件の箇所で、ベームがオリジナルから変更してホルンに4回ともこのモチーフを吹かせているのに対し、バルビローリとアバドが同じオケを指揮したレコードでは譜面通り、ホルンは前半2回だけ吹かせているという事実を音で示してくれた。

 オリジナル版は、作曲当時使われていた音域の狭いホルンでの、吹き損じリスク回避のための慎重な措置と考えられるが、20世紀に入ってホルンが飛躍的に改良され、該当箇所は難なく吹けるようになった。ならば、「作曲者の本来の意図通り」4回とも吹かせようというのが変更の根拠で、ベームのみならず同時代の指揮者の多くが採用したものだ。

 まだクラシック音楽を聴き始めたばかりで右も左も分からず、「ベームは楽譜に忠実」という世評を信じていたガキには、かなり衝撃的な話だったが、それ以上に、指揮者によって鳴り響く音楽が変わるという事実を教えてもらえたのは啓示だった。

 そのほか、カラヤンとウィーン・フィルのブルックナーの8番(1978年ザルツブルグ音楽祭)で、最後の「ミレド」のテンポの違いをクナッパーツブッシュなどの演奏と聴き比べしていたのも忘れがたいし、他にもいろいろと思い出はある。

 ただ、氏の面白い解説は諸刃の剣でもある。演奏家のスコア「処理」を聴き、他との差異を見つけることばかりに夢中になり、その背後にあるものにまで関心を向けきれなくなってしまうのだ。音楽の表層の特徴さえ認知できればそれで音楽を「理解」した気になってしまう。

 これは危険だ。ただ雑学的知識を得ただけで満足してはもったいないからだ。楽譜の扱いを認識したうえで、「だからどうした」「それからどうした」と思考を深めていくことの方が難しくて、それゆえに面白いのだが。実際、金子氏は放送でも、そうした諸々の「処理」の先に何があるかを、熱く言及しておられた(例えば、バーンスタインとベルリン・フィルの唯一の共演、マーラーの交響曲第9番の放送の際の解説など)。

 とは言え、氏の解説は本当に面白かった。私の場合、同曲異演を聴く愉しみは、金子氏の解説で知ったというべきだろうか。金子氏が解説を受け持つときは演奏時間より長めのテープを使って、早い段階から録音スイッチを入れるなど、「ネコケンシフト」を敷いていたのを思い出す。

 私と近い世代の方々にとっても、金子建志氏の解説にはそんな思い出と格別の思い入れがあるんじゃないだろうか。若い人が当時の録音を聴けば、中年のファンが傾ける蘊蓄の何割かは、金子建志氏由来だったと気づくことだろう。

 余談だが、かつて、この金子氏名物の聴き比べを、何とかディスクなどに記録として残せないかと考えた時期があった。以前、私が出演していたアマオケで指揮して頂いた折、厚かましくもご本人にお話ししてみたことがあるが(若気の至り)、著作権などの問題があって難しいとのことだった。

 今の時代、YouTubeでなら何かできるかもしれないが、ネコケン先生がYouTuberよろしく話している姿はなかなか想像しづらい。やはり、ラジオの電波(今の時代はストリームか)に乗せて、あの美声で語ってほしい。

■出谷啓氏

 出谷氏と言えば、かつてレコ芸や音楽現代などの雑誌で人気を博した大阪の評論家だ。80年代半ばから末にかけ、FM大阪で水曜深夜に放送されていた名物番組「デーヤンの音楽横丁」に出演されていた。

 番組の構成は、プロデューサーの「よっさん」こと吉川智明氏が、横丁の御隠居さんという設定の出谷氏を訪れ、クラシック音楽にまつわるよもやま話を繰り広げるというもの。新譜紹介からこだわりの特集、関西でのコンサートの話題まで、なかなかにバラエティに富んだ内容で、とても面白かった。私が上京して聴けなくなった後も、家族にエアチェックを頼んで、カセットテープを送ってもらっていたくらいだ。

 出谷氏は評論家としても歯に衣着せぬ物言いが身上で、かつては相対的に評価の低かったアメリカのオーケストラや、ディーリアスを始めとするイギリス音楽の善き理解者でもあった。この「音楽横丁」はそんな氏の面目躍如たる番組で、まさに「デーヤン」の愛称のごとく、親しみやすく、でも十分に毒もトゲもある語り口が楽しかったのを覚えている。

 特に印象に残っているのは珍盤・奇盤特集の回。ストコフスキーが亡くなる少し前にDesmarという超マイナーレーベルに録音した弦楽アルバムのうち、パーセルの「ディドの嘆き」がとり上げられた。これがあまりに美しくて卒倒しそうになったのだ。

 エアチェックしたテープを何度も聴いているうち、どうしてもその超レア盤が欲しくなりいろいろ探しまわったのだが、ほどなくして、近くの輸入レコード屋さんで売られているのを見つけたときは、飛び上がらんばかりに嬉しかった。併録のドヴォルザークの弦楽セレナードや、ヴォーン=ウィリアムズの「タリスの主題による幻想曲」も、最晩年のストコフスキーが到達した澄み切った音楽世界が絶美で、LPを擦り切れるほど聴いた(その後、EMIからCD化され、今も愛聴している)。

 今となって思えば、「音楽横丁」は吉川氏という名プロデューサーの存在あってのもので、出谷氏が単独で番組を持っていたら、あれほど面白いものになったかどうかは正直分からない。70年代から80年代にかけて、氏が出演したコンサート中継番組を聴いたことがあるが、思いのほか真面目に、真っ当なことを話していて拍子抜けしたこともあるからだ。

 だが、番組のありようとパーソナリティの個性は不可分なもの。やはり、出谷啓氏は私にとって忘れがたい存在だ。

 番組のオープニングテーマは、パニアグワの名盤「タランチュラ」の中の曲。古代ギリシャで毒グモの解毒のために人々が音楽を奏で、踊ったという故事をもとに作られたフィクション音楽だが、「よっさん」が横丁に入ってくる下駄の音に続けてこの曲が鳴り始めると、番組への期待が高まる。あれはなかなかにいい選曲だった。

■林田直樹氏

 以前、ネットラジオOttavaをよく聴いていた。2007年の配信開始から、コロナが始まる少し前だ。当時はまだリアル出社100%で仕事していたので、イヤホンで音量を下げて軽く聴いていたのだが、プレゼンターと呼ばれるDJのトークを中心に短い楽曲を流してくれるので、気楽に聴けたのが良かった。

 プレゼンターとしてはプロデューサーの斎藤茂氏を始め、個性的なメンバーが名を連ねていたが、特に好んで聴いていたのは林田直樹さんの番組。

 林田さんは音楽之友社の編集員から独立してから音楽ジャーナリストとなり、さまざまなメディアで幅広い活躍をされている方だ。

 番組では、とんがった現代音楽やマイナーな音楽を積極的に紹介する努力を惜しまず、まさにジャーナリスティックな視点を持ち込んで、クラシック音楽界の「いま」を伝えてくれる。かなりの読書家でもいらして、本の紹介コーナーも設け、それも音楽にとどまらない幅広いジャンルの本の感想を話されているのも好感度が非常に高いし、ゲストとのトークも刺激的だ。

 私たち愛好家が持っている「オタク」的な知識は十分に押さえ、相当にマニアックな選曲と最先端のトピックを随所に散りばめた番組作りだが、クラシック音楽に馴染みのない人にもとっつきやすい雰囲気が魅力で、番組を聴いていると仕事が思いの外捗ることも多かった。

 とは言え、林田さんの「言葉」が突如耳にぐさりと刺さって仕事の手が止まってしまったり、紹介された新譜があまりにも魅力的で思わず聴き入ってしまったりすることもあって、それも良かった。矢も楯もたまらず、仕事を終わらせて何度CDショップに駆け込んだことだろうか。

 中でも特に忘れられないのが、久石譲指揮のベートーヴェン。確か第8番の第1楽章がオンエアされている途中から聴き始めたのだが、それが痛烈なまでにヴィヴィッドで心沸きたつ音楽だった。この指揮は一体誰だろうかと想像を巡らせていたところ、曲が終わって指揮者の名前を告げられたときは腰を抜かした。

 私は自分の不明を恥じた。件のCDはレコ芸で特薦になっていて存在は知っていたのだが、「久石と言えばやっぱりジブリだよね」と勝手に無視してかかっていたのだった。演奏の素晴らしさを熱弁する林田さんのトークにも巻き込まれ、そのCDを即座に購入したのは言うまでもない。

 もう一つ忘れられないのは、「水」をテーマにした音楽を集めた回。氏自身の選曲だけでなく、リスナーからもリクエストを募ったので、私もメールを出した。そこで私が要望したのは林光の合唱曲「原爆小景」から「水ヲクダサイ」だ。番組で私のメールが読み上げられることはなかったが、曲はちゃんとオンエアして下さり嬉しかった。他に流れたのは「きれいな」曲が多かったので、かなり異色の選曲になったが、我ながら良いリクエストができたと思う。

 今、Ottavaはシステムが変わってしまったのと、林田さんの番組はちょうど会議が立て込んでいる時間帯でリアルタイムでは聴けないので、ここのところほとんど聴けていないのが残念。

■番外編:後藤美代子氏

 この方はNHKのアナウンサーなので上記3名とは立ち位置が異なるが、やはり忘れられない存在。日曜の午後に放送されていた「オペラ・アワー」などでMCを務めておられた。

 プロのスピーカーなので滑舌が良いのは当然として、オペラなど楽曲についてきちんと情報を整理して頭に叩き込んだ人だというのは、聴いているとたちどころに分かる。曲や演奏家の紹介のみならず、オペラのあらすじ説明が分かりやすく、しかもその気品高い語り口はまさに名調子だった。カラヤンやベームがまだ生きていた頃、ザルツブルグ音楽祭のオペラ放送で彼女の声を聞くと、「ああ、もう年末なんだなあ」と感じながら、エアチエックに勤しんだのを思い出す。

 後年は制作にも携わっておられ、何年か前に亡くなったと聞くが、NHKには後藤さんの「魂」はいまも受け継がれているのだろう。


 そのほか、柴田南雄黒田恭一礒山雅諸井誠、そして忘れちゃいけない吉田秀和ら各氏の解説は本当に楽しませてもらった。少し前のことになるが、Ottavaに出演されていた小田島久恵氏、飯田有抄氏も忘れることができない。

 現役なら、片山杜秀氏、満津岡信育氏、奥田佳道氏、室田尚子氏らを始め、上野耕平+市川紗椰の名コンビなどが充実した放送を続けていて、それぞれとても良い番組を届けて下さっている。だが、前述のように最近の番組はちゃんと聴けておらず、記憶に刻み込まれるような体験もできていないので、コメントは差し控える。自民党の政治家みたいだけれど。

 こうして挙げた私のお気に入りのパーソナリティの顔ぶれを改めて見て、彼らは決して「初心者向け」の話などしていないことを痛感する。出演されていた番組の制作サイドとしては幅広い聴取層を引きこみたかっただろうが、それぞれの音楽への「こだわり」を出し惜しみなく明らかにし、コアなファンにも訴求する内容のトークをされていたと思う。それでいて、権威だとか、押しつけがましさを感じさせないのは、パーソナリティ各氏の音楽への愛情と、音楽の話をすることが「愉しい」という感情が、その声から伝わってくるからに違いない。

 人間のコミュニケーションの9割くらいは、非言語要素で成り立つと言う。それは実体験からも、実に納得のいく論である。であれば、ラジオでは顔の表情や身振りが分からない分、リスナーは話者の声のトーンや口調からその感情を探ろうとするので、声の調子に対する感度は嫌が上にも高くなる。だから、私が挙げたパーソナリティ各氏は、見出しにした3名以外の方々も含め、皆さん、音楽への愛を熱量をもって語れる「才能」の持ち主なんだろうと思う。

 そう、「才能」なのであって、訓練で獲得できる「スキル」ではないのだ。だからこそ、輝いている。決してAIでは代替できない。彼ら彼女らは、人間でなければ絶対にできない解説や雑談で、私たちを未知なる音楽の世界へと誘ってくれていたのだ。

 現状に目を向けると、例えば、NHK-FMのベストオブクラシックはいまは局アナの方がナレーションを担当しているが、これなどは極端な話、AIでもできることだ。ニュースでもAI音声に読ませるコーナーがあるのだし。

 だけれど、リスナーに新しい音楽体験の扉を開くような、刺激的な放送をしてくれるのは人間でしかあり得ない。いや、人間であってほしいと思う。人間の心の内から発せられた肉声を通じて、新しい聴き方、楽しみ方を知りたい。

 これからクラシックのラジオ番組がどうなっていくのかは分からないけれど、コアな話題も楽しく、親しみをもって展開してくれる番組が続いてくれることを願っている。そして、若い世代のラジオ・パーソナリティがフレッシュな風をもたらしてくれますように。女性がもっと活躍しても良さそうな気がしているけれど、どうなんだろうか。

 ラジオ番組の話題をしたので、昔、「FMクラシックアワー(ベストオブクラシックの先祖)」のエンディングテーマとして印象に残っている曲のリンクを貼って、このだらだらとした超駄文を閉じることとする。



 


 

 

 

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