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わたしの東京の風景・1つめ

又吉直樹さんが書いた短編「東京百景」を最近読んでいる。今は七十五の回まで読んだ。これは又吉さんが上京してから若いころを暮らした東京での思い出のうち、100個の地名や場所にまつわるものを短い文章で書いてまとめた本だ。

後半まで読んでみて、わたしも東京の思い出の地にまつわる文章を書きたくなった。完全に影響されているわけだけど、わたしも10年間東京に、あるいはその近辺に住んでいた。埼玉に住んで東京の会社に通っていた時期もある。なので拠点は東京にあったと思っている。
18歳から28歳までの間、わたしの感性が揺れたり、みずみずしかったり、死んだりしていた時期。ひとりの女性が若い時期を東京で過ごした。憧れの地であり、痛々しい思い出が横たわった地でもある。100個挙げるのは無理なので、せめて5つだけでも書いてみようと思った。

今日は胃の調子が悪く、なんとなく胃がつきつきと痛む。無理は禁物。体調が悪い時は早く寝たほうがいい。しかしそれと同時に、書きたいという衝動が沸き起こったときに書かないと、忘れてしまうこともある。今は後者の衝動に従う。

【※追記】
いっこ書いてみたら思ったよりも長くなってしまいました。なので、今後思いついたときに気ままに書きます。
今のところ、井の頭公園、新宿、新木場のライブハウスなどの思い出を書きたいなと思ってます。



・白金のバスで手をつなぐということ

25歳の時につきあっていた人は白金に住んでいた。といっても高級なマンションではなく、よく白金の土地でこんな物件を建てたな?と思わず驚いてしまうような、1Rの壁の薄いアパートだった。隣人の鼻をかむ音さえ壁越しに聞こえた。おそらく古い建物なのだろうが、ある日階段や柱を赤く塗り替える工事をしていたこともあった。古いのか新しいのかよくわからない奇妙なアパートだった。
25歳のわたしは傲慢にも自分には女としての魅力があると強い自信にあふれていて、それは若さからくる根拠のない勘違いであることに気づかず、ずっと熱帯夜のように浮かれた感覚だった。そんなアパートと同じく、ちぐはぐで奇妙に浮かれた歳月を、わたしはよく彼の部屋で過ごした。


ある日、白金のバス停から彼と都バスに乗った。どこへ向かうためのバスだったかはもうよく思い出せない。映画館だったかもしれないし、どこかで友人と食事の約束をしていたのかもしれない。
バスの後ろのほうの二人掛けの席に座った。バスが発車してすぐ、彼はわたしの手を握った。普段からとてもスキンシップをとりたがり、しょっちゅう手をつなぐ人だったし、反対にわたしはあまり外で彼氏とべたべたするのが好きではないので、いつも彼の行動に(今思えば尊い愛情表現の一環であるそれに)抵抗と恥じらいを感じていた。
けれど、その日のバスでの手のつなぎ方はとても自然だった。彼自身もわたしと手をつないだことに気づいていないくらいの感覚だった。日差しの下で猫の毛並みを撫でた時のような、やさしさと柔らかさがあった。痩せていて指の細い人だった。

どうしてあの日のことを、こんなに8年近く経っても、ずっと覚えているのだろう?と思う。あらゆることをすぐ忘れてしまうのに。そして彼や他人からしたらたいへんに気持ちの悪いことだと思うが、あのときの手をつないだ感触が、わたしの記憶にずっと強烈に残っている。

いまになって理由を考えてみたけれどたぶん、それは恋人に対する愛情表現というより、お母さんが子供の手を、危ないからとつなぐような、そんな動作の自然さと慈しみ(もしこめられていたとしたなら)だったことが、わたしの記憶に作用しているのかもしれない。

あの日の窓の外の天気が、晴れていたことすらよく覚えている。わたしは東京でバスに乗るのが好きだった。ビルや大きい道路や、どこまでも整備された道なんかの、都会的な風景がうつろう中を揺られながら曲がっていく感覚が好きだ。もしかしたらあの日は渋谷に向かうバスに乗ったのかもしれない。でもなんのために?忘れてしまった。その時の彼の結婚を知ったのは去年のことだった。