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わたしの東京の風景・井の頭5丁目のアパート


大学生のときは4年間、井の頭公園を抜けた奥の道にあるアパートに住んでいた。私はこの部屋がとても好きだった。
その思い出をつらつらと書きます。


吉祥寺駅からは徒歩20分、大学に行くまでは徒歩4〜50分かかる、あまり立地がいいとは言えない物件だ。でもそれを差し引いても、そのアパートは感じがよかった。それが大事なことだった。上京する前に一緒にアパートを探してくれた父も、「この部屋は感じがいいね」と言ったものだ。

入居する際の決め手になったのは、
・アパートが女性専用であること
・大家さんが近所に住んでおり、トラブルがあればすぐ対応してもらえること
・家賃が55000円と、吉祥寺近辺に住むには破格の安さだったこと
などがある。

でも、わたしが1番気に入ったのは、部屋の内装や、その部屋がもつ空気感だった。
大家さんが女性なのもあってか、壁紙と仕切りのドアはアイボリーで統一されていて、シンプルだけれどどこか少女趣味的な趣もあった。広いベランダに続く窓からは3月の陽の光がふんだんに入っていた。
ブラウンの床は木の温もりが感じられて、つやつやとしていた。

キッチンも割と広く、まな板やコンロを置くスペースもしっかりとあった。(余談だが、社会人になってから住んだ都心の格安アパートには、まな板を置くスペースすらなく途方に暮れた。貧困を感じた。)自炊をする気もあったので、なかなかに理想的なキッチンだ。
それに、浴室はユニットバスだったけれど、なんの不満も感じなかった。だって水洗トイレがついているんだから!当時私の実家はまだ汲み取り式のトイレだったので…。

18歳にして、ついにわたしは自分だけの家を手に入れたのだ。窓の外の青空を眺めて、そんな高揚感を覚えた。

アパートは住宅街の中にあって、静かで自然の多い環境だった。
井の頭公園が近くにあるのはもちろんのこと、周りの家の庭には、植木や花の咲く木々がたくさんあった。おそらく裕福な人たちが住んでいた一角なのだと思う。並んだ家々はどれも広くて、家の前には車が駐まっていた。自宅を改造してカフェを開いている家もあったほどだ。でも決してつんとした感じの雰囲気ではなかった。
田舎で育ったわたしにはそこも気に入った。自然の多い環境の方が落ち着くし、新生活のスタートとしては馴染みやすい。 


不動産屋の若くて親切な社員さんとの手続きを終えて、父は満足そうな顔で秋田に帰って行った。
上京も一人でしたし、引っ越しも一人で立ち会った。昼過ぎに終わった引っ越し作業に一息ついたわたしが最初にしたのは、荷解きをすることではなく、近所にあったファミリーマートに行くことだった。
生まれて初めてファミリーマートに行き、生まれて初めてファミチキを買って食べた。まだテーブルも椅子もなかったので、キッチンの廊下に座り込んでファミチキを齧った。思ったよりも脂っこく、(思ったよりも脂っこいんだな…)と思った。それが新生活の一日目。2010年の3月下旬。

アパートでの過ごし方。いちおう学生なので課題をやったり、サークル活動の準備をして頭を悩ませたり、4年生の後半はパソコンで卒論を日々書いたりした。文章を書くのは好きだったけど、課題が積み上がってくるとそれでもしんどくなったりして。卒論の時期は、東急ハンズでふと手にとって買ってきた小さな観葉植物をよく眺めていた。

学生としてやること以外の時間は、料理をしたり、読書をしたり、音楽を聴いたりしていた。
あとは映画を見ることにハマった。高校生までほとんど名作と言われる映画を見てこなかったので、吉祥寺駅前のTSUTAYAに毎週通ってDVDを借りて、名作と言われる映画を片っ端から見た。そのレビューもブログに簡単に書いていた。4年間で150本くらいは観たんじゃないかな。
18〜22歳なんて、感性が若かったし行動力もあったから、ふれるコンテンツがどれも面白くて仕方なかった。東京の街のアパートで、わたしは好きな音楽や本や映画に、たくさん出会えたし、ぐんぐん良さを吸収していった。

料理を作ることも下手ながらに好きだった。いろんな友達が遊びにきたし、彼氏にもよく料理を振る舞った。さすがにあれから10年近く経った今の方が、料理のレパートリーは増えたけれど。
先日、昔の写真を整理していたら、夏休みにわたしが作った料理の写真があった。小さなテーブルに、だし巻き卵や、鶏肉とキムチと卵を絡めて炒めたものと、金麦が並べられていた。まだビールと発泡酒の違いもよくわかっていなかった20歳の手料理。わたしはそれを微笑ましく思う。

いろんな友達や、長く付き合った彼氏や、好きになった人が、あのアパートで夜を過ごして行ったけれど、何を話したのかはもう思い出せない。そのくらいささやかな中身のない会話ばかりしていた。
もちろん、それはいいことだ。ただぼんやりと、あぁ楽しかったなあ、でもあのときは苦しかったなぁ、って思い出せるくらいの風景があるだけ。大人になって振り返る大学生活ってそんなもんだと思う。


アパートの話を書いたらどこまでも書けそうなくらい思い入れがあって、文章が思ったよりも長くなってしまい、焦っている。
なので好きなエピソードを2つ書いて終わる。


わたしが1番あの部屋で好きだった時間は、キッチンでタバコを吸うとき。小さな窓付きのキッチンで、その窓を少し開けて、換気扇を回して、夏によくタバコを吸う時期があった。毎日ずっと吸っていたわけじゃないけど、なんだかそれが気だるい気分にぴったりの時期だった。大学生の夏休みは長いからね。

吸っていたのは最初はマルボロのゴールド(多分今はもう発売されていない)で、のちにキャスター。これも今はウィンストンに名前が変わったね。どちらもそんなに重たくない、臭いもきつくない銘柄。
キッチンの隅に蓋つきのプラスチックの大きなゴミ箱があって、そこに腰掛けて、ぼーっとしながらタバコを吸った。八月の午後の日差しが窓からふんだんに降り注いで、アイボリーの壁や木の床を照らしていた。
その時はいつもキリンジの曲を聴いていた。「ニュータウン」「BBQパーティー」「カメレオンガール」あたりが多かったかな。今思えばあのアパートは多分禁煙だったと思う。退去の時に何も言われなかったけど、なにも考えていなくてごめんなさい。

あの時間は、私の心の中にいまでもよく浮かび上がるシーンだ。8月の明るい日差し、けだるいキッチンの空気、換気扇に吸い込まれるタバコの煙。どこを見るでもなくぼうっとするわたし。そのときは将来の不安とか恋煩いとか、何にも考えずに、ただ大好きな音楽に身を委ねていた。うまくいえないけど、贅沢な時間だった。


最後のエピソード。
大学の帰り道、雨の日だと自転車に乗ることができないので、吉祥寺駅まではバスに乗り、駅からは傘をさして歩いて帰った。
キリンジの「雨は毛布のように」をイヤホンで聴きながら、軽やかで甘いミュージックに耳を寄せて、住宅街を眺めて歩いて帰るのが好きだった。それを人に話したことはなかったけど。あの頃は、午後の雨ですら憂鬱ではなかった。18、9歳ってそういう時期だ。


大学生活の4年間はそのアパートに守られていた気がする。わたしの大切な温かい居場所だった。初めての一人暮らしだったけど、あの部屋の空気が、わたしを孤独にしなかったと思う。

最後に退去するときも、大家さんはにこやかで、60代くらいの女性だったのだけれど、親切にしてくれた。
大学生のわたしはそそっかしくてだらしなく、迷惑を多々かけた。
家賃の振り込みが2回遅れたこともあるし(単に振り込みを忘れていた)、なんと部屋の鍵も2回失くしている。一度は夜に手元から鍵を落としたら、鍵がアパートの廊下を転がって、1階に落ちてしまって、翌朝まで見つけられなかった。でももう一度は、完全にどこかで紛失した。
さすがに怒られるかな……と半泣きで大家さんのところに行ったけれど、説明したら2回とも寛大に許してもらえた。ありがたい限り。わたしが大家さんだったらため息の一つもつくと思う。

大家さんは退去の日、餞別に薄紫色のストールをくれた。めぐるさんは色が白いから似合うと思ったの、と。たしかにわたしは薄紫色がとても好きだ。大学の卒業式の袴も、薄紫色のものにしたくらい。うれしかった。


わたしの数少ない、東京のいい思い出が詰まっていた場所。わたしを温かく受け止めてくれた場所でもあり、逃げ場でもあり、落ち込んで泣いた夜をシャワーで洗い流した場所でもある。

今もあの部屋には誰かが住んでいるのかな。井の頭5丁目にはわたしの生活の足跡があります。